第40話 当事者の代弁者
後は花太郎の容態か。
僕がアズラ達の傍へ到着した時には、サイアが花太郎の衣服だった血まみれの布をはぎ取り、右腕を抱えながら震えるような声音で詠唱していた。
アズラが転がっていた花太郎の右手をサイアの傍に持ってきた頃には、花太郎の手首は皮膚で覆われていて、出血もなかった。
「しっかりしな!」
アズラが激を飛ばした相手は、意識のない花太郎ではなかった。
サイアの身体は震えていて、瞳には涙が溜まっていた。
「あんたが頼りなんだよ。サイア」
「……うん!」
アズラの激励で気持ちを切り替えたサイアは、矢筒と一緒に肩にかけていた円筒型の鞄から水筒と器具を取り出した。容器の中に水を注ぐ。
「手は師匠にくっつけてもらうから」
「わかったよ」
アズラが花太郎の右手を持つと、傷口側をサイアの方に突き出した。
サイアが注射器のようなものを傷口に差し込むと、そこから血液を抜いた。そして水を入れた容器に一滴垂らす。透明な水の一部分が赤く淀んだ。
サイアが容器を両手で持ちながら詠唱を始める。もう身体は震えていない。声もはっきりしていた。
容器に入った水は、真っ赤に染まった。血液を精製したんだ。
サイアが注射器を容器に突き立ててピストンを引くと、注射器に血が溜まっていくのがわかった。
注射器に入った血が一瞬青白く光る。血液が透明になった。
「え?」
サイアが目を見開いた。そして容器の中を見る。容器の中身も透明な水に戻っていて、うっすらと赤く濁っていた。
サイアが再び容器の中に血液を垂らし、詠唱する。
血を精製する。すぐ水に戻った。
何度繰り返しても同じだった。サイアが垂らした花太郎の血液で水が赤く色づく度に、精製した血液が水に戻るまでの時間が早まった。
……アキラの魔法を破ったのは、この血なんだ。花太郎の血液は魔法で造りだしたものをマナに分解してしまうんだ。
「どうして……ハナタさん! ハナタさん!」
ユリハ達が傍まで来ていた。カイドとシドが縛り上げたアキラを抱えている。
「母さん! ハナタさんの血が造れないの! どうしてなの!? 人間の身体はドワーフと違うの?」
「そんなことはないわ。ドワーフも人間も一緒よ。だからサイアが生まれた」
「治癒魔法は……効いたみたいだな」
花太郎の傷口をみながらシドが言った。
「血液精製ができないだけだ。他の方法で最善を尽くすんだ」
「嬢ちゃん、幽魔がこんなにくっきり見えてるんだ、望みはあるぜ。こんなところでくたばるなよ! つまんねぇじゃねえか、ハナタロウよぉ!」
カイドが僕に向かって急に呼びかけたので、ちょっとびっくりした反応を見せてしまった。
「なんだよ、声も届いてんじゃねぇか」
僕の姿が視えていることを失念していた。花太郎の幽魔だと勘違いされている。自分がエア太郎だと伝えねば。
「サイア、他にできることはないのかい?」
「……アズラ。ハナタさんを暖めて」
「わかったよ」
アズラは花太郎を抱えると、周囲の空気が変わった。彼女の体温が上昇していくのがわかる。
サイアの指示でユリハは花太郎の身体を擦り、摩擦で暖めている。
カイドとシドは気絶したアキラの縄をほどくと、白衣の袖をたくしあげた。
サイアが注射器でアキラの腕から血を抜いた。花太郎の血しぶきを浴びたアキラの白衣のまだ白く残っている部分を、血が入った注射器の後ろにかざしてサイアは観察した。
「……だめ、違う」
多分血液型のことだと思う。アキラはA型で僕はO型だ。
「ちっ。使えねぇヤロウだ」
「全くだ」
カイドとシドは再びアキラをふん縛った。
「花太郎は何型?」
「O型だよ」
ユリハの問いに即座に応えるサイア。アキラの時といい、見ただけで血液型がわかる所はすごい。
「サイアはO型よね」
「うん、だけど-」
「さっきも言ったとおり、ヒトもドワーフも一緒。輸血はできるわ、前例がないだけ。母さんたちが結婚したときもそうだった」
アズラが花太郎を床に寝かせると、人間大の大きさになって寄り添った。サイアは花太郎のそばに腰を下ろし。両端に針のついた細長いチューブの片方を花太郎の腕の血管に刺した。
サイアが詠唱を始めると、チューブは平べったく変形してぺったんこに潰れた。空気を抜いたんだと思う。
「サイア、これくらいは私にやらせてくれる?」
「うん、母さん」
サイアが腕をまくると、ユリハがサイアの腕を軽く叩いた。そして受け取った管のもう片方の針をサイアの腕に刺し入れた。
「三○○ccが限度ね。七分で止めるわよ」
「うん。……血流接続」
サイアが呪文を唱えると管がサイアの腕の方から膨らみ始めた。血液が通っているんだと思う。
沈黙が続いた。皆、固唾を飲んで花太郎を見つめている。
「......ハナタさん、聞こえてるよね?」
サイアとバッチリ目があった「いや、エア太郎だから。ハナタさんじゃない方の甘田花太郎だから」と手を振ってジェスチャーを返す。
「そんな姿になってまで、ふざけないでよ!」
どうしよう。あたりを見渡すと、みんなサイアと僕に注目していた。
「ハナタさん……ハナタロウさん。よそ見しないで」
どうしよう。どうやって伝えよう?
「私を見て! ください!!」
はい!
「……あの夜お話ししたこと、全部覚えてるから、私」
……ハナタさんも気づいてると思います。
「お酒に酔った勢いでしゃべっちゃったけど。私は本気だよ! 私の気持ちは、変わってないから。酔った勢いで”お嫁さんになろうか”なんて言ってごめんなさい」
いいんだと思うよ。花太郎喜んでたよ。
「いま、ハナタさんの身体に私の血を輸血してます。絶対に助かるよ。目を覚ましたなら、これからまた冒険しようよ。たくさん冒険して、街でも暮らして、同じ時間を過ごして。そしたら、もう一度この気持ちを伝えるから。だから……早く身体に戻って、ハナタロウさん」
目に涙を溜ながら言い切ったサイアの姿が、とても愛しく思えた。サイアが呼びかけている僕は、別人の甘田花太郎だけど、幸か不幸かそこで気絶している男と価値観がだいたい一致している。
だから。その男のかわりに今サイアが語ってくれた気持ちを僕なり返そうと思う。多分伝わらないけど、声にだすよ。
「ハナタさん?」
サイアの頬に手を伸ばして、赤い瞳に溜まる涙をそっと拭ってみた。サイアの肌の温もりと、少しだけ涙の感触があったけれど、すり抜けた。
[サイア嬢。キミが眠りについた後、シドにしこたま酒を飲まされる前の僅かな時間の中で、甘田花太郎は泣いたんだ、少しだけ。甘え上戸になったサイアの姿を見て、娘と……咲良とキミを重ねてしまったんだ。ぜんぜん面影似てないし、別れた時だって、咲良は二歳と三ヶ月で、言葉もロクに話せなかったのにね。
だけど、なんとなく”咲良が小学校にあがったら、こんな感じかな”って、不意にそんな想像が頭をよぎったんだ。娘と居たときの甘田花太郎にはね、ちっぽけな夢がたくさんあった。あの日の夜。酔っぱらったキミは、そのちっぽけな夢の一つを思い出させてくれたんだ。
”大きくなったら、お父さんのお嫁さんになる!”って言われたかった。……我ながら気持ち悪いね。
大きくなって反抗期を迎えて、さんざん嫌われてもいいから、小さいうちは、第二次性徴期を迎える前までには、そんな言葉一度でいいから言ってほしいなって、夢だった。
何を気持ち悪いこと考えてるんだ、って自問自答してるだけでも、とても幸せな時間を過ごしていたんだ。
ありがとう。幸せな時間を思い出させてくれて。夢の一つが叶ったような気がしたよ。
そしてごめんなさい。あの時僕は、僕たちは、一人の女性として貴女を見なかった。
きっと貴女の想い人である花太郎は、貴女を尊敬しているけれど、寄り添うことはできないと思う。少なくとも、今は。
でも、ともに時間を共有する中で貴女の心持ちが変わらずにもう一度、今度はお酒の力に頼らずに想いを伝えてくれたなら。
この男は、必ず向き合って答えを返すよ。僕が保証する]
サイアはじっと僕の表情を見ていた。言葉は通じずとも何を伝えようとしているのか、少しも逃すまいとしていたんだと思う。
「ハナタ……さん」
サイアの声は上擦って、霞んでいた。僕の表情が彼女を不安にさせてしまったんだと思う。僕には流せる涙もないけれど、それを堪えているような気持ちだったから。
「七分よ。針を抜くわ」
「待って、母さん! お願い。ハナタさんの幽魔が戻るまで……」
……そういえばサイアはJOXAの幼稚園に通っていたと言っていた。簡単な日本語ならわかるみたいだし、カタカナくらいは読めるだろうか?
右腕で血を抜いているから、右の手のひらが上を向いている。僕はサイアの手のひらの上で指を走らせた。
「……ホ? ボ? カタカナ?」
伝わったみたいだ。天才ユリハの娘だし、もしかしたら僕が知らないような難しい漢字も知っているかもしれない。でも、カタカナで統一しよう。サイアの問いかけに大きく頷いて返答し、再び指を走らせる。
「ボ、ク、ハ。……エ、ア、タ、ロ、ウ。……え?」
なんとか伝わった。サイアと目が合った。
「えぇぇぇぇっ!!」
サイアが固まった。カイド達はサイアの吃驚ぶりに驚いて言葉を失っているようだった。
沈黙の中で小さくうめく声が聞こえた。アキラはまだ気を失ったままだ。
うめき声の主の所に皆の視線が集まった。
沈黙を破ったのはアズラだった。
「よく眠れたかい? ハナタロウ」
「……そうだね。まだ寝足りないかな。アズラ温かいね。……すぐ眠れそう」
「ダメ!」
右手には管が通っていたから、サイアは左手で上半身のひねりが加わった大振りのビンタを、花太郎の顔に食らわせた。
後からわかったことだけど、外傷はともかく、容態だけで言えば、この時はアキラの方がマズかった。瀕死だった。
キャラクターソング「朱色のサファイア」 歌:サイア
『甘田花太郎のポエム・あ~んど・ソング集』に アップします。




