第26話 アズラがくれる勇気と安らぎ
うれしいことがあった。
僕が消えた日、カイドが僕の鞄を握りながら「消えただけだ、死んだわけがねえ! ハナタロウは絶対見つけてやる。それまでは俺が預かるぜ!」と言って、手放さなかったらしい(ユリハ談)。衣服はJOXA職員から両親に届けてくれたみたいだ。JOXAとは今でもコンタクトを取っていて、二人とも元気らしい。
そして今日、カイドは宿に保管していた鞄を僕たちに返却して、有言実行を果たした。
「日記、勝手に見させてもらったぜ。日本語だから読めなかった」
照れ隠しなのか、鞄を受け取った花太郎がノートを取りだしたのを見てカイドがニヤケりながら言った。
「日記閲覧の件は、預かり賃として精算させてもらうよ。以外と安く済んでよかった」
「ハハハハ、こっちは大損だぜ」
花太郎も笑っていた。
「ごめんなさい。花太郎の日記だけど、実は私も見たの」
「ユリハには読まれちゃったか」
「いいえ、読めなかったわ。字が汚くて」
ユリハも会話に参加して話にオチをつけた。
「今後、暗号文章作るようなら僕に依頼してよ。僕にしかわからない文字で書くからさ」
「それ、暗号文としては不合格よ」
「ハナタロウの字、あたしは読めたよ」
サラっと言ったけどアズラも読んだのか、そして日本語×花太郎文字も読めたのか。この時は「恥ずかしい」よりも「すごいなぁ」の方が勝った。花太郎も「へぇ」ってちょっと関心していた。
「だからあたしがみんなに読んで聞かせたよ」
「は?」
「私はそれを聞いたわ」
「俺も聞いたぜ」
「俺もだ」
「シドも知ってるのかよ!」
見事にしてやられた。さすがに花太郎は気恥ずかしそうにしていたものの、最後にはお礼を言っていた。
各々が出かける支度を始めてユリハに読めそうな資料を見繕ってもらってる間、花太郎と僕は自分達の日記を読んでいた。
初代花太郎がいつも日記の終わりに、「人生の肥やしになるように」と未来の自分に宛てた下らないメッセージを綴っていたのがなかなか笑えた。ある意味僕たちの肥やしにはなったので、当時の彼の意図は達成されたと言っていい。よもや数億年後に読み返されるとは思わなかっただろうが。
花太郎は気付いていなかったけど、こいつが日記を読みながらクスクス笑っている様子をサイアがチラチラと見ていた。
そしてアズラの元へ行って小声で話しているのを僕は聞いた。
「ねぇアズラ、私にもあの日記の内容教えて」
それを聞いた僕はなんか”モヤァ”っとしたから、気晴らしの為にサイアの一連の行動を花太郎には教えない事にした。
花太郎、変態のレッテルに苦しみ続けるがいい!!
「メモ帳の方読む?」
[読まなくていいよ、字汚いし]
二冊あるノートの内、一冊は日記兼備忘録で、もう一つはただのメモ帳だ。カイドのノロケソングとかは、最初こっちに控えてからもう一冊に書き写した。
「きったねぇ字。読めねぇや」
花太郎がパラパラとメモ帳のページをめくる。
[今は文章読みたくないよ]
「これ文章ほとんどなくて、単語ばっかだぞ」
[よけいにやだよ]
「だな」
花太郎がメモ帳を置くと、懐中時計を手に取った。
[実はそれの安否が一番気になっている]
「同じく。みんなの前では流石にな、気恥ずかしい」
時計自体は秋葉原で買った安物だ。針が動いてなくても、特段思い入れはないのであまり気にしていない。ただこの懐中時計、値段の割にちょっと小生意気な機能がある。
花太郎が時計の裏面を上に向けて、摘みを緩めると蓋が開いた。いわゆるロケットペンダントだ。
「黄ばんでないな」
[あんまり空気に触れなかったからじゃん?]
「エア太郎、触るなよ」
[まあ、確かに空気みたいなものだけどさ]
ロケットの中には折り畳まれた一枚の紙切れが入っている。花太郎はそれを丁寧に取り出すと、広げた。A4サイズのコピー用紙だ。
「無事でした」
[だね]
紙に描かれているのは色鉛筆とボールペンがごちゃ混ぜになった落書きで、父娘の合作だ。
まだ自分だけの握力じゃ色鉛筆をまっすぐに握れない咲良の手に介添えして、咲良が自由に鉛筆を走らせた作品だ。
紙の端から端まで左右に何往復も折り返された直線や、歪つの規範例として最もわかりやすい楕円形、大雑把な螺旋模様などが縦横無尽に描かれている。
咲良が飽きて色鉛筆を片手で振り回しながら別の玩具で遊び始めた時、僕はボールペンで彼女の作品に蛇足を付けた。世界征服を果たしたネズミのマスコットキャラクターの似顔絵だ。著作権にはうるさいという都市伝説もあるから、黒い目線も入れてある。
別れてから「後生大事にしているのもなぁ」と思いつつも捨てるに捨てられなかった。たまたま秋葉原でロケット付きの安価な懐中時計を見つけたので購入して、折り畳んだ作品を中に格納した。持ち歩いてるとなんとな~く落ち着いた。
父娘合作画を机に広げたまま、花太郎は長財布の中身を開けた。現金やクレジットカードの類は両親に届けてしかるべき処置を取った、とユリハが言っていた。
カード入れには運転免許証と、レンタルビデオ屋の会員カード、あとユリハの名刺が入ってた。
この名刺はJOXAに行った時、「そういえば渡してなかったわね」とユリハが出会い頭に差し出してきたものだ。
ユリハの名刺を花太郎が取り出すと、もう一つ名刺が重なっていた。
JOXA宇宙センターつくば
外界交流課
外界交官 佐貫野(Sanukino) 香夜(Kaya)
花太郎はしばらく香夜さんの名刺を眺めていた。
「……明日、お迎えに伺います。それでは、また」
[ヒューヒュー、キザだねぇ]
「好きに言ってろ」
「戻ったよ」
アズラの声がして扉が開いた。
「おかえンなさい」
アズラが篭いっぱいにリンゴのような果物を抱えて入ってくる。続いてユリハとサイアが入ってきた。
花太郎が布切れで鼻水を拭ったので、ぼちぼち僕は見えなくなるだろう。
「ただいま花太郎。早速着替えて」
ユリハが放り投げた包みを花太郎はキャッチした。似たような包みをサイアが持っている。多分香夜さんの衣服だろう。
「え? いいの?」
花太郎が問う。
「早く脱ぎなさい」
ユリハが促す。
「いや、だめでしょ」
花太郎が否定する。
サイアを見やる花太郎。サイアが後ろを向く。
「ごめんねサイア嬢、すぐ終わるから」
「いいよ」
サイアが歩き出す。
「出て行かなくても―」
「いいの」
花太郎が呼び止めたが、サイアは部屋から出て行ってしまった。
「これ、なに?」
声をかけられて花太郎が衣服を身につけながらユリハの方を見た。ユリハの視線は机に広げられた父娘合作画に向けられていた。アズラは身体を縮めて、自らが部屋の一角に置いた篭の上に飛び乗り、甘そうな赤い皮の果実にかじりついて「我、関せず」のスタンスを取っている。
「僕と娘が描いた落書きだよ。懐中時計の裏がロケットになっていて、そこに入れてたんだ」
溢れ出しそうな気恥ずかしさを抑えながら必死に平静を装っているのがよくわかる。花太郎を冷やかそうと思ったけれど、僕の姿はもう見えていないようだ。
「へぇ、時計の裏に仕掛けがあったのね。気づかなかったわ」
……これは花太郎も察しただろうな。
「……ねぇユリハ」
「何?」
「多分さ、カイド達酒も買ってくるよね?」
「そうね、この宿のご主人もドワーフだから心得ていると思うわ。一階の広間を貸し切って、お酒持ち込みで宴でしょうね。あの人達何日も飲んでないから」
「お待たせ致しました、終わりました」
ユリハが花太郎を見る。
花太郎はこの村で見かけた男達の典型的な衣服を着ていた。皮のサンダルに鳶職の人が着てるボンタンのような白いズボン、素肌の上にボタンが付いてないベージュのベストみたいなやつを羽織っていて、アラビアンな映画に登場する盗賊のような出で立ちだ。
「似合うじゃない」
「魔法かなんかで冷房がきいてるのかな? ここ寒いよ」
「すぐに慣れるわ。花太郎が帰ってきたから、今日は盛り上がるわよ」
「そっか、そっか。楽しみだね」
「明日もあるから程々にね」
「わかってるよ。程々に楽しむよ」
花太郎が、ボフッと音を立ててベットに腰をかけ、遠くを眺める。ユリハは腕を組んで机にもたれ掛かり、花太郎の横顔を見ていた。
「……ねぇユリハ」
「ん?」
「程々に楽しむために、宴の前に聞いておきたいことがあるんだけど」
「何?」
「ユリハが僕に話さなきゃいけないな~って思ってること、今教えて」
「……」
「ユリハは普段何考えているかよくわからないけど、後ろめたい事がある時はすごくわかりやすい」
「……確かに。私嘘つくの苦手かも」
「抱え込まれるより言ってくれた方が気楽かな。いつかは伝えなきゃいけない事なんでしょ?」
「ええ、そうね」
「僕は楽天家だから、タイミングとか気にしないでいいよ」
「あたしは邪魔かい?」
食に没頭していたアズラが場の空気を読んで問いかけてきた。
「いいえ、アズラも知ってることだから」
「ん? なんの事だい? ユリ」
「……咲良さんの事」
「……え?!」
アズラがキョトンとした表情をしている横で、花太郎の顔に緊張が走るのがわかった。何が楽天家だハッタリ野郎。
そして自分の表情の変化に気付いた花太郎はわざとらしく大いにおどけてみせた。
「あ~、あ~、あ~ゴメン、流石にちょっとドキっとした。アズラが知ってる話しなら心強い。アズラ~、アズラ~、僕に勇気をおくれ~」
言いながら花太郎はアズラが立っている赤い果実の入った篭に歩み寄り、アズラの背中から腹部に両手を回して彼女を抱き抱えた。
アズラは身体半分の大きさはある、かじりかけの赤い果実を両手で挟むように持ったまま、ぶら~んと成すがままになった。花太郎がベッドに腰を降ろし、その太股の上にのっかると、再び果実にかぶりついた。
花太郎はまだ若干緊張の色を隠せずにいたけど、アズラのかぶりつく果実の滴る果汁が花太郎の真新しいズボンを汚していき、その度に広がる肌の湿っていく感触がアズラがこの話題に対して如何に無関心であるかをしっかりと伝えてくれていたと思う。花太郎は幾分か心が安らいだようにみえた。
「さぁ、言ってユリハ。言って、言って」
花太郎は勢いに身を任せて、陽気な態度でユリハに尋ねた。
「ええ、わかったわ。実はね」
アズラが一瞬ピタっと補食をやめて、扉の方を見た。そしてすぐに補食を再開した。
感覚を走らせると、僕は扉の向こう側に視点を移すことができた。
「池宮咲良さん……。あなたの娘さんが―」
サイアが扉の向こうで立ち聞きしていた。
「―今、こっちの世界に来ているの」




