第10話 カイドとアズラとそのお仲間三人が砂漠にいる!
そして僕の身体は消滅した。
考える事も、自分の存在すら知覚する事もままならない意識だけが残っていた。
僕は世界を眺めていた。
眺めていた……言葉にすると僕の知る限りではこの表現がもっとも近いのだけれど、それも適切ではない。視えてはいなかった。
たまに訪れる亜人達からは、精霊や祖霊と呼ばれていた。
問いを投げられれば、答えを返す。僕はただそれだけの”現象”だった。
亜人達が問いの答えを得るために僕の領域に入ると、僕の意識が謎の力に引き寄せられて集まり、僕の密度が増す。無数の僕が、彼らの問いかけに離合集散とまばらに答える。
だがそんな経験をする事も滅多にない。僕を訪ねてくる者はほとんどいなかった。
密度が増した時だけ自分を知覚する事ができたけれど、すぐにそれは拡散して、また世界を眺めるだけになる。これらが不定期に、延々と繰り返され、途方もなく時間が流れている事を知った。
今回訪ねてきた者達の所へ毎度のように幾千幾万の僕が集約したとき、変化が起きた。それは初めての経験だった。
拡散していた意識が一つにまとまった。
視界が開けた、視界には指向性があった。目の前に広大な砂漠が広がる。水気を持たない砂粒達が、照りつける太陽の色を跳ね返していた。
温度を感じた、酷暑だ。しかし実体を持たない僕は、のどの渇きを感じる事はなかった。
匂いがした、太陽の光を含んだ砂塵の匂い。
空気が振るえている、これは音だ。物理的な空気の振動を感じて、音が聞こえるようになった。亜人達が問いかけてくる音とは全く異質の、そして、なつかしい感覚だった。
なつかしい……というには遠すぎるほどの永い年月が経っていた。
僕の意識は彼らを中空から見下ろすような所にいた。おそらく彼らこそ、僕に意思を戻してくれた恩人なのだろう。
彼らのおかげで、僕に身体だと感じる箇所はできたけれど、実体はなかった、彼らには見えていないようだった。それでも感謝の言葉をかけずにはいられなかった。
僕は2人の大切な友人と、その3人の同伴者に深々と存在しない頭を下げた。
「ありがとう、アズラ、カイド、そしてお仲間のみなさん。深く感謝いたします」
声は届いていなかった。僕は彼らの言う精霊とは違う存在に変化したようだ。今も僕の周りでは、精霊と呼ばれていた僕の意識の残滓が無数に漂っていた。
アズラは小高い砂丘の上で佇んでいた。僕と出会った時よりも何倍も体は大きくて、背中に背負い子のような正方形の籠を装備している。籠の上部には日よけのために黒い布が張られ、カイドと仲間達はその籠の中にいた。各々が黒いマントのフードをあげて、ひょっこりと顔を出していた、ちょっとかわいかった。
カイドは少し老けただろうか? もともと老け顔だからよくわからないけど。
カイドの他にドワーフの男女が2人。もともと背丈の低い種族だからか女性の方はかなり若く見える。男のドワーフは長い赤髪を後ろでチョンマゲのように結って兜の隙間から出している。オシャレ髭は生やしていない、体格がよく端正な顔立ちである。そして中年の女性が1人、彼女は人間のようだ。座ってはいるがドワーフ達と大して背丈が変わらないのがわかる。落ち着いた雰囲気や肌年齢こそ中年のそれと思えるけれど、くりっとした目鼻立ちやショートカットの赤茶けた髪がとても幼い印象を与えた。
中年の女性は赤い宝石のついたネックレスを手のひらにのせて、宝石に向かって何やらぶつぶつとつぶやいていた。
砂漠中に広がっている僕の意識の残滓が集まってきた。謎の力の正体はあの赤い石だ。女性が宝石に向かって話しかける。
「あなた名前は?」
意識の残滓達が、女性の手のひらに向かって集約し、密度が増し、彼女が持つ石を小刻みにゆらし始めた。振動する石がさらに大気を、大気が音となって彼女の質問に答えた。
「……マダ……ナ……タロ……」
僕は答えていない。この時、僕と僕の意識の残滓が全く別の存在なのだと確信した。僕と精霊は違う。僕は自我をもったのだ。
人間の女性が精霊に話しかけている様子をドワーフ達は真剣な面もちで眺めていた。よく見ると彼女は、何となくだけどユリハに似ている。
「ここじゃ何もわかんねぇな。源砂の塔へ行くぜ、ユリハ」
……本人だった。カイドは続けて言った。
「祖霊達が一番集まる場所を訊いてくれ」
ユリハが石に呼びかけると、一疾の風が吹いた。
「この風下の方角だ。アズ、読めるか?」
「わかるよ、急いだ方がいいんだろ?」
「ああ、頼むぜ」
「ねぇ、そんなに急がなくてもいいんじゃない?」
2人の会話にユリハが口を挟む。
赤髪のドワーフが答えた。
「いや、源砂の塔へ行くだけの準備はしてきたが、思っていたよりも水の消費が激しい。」
「オアシスを探しながらじゃだめなの?」
「ユリハもサイアも砂漠は初めてだろう。慣れない水を飲んで身体を壊されては困る」
「でも、サイアがいればー」
「オアシスに立ち寄るとしても、帰る時だぜ。調査だけでもしたいんだろう? 食料の調達がままならないんだ、急ぐに越した事ぁねぇぜ」
ユリハの言葉を遮るようにカイドが言った。
「ええ、そうね。ごめんなさい、急ぎましょう」
「サイアもいいな?」
「私は全然平気だよ」
サイアと呼ばれた女のドワーフにはまだ少しあどけなさが残っていたが、ハリのある声から彼女が気丈な性格である事が伺えた。くせっ毛のショートヘアで、赤髪の男のドワーフとは似ても似つかない可愛らしい丸顔をしているが、髪と瞳の色は男のそれと同じ色彩を放っていた。親子かもしれない。しかし背丈は赤髪の男より少し低い程度で大差はなかった。たれ目と丸みを帯びた鼻から、愛らしい小動物のような印象を受けた。
「アズラ、よろしくね」
「いくよ」
アズラが身を屈める。カイド達は籠に直接結びつけられたロープを掴んだ。
瞬間、大地を蹴ってアズラが跳躍した。僕は僕の意思とは関係なく、風下へ移動するアズラ達の一行に金魚のフンのようについてまわった。
まるで巨大なバッタか、砂漠の海原を跳ねる飛び魚のようだった。アズラにも翼はあるが、すっかり退化していて、大きく広げたところで滑空すらできないだろう。それでも飛行しているのではないかと錯覚するくらいアズラは長い時間中空にいた。やがてゆっくり下降していき、着地と同時に身を屈め、再び跳躍。これを繰り返してアズラ達は驚異的なスピードで突き進んでいく。翼竜が空を駆けるよりも速いかもしれない、翼竜といっても僕はシンベエしか知らないけれど。そういえばシンベエはどうしているかな、そんな事を思った瞬間だった。
「ウェロウェロウェロウェロウェロウェロウェロウェロゥ~」
ユリハが吐いた。エチケット袋はちゃんと持参していた。サイアが赤髪に言う。
「父さん! 母さんがまた吐いたよ!」
「見りゃわかる。もうこっちの水は空だ。カイド、分けてくれ」
カイドがニカニカと笑いながら赤髪に水筒を渡す。
「ほらよシド。たらふく飲ませてやれよ。またたくさん吐けるようにな」
ああ、赤髪はシドか。カイドの親友だったな。
「吐くのはいいけどユリ、あたしにはかけないでおくれよ」
背中越しに釘を差すアズラ。砂漠のど真ん中にいるにしては、随分と贅沢な水の使い方で口をすすぐユリハが返答する。
「ねぇアズラ、砂漠を走るんじゃだめなの?」
「走ると疲れるんだよ。砂漠は飛び跳ねるのが一番さ」
アズラが答えると、カイドがさらに補足した。
「砂漠のモンスターは砂に擬態して襲って来る奴が多い。擬態ができない大物どもは地中に隠れて、獲物の足音を聞いて襲ってくるんだ。待ち伏せが得意な連中なのさ、走りゃそんだけ敵に当たるぜ」
「そうなのか……」
「がんばって、母さん。慣れれば結構気持ちいいよ」
さっきは聞き間違いかもしれないと流していたけれど、サイアはユリハの娘らしい、そんで相手はドワーフのシド。サイアはユリハの養子で血は繋がってないかもしれないと思ったけれど、サイアが成長途上の割に身長が高い(ユリハも決して高くはないが)理由も考えると、人間と亜人のハーフだというのが一番しっくりくる。異種族間での婚姻とさらに子孫まで作れる事に驚いた。ドワーフは霊長類ヒト科ドワーフ目といったところか。
口をすすぎ終わって水筒に蓋をしようとするユリハをシドがたしなめた。
「水は飲んでおけ。吐けるものがなくなるとまずい」
「わかったわ」
シドの忠告を素直に受け、水を口にするユリハ。短い時間ではあったが、彼女と親睦を深めたときの印象とは違う落ち着きがあった。年をとったからだろうか。かつての闊達な彼女の性格は、一人娘(1人じゃないかもしれないけど)のサイアが引き継いでいた。
彼女は好奇心も旺盛なようで、真っ青な顔をしている母親の横で、辺りを見渡しながらキラキラと目を輝かせていた。眼下に広がる砂漠の変わり映えのしない景色をあちらこちらと眺めては、モンスターや変わった植物を見つける度にカイドやシドに「あれは何?」としきりに問いかけていた。
カイドとシドはサイアからの質問に丁寧に答えた。2人は彼女に感心しているようだった。彼女の観察眼は時折、砂漠に擬態しているモンスターを見つける事もあったのだ。
アズラが砂丘の中腹に着地すると、突然身体の半分が砂に埋もれた。ここら一帯の砂の粒子は他より一段と細かい。
「流砂か?」
埋もれた身体を起こしながら砂を観察するアズラに、カイドが問う。
「……違うね、オオアゴカゲロウの巣だよ」
「戦闘準備だ!」
カイドの激が飛んだ。




