第86話 埋めたい距離
――――数日後、駐屯所では落ち着かない様子のジンの姿があった。
「ザハルく……ザハル様は何処にいる? 会わせて貰いたいんだが」
「お前の様な新卒がザハル様に会いたいなどと要望が通る訳が無いだろうが。弁えろ!」
ジンは恵まれた体躯のお陰で無事ブラキニア兵として採用されていた。配属先は北に位置するダーカイル城の防備。北のスハンズ王国の警戒に当たる場所は、新兵としては少々骨が折れる。しかし、その優れた体格を買われたジンは、才能の開花を見込まれ抜擢されたのだった。
今回の採用は、兵士として役割を果たせると判断された者は全て受け入れる方針だった。身体に障害を持つ者、老若男女問わず意欲のある者は全て。と言っても普段から来る者拒まず、なのだが。能力に見合う適当な配置を決められ、数日後に一斉配属される予定だった。
重要拠点である北のダーカイル城への配属は、城主でもあるザハルの一存で決められる。先日のジンとの交流が考慮されているかは、ジン本人には勿論分からない。少なくとも能力を買われたと思える決定である事だけは分かっていた。
「ザハル様は今何処に?」
「しつこい奴だな。時機に来るだろうよ」
ソワソワと落ち着かないジンは、ほんの数秒すらも長く待ちきれない様子。周囲は相変わらず慌ただしく動き回り、ジンの事など気に掛ける者は誰一人いなかった。
「ダーカイル城防備に選ばれた者! 数分後にザハル様が来られる! 整列したまま待機っ!!」
隊長格の号令に、選りすぐりの兵士達は乱す事無く整列する。寸刻後、ザハルはアルを従え駐屯所へ姿を現した。
「気をーつけっ!」
隊長はすぐさま号令を掛け、兵達はまるで一本の糸に操られたかの様に寸分の狂いも無く同時に背筋を伸ばした。
辺りには緊張感が漂い、屈強な男でも息を飲む雰囲気だ。しかし、その中に相変わらずソワソワしているジンが居た。
「ザハルく、様っ!」
ジンは目の前を通過するザハルに声を掛けると、ザハルは立ち止まり気怠そうに隊長を呼び付ける。
「おい、この隊を仕切っているのは誰だ」
「は、はいっ! 自分であります!」
すぐさまザハルの前へ跪くとザハルは間髪いれずに拳を振り下ろした。隊長は呼ばれた時点で察していた。規律を乱す原因はそれを仕切る者に責がある事を。よろめいた身体を直ぐに戻し再び跪いた。
「も、申し訳ありません!」
「次は無いぞ」
「ハッ!」
ジンは困惑していた。先日のザハルの態度とは一変し、あたかもジンを知らないかの様に振る舞う姿に。ザハルが自分を軍に、北の防衛に引き入れてくれたのでは無かったのか。無用な詮索をしてしまった為に機嫌を損ねてしまっているのだろうか。そんな事ばかりを考えていたものの答えに行き着く事は無かった。
アルだけが少し険しそうに視線を向けていたが、ザハルはそのままジンに構う事無く駐屯所の奥へと姿を消していった。
「ど、どうした……んだ」
ジンはそれ以降ザハルに会う事は無く、北方防備軍として面々との顔合わせを済ませ明日の移動に備え早めに床に付く事にした。
――――その日の夜中。
松明の燃える音だけが辺りに響く中、既に眠りについていたジンを隊長が足蹴に起こす。
「おいお前」
「ん……ふぁい」
「ザハル様が御呼びだ。直ぐに向かえ。ああ、装備を整えてこいとの事だ」
「……?」
移動は早朝の筈。まだ夜が更けてからは時間も然程経っていない中、ジンは不思議に思いつつも身支度を整えテントの外へと急ぎ向かった。そこには、月に照らされ反射している両刃斧を担いでいる姿があった。
「遅いぞ」
「ザ、ザハル君!」
「先日も言った筈だ。弁えろ、と。区別が付かない様なら今後お前と話す事はもう無い」
「わ、悪かったよ」
ジンは漸く理解した。ザハルは単に軍を仕切るだけの存在では無いのだ。この国の象徴とも言える黒牛の子孫。安易に接して良い存在では無い。こうして会話が出来ている事自体が周りからすれば意味不明なのだ。
「着いて来い」
ザハルはジンの追従を確認する事も無く、西の森へと足を向ける。
暫く歩いた後に口を開いたのはザハルだった。
「昼間は悪い事をした」
「いや、いいんだ。今なら分かるよ。君は市民やオレ達兵士にとっても雲の上の存在なんだよな」
「……」
「でもオレの中では、君はザハル君。友人で在りたいと思っているよ」
「そうか。ところでオレが殴った隊長はその後何か言ってきたか?」
「いや、特には」
「そうか、そいつには後日些細な物でもやらねばな」
「……?」
ザハルの口元は少し緩んでいた。
「ところで装備を整えて、こんな森の中まで来て何をしようってんだ?」
「ここまでくれば良いだろう。少し目を瞑れ。先に行っておく、潜行している間は決して開けるなよ。死ぬぞ」
「……?」
これから何が行われるのか皆目見当も付かないジンであったが、死ぬと言われれば従うしかないであろう。そのままゆっくりと目を閉じる。その直後、重力で落ちるかの様な感覚にジンは身体を強張らせる。しかし、直ぐにそれは解け全身に生温い何かが纏わり付いた。
「もう良いぞ。目を開けろ」
目を開けたジンの目の前に現れた光景。それはジンの故郷であるブラキニアの西に位置する辺境の村だった。
「ど、どうしてここに……!?」
「お前の素性は軍の調査表で調べた。お前の家はこの村だろう?」
「そ、そうだけどどうやってここまで?」
「オレは一度訪れた事のある場所であれば、影に潜り移動する事ができる。オレの意思で追従者も同様に可能だ」
「す、すげえ……色力って凄いのな」
「恵まれた才能とでも言いたいのか?」
「だってそうじゃないか! 力を得れば強く生きられる!」
「……色力に目覚めればいずれ分かるだろうよ」
ザハルは少々虚ろな目で自身の右手を見つめていた。
「ところでここに来た理由なんだが」
「ああ、ここに来て直ぐ分かったよ! こっちだ!」
ジンは数軒向こうのあばら屋へと走って行った。右手でこっちに来る様にと合図をした後に、住居ともならない小屋の中へと入って行った。
「所詮辺境はこの水準か……早く民を……」
ザハルは唇を噛み締めたままジンを追う様に小屋へと入って行った。




