四人で湖へ ③
「ぐるるるるるるっ」
その聞きなれない鳴き声が聞こえてきたのは……昼食をとった少し後だった。
食事の後、私は敷物に腰かけたままのんびりとしていた。あたたかな日差しと穏やかな風を感じながら――なんて心地よいのだろうとそんな気持ちになっている。
うとうとして、思わず瞳を閉じてしまう。このままお昼寝を出来たらどれだけ気持ち良いのだろうか。
ティアヒムとクリヒムはそれぞれ歩き回っていて、旦那様はなぜか私の傍に居る。とはいっても特に会話を交わしているわけではなくただ傍にいてくれているだけ。
――そんな中で突然、聞こえた何かの鳴き声。
はっとして、目を開く。
鳴き声のした方へと視線を向けると――そこには一匹の魔物が居た。
四つ足の獣。黒い体毛の、巨大な生き物。
……私はそれを見て血の気が引いた。だってその魔物の前には、クリヒムの姿があったから。
クリヒムのためにも立ち上がらなければならないことは分かっているのに、私は初めてあんなに危険な魔物を見たので恐ろしくて立ち上がろうとしてへたり込んでしまった。
自分の顔色が、みるみる青く染まっているのが分かる。
私がそうしているうちに、旦那様が即座に動いていた。
私の目の前で、旦那様は美しい氷の魔法で魔物のことを一瞬で仕留めてしまった。
なんて綺麗で、なんて強大な魔法だろうか。
私はこんな状況なのに、その魔法に見惚れてしまった。
一瞬で凍らされていく、魔物。そして命は失われた。
私ははっとして、なんとか立ち上がる。
足が震えているのが分かる。がくがくと震えながら、私は足を動かした。
「クリヒム!」
なんとか、クリヒムの傍によって呆然としている彼を抱きしめる。クリヒムが無事でよかったとほっとしてならない。
「大丈夫? 怪我はしてない?」
私よりもずっと、目の前で魔物を見ることになったクリヒムの方が怖かったはずだ。
だから、大丈夫だろうかと心配で仕方がなかった。私の腕の中にいたクリヒムは驚いた顔をした後、おかしそうに笑った。
「大丈夫だよ。だって父上が助けてくれたもん。それよりウェリタさんも震えているよ?」
クリヒムからそんなことを言われて、私は情けないなとそんな気持ちになる。
私はクリヒムより大人で、子供を守らなければならない立場なのにこんなに震えてしまうなんて……。
「魔物を見たのが初めてだったの。だから少し、驚いてしまって」
「そうなんだ……」
「ええ。まさか、魔物が現れるなんてびっくりしたわ」
そう口にしながら、私はやっぱり体の震えが中々止まらなかった。
人に害を成そうとする魔物ってあんなに恐ろしいものなのね。旦那様が居なかったら――、クリヒムの命は危なかったかもしれない。命は助かっても大怪我をしたかもしれない。そう思うと本当にぞっとする。
「旦那様、魔物の対応をしてくださりありがとうございます。旦那様が居なかったら……」
私はクリヒムの身体を離して、旦那様の方を向いて告げる。
本当に旦那様が居てくれてよかった。
今の、魔法も上手く使えない状況の私ではクリヒムを守ることなんて出来なかっただろうから。
それにもし魔法を使えたとしても初めて魔物と対峙する状況なので、私は魔物と戦えなかったかもしれない。やっぱりこういうのは慣れていなければ即座に対応をするなんて難しい。ああいう人に襲い掛かってくる魔物は恐ろしい存在だから。
「君は……他人のことを心配してばかりだな」
旦那様はそんなことを口にして、驚いたことに私の頭を撫でた。
「旦那様……?」
「体が震えている。君も怖かったのだろう? この周辺で魔物が出ないように間引きや魔物よけなどの対策はしていたつもりだったのだが、怖い思いをさせてすまなかった」
旦那様はそんな言葉を口にする。
……あまりにも優しい言葉をかけられるから、私は安心して泣き出しそうな気持ちになった。
旦那様は私が人を心配してばかりなんていうけれど、旦那様こそそうだと思う。
それでいて、本当に優しい。
旦那様が居てくれるだけでほっとした気持ちになる。なんというか、一緒にいるだけでなんだって上手くいくようなそんな気持ちにさえなるのだ。旦那様って、本当に凄い。
――こんな旦那様ならきっと、私が手紙を残したらちゃんと対応をしてくれるはずだ。
私はそんなことばかりを考えていた。
それからティアヒムもこちらに駆けつけてきて、私とクリヒムのことを心配してくれていた。
本当なら夕方まで湖で過ごす予定だったのだけど、そういうことが起こったので早急に屋敷へと戻ることになった。
帰りの馬車の中で、本来ならああいう魔物は出ないはずだということを聞かされて――私はもしかしたらバルダーシ公爵家がけしかけた可能性があると思い至った。
……早めに手紙を書き終えないと。私の調子がどれだけ崩れたとしても。




