088話:ファルム王国の密偵・その1
「本題ということですが、そろそろファルム王国からの間者たちをまとめて捕らえる算段が付いたということでいいのですよね」
「ええ、あなたがロックハート公爵領にいかないでいてくれて助かったわ。ようやく算段が付いて、あなたにそれを相談しようとしていたところだったのよ」
そう、今日、わたしがラミー夫人と話しているのは、そのためにジョーカー家に呼び出されたからである。
「急かしたわたくしが言うことではありませんが、よくここまで早く整えられましたね」
急いだほうがいいと言ったのはわたしだけど、ここまで早いとは驚きだ。ラミー夫人の手回しのおかげだろう。
「もともと、素性……この場合は作り上げられた虚構の素性だけど、名前も素性も居場所もわかっているのだから、そこから先を詰めるのはそう難しい話ではないわ」
それはそうだけど、そのあとのこととかを考えれば、氏素性がわかっているからすぐにひっ捕らえるなんてことができないことくらいわたしにもわかる。
「捕らえたあとの処理はどうするのですか?」
これはラミー夫人たちが捕らえて、国に引き渡すのか、それともラミー夫人側で処理するのかということ。
「陛下とは話をつけてある。一部の騎士を貸してもらえることになったし、牢も特別なところを借りられるわ」
「まあ、さすがに情報の管理も兼ねて、知るものは一部に抑えるようにしますか」
一般の牢屋に入れたらいろいろと問題も起こるだろう。情報漏洩とか、それこそ、スパイがいましたっていうのをあまり大っぴらにはしたくないでしょう。特に国内の結構深い部分にまで潜り込まれていたなんていう事実がある以上。
「だから、公表できない以上、それなりにこちらもリスクを抱えるのよね」
「例えば取り逃したときですか」
公にできないということは、捕らえるのに失敗して逃がしてしまったときに、総動員して人海戦術的に探すということができなくなる。つまり、そのまま逃げ切られる可能性が高くなるということだ。
「ええ、だからこそ慎重に立ち回っているのだけれど、それでも、もしもというときはあるわ。その場合、どうするべきか、あなたはどう考える?」
「わたくしとしては、逃がさないに越したことはないと思いますが、逃がしてしまった場合はそれで構わないと思っています。何らかの伝達手段で情報は流れていると見たほうが自然ですし、あくまで捕縛に関しては、こちらが情報を引き出すための手段という部分に重きを置いて、逃げられたら仕方ないと割り切るべきだと思いますが」
もちろん、全員を確保することが一番だ。でも、そううまくいくとは限らない。でも、無理をしてまで全員を捕縛するという必要性も実はそこまで高くない。
すべての情報が渡っているとは限らないけど、それでもいくらかの情報は渡ってしまっている。
なら割り切って、捕らえた人員から情報を引き出すということを中心に考えを進めるべきだ。それなら何人か取り逃したところで支障はないだろう。
「私と同意見ね。もちろん、こちらとしても、全員を捕らえるつもりではいるけど、それを断言できるだけの絶対的な自信はないわ。特に『闇の魔法』を使われたら何が起こるかわからないから」
「でしょうね。クロガネ・スチールはおとなしく捕まるとは思えません。ただいくつかアドバイスできることはあります」
闇の魔法というものにはいくつか種類がある。もちろん、わたしが知っているのはマカネちゃんが使ったいくつかの闇の魔法だけなんだけれど。
ただ、闇の魔法も光の魔法と同じく、使い手によって発現するらしいので、それがまったく同じものだという根拠はない。マカネちゃんのものは祖父のものをベースにしているとされていたので、近しいとは思うけれども。
「まず、『黒いもや』の動きに注意してください。大きく広がるか、直線的に伸びてきたら攻撃の予兆と判断して逃げてください。ものによっては無効化する術もありますが、判別は難しいでしょう。ですから避けることにしてください」
下手に無効化の方法を知って、無効化できると思ってできなかったときのことを考えれば、最初からその方法を教えないほうがいいだろう。
「避け方は『もや』の範囲から外れればいいのかしら」
「ええ、際はどうかわかりませんが、それなりに『黒いもや』の範囲から外れれば大丈夫だと思います」
なんかそんなに広範囲でどうこうするみたいな魔法はなかったはず。まあ、わたしが知らないだけであるのかもしれないけど。少なくとも、死神の補助線ともいえる「黒いもや」を大きくそれることはないはず。
「わかった。そのほかに注意はあるかしら」
「あとは、彼自身を『黒いもや』が包んだ場合は無理に追わなくてかまいません」
光の魔法と闇の魔法は「何にでもなる」魔法。
そう、攻撃、防御、移動、あらゆる手段に成り得る。クロガネ・スチール自信を「黒いもや」が包んだ場合は防御か移動、あるいは姿を隠すなどの魔法の可能性が高い。それなら無理に追うのは勧められない。防御ならともかく、ほか2つなら、例えばラミー夫人が広範囲を「氷結」させるとかならともかく、普通に逃げられるのがオチだ。
「それはあなたが対応した場合でも、追ったところで無理なのかしら」
「わたくしでも無理だと思います。もちろん、周囲のことを考えずに複合魔法を使えば捕らえきれるかもしれませんが、相手の無事も保証はできません」
周囲のことを考えなければ、さっきの「氷結」の話のように、「熱風」とか「業火」でとらえきれるとは思うけど、相手が無事という保証はない。「樹林」ならかろうじて……というところ。
「おとなしくあなたの忠告通りにするわ。それで決行の日なのだけれど、4日後の予定よ」
「4日後ですか。何か根拠があって決めたのですよね。それともこちら側の都合ですか?」
相手の動き的にちょうどいいと判断したのか、こちらが動くのにちょうどいいと判断したのか、どちらにせよ、4日後が好都合だったのだろう。
「彼らは定期的に連絡を取り合っているようなの。それをつかむのに時間がかかったわ。それで、その日が3日後なのよ」
なるほど、定期連絡のあとならしばらく連絡を取り合うことはない。定期連絡が来ないから何かあったとバレるなんてことが起こらないわけだ。
同時作戦で全員を一網打尽にするというほど多くの人手を動かせないからというこちらの都合もあるのだろうけど。
「では、4日後に実行するとして、時間帯はどのくらいを想定していますか?」
「職が職だけに規則的な生活を送っているケースがほとんどよ。だから、深夜はほとんど寝ている。相手がかなり警戒心を持っていて、寝ずに待ち構えているのなら明け方とかなのでしょうけど、そういうわけでもないから普通に深夜よ」
奇襲の鉄則は相手が最も油断しているときに、相手の弱点、最もされたら嫌なことをすることである。
夜襲に備えた野営地なんかでは、夜も警戒し、明け方の緊張感が一番緩い時間に襲うなんてこともあるらしい。だけど、この場合は、相手がこちらの動向に気付いていなければ、もっとも油断しているのは深夜。むしろ、規則的な生活リズム上、朝の起床は早いので夜明け前付近はあまり得策ではないというのがラミー夫人の判断のようだ。
「作戦について知っているのはどの程度の人数になっていますか?」
「私のところを中心に、陛下、ファルシオン、ファルシオンが絶対に大丈夫と太鼓判を押した騎士十数人というところかしら。あとはあなた」
少数精鋭というかほぼ国のトップしか知らない情報ということになっているようだ。まあ、ことがことだけにそうなるのが必然なのかもしれないけども。
「陛下にはどこまで説明をなさっているのですか。戦争のことまで?」
「言うべきか迷ったから、あくまでハンド男爵がファルム王国からの密偵を手引きしていたこと、それが国内の中枢付近にまで近づいてしまっていること、それをまとめて捕らえたいことあたりを適当に話して協力を取り付けたわ」
まあ、それだけで協力するには十分な情報だったからこそ、こうして動いているのだろう。
「もちろん、あなたが言っていいというなら陛下に洗いざらい説明して、もっと戦力を借りてくることも可能でしょうけど、そうなると混乱は大きいわよ」
「わたくしとしても、まず最優先は『戦争の回避』です。今の段階でそこまで公表してしまえば、戦争は必然の流れになるやもしれません。できるだけ秘密裡に動いてくださることはありがたいです」
国として公に戦争が控えていることがわかれば、世論的にも貴族的にも向こうから喧嘩を売ってきているのだから、戦争をする流れになってしまいかねない。
「それでも、彼らから情報を引き出したうえで戦争が目前とわかれば、おそらく、戦争は不可避になると思うわよ」
「虚言と判断する可能性もあります。もし捕らえられたら軋轢を大きくして、ディアマンデ王国側から仕掛けさせるためにそういうように決められていたなど。少なくとも密偵の言葉の裏付けが取れるまでは、下手に戦争へと向けて動くということはないでしょう」
そもそもスパイの言葉だ。どこまで信じるというのはこちらに委ねられる部分もある。だから、その言葉からあらためて裏付けを取るという時間が必要になる。
「裏付けを取っている間に、わたくしは『最終手段』を用いて、その後、事情説明も含めて陛下に謁見したいと思います」
「あら『最終手段』を使った場合、あなたが謁見するのは難しいのではなくて?」
まあ、確かにそうなんだけれど、それはあくまで「正規に謁見する」という行為が難しいだけだ。
「正規に謁見しない方法ならいくらでもあることはご存知でしょう?」
そう、ラミー夫人……いや、「黄金の蛇」がよく行う、隠し通路を通っての謁見も、正規手段の謁見ではない。
「そうね、そして、それはあなたにとって難しいはずもないわね。わかったわ。そうなるように言動をそれとなく誘導するようにしましょう。でも、強硬的にそう主張することはできないから期待はしないで欲しいわね」
「いえ、それだけでも十分にありがたいです」
ラミー夫人とて立場はある。そのあたりもわかっている。むしろ、そんな状態なのに、言論の誘導をしてくれることが十分ありがたい。




