087話:ロックハート公爵領・その1
わたしが自室で荷物の手入れをしていると、ドアがノックされた。こんな時間に来るのはお兄様くらいなので、返事をして、入室を許可する。ドアを開けて顔を見せたのは、予想通りお兄様だった。
「やあ、カメリア、少しいいかな?」
はてさて、何の用事だろうか。
……実はまったくもって見当がつかない。何せ、この時期の行動で主に知っているのは各ルートでの行動だけ。王子ルートのときにお兄様が何をしていたのかはまったくといっていいほど知らない。
「どのようなご用件でしょうか」
わたしは持っていた鏡を机の上に置き、お兄様のほうを向く。どのような用件だろうか。「たちとぶ」の進行では、王子とアリスちゃんが建国祭の準備でイチャイチャしているような頃合いなんだけど。王子ルートで同じ学年の面々はともかくとして、お兄様に関してはほぼノータッチだったから……。
「おや、その鏡……、普段使っているものとは別だね。新調したのかい?」
ふと、お兄様がそのようなことを聞いてくる。本当にただ気になっただけの世間話だろう。まあ、お兄様が急ぐ必要がない用事というのなら、わたしとしても無理に本題に入るつもりはないなく、世間話ぐらいは付き合うけども。
「いえ、こちらの鏡はいざというときのためのものですね」
そう、そのためにわざわざ用意したのだから、しっかりと磨いておかないといけない。まあ、使わないで済むのならそれに越したことはないのでしょうけど。
「いざというとき……、ああ、鏡を割ってしまったとか、無くしてしまったときの予備ということかい?」
「……まあ、そのようなことに使うことになればいいのですけれどね」
そんなふうにわずかばかりの世間話をしたあと、お兄様は思い出したように本題を持ち出した。
「ああ、それで、カメリアに話が合ったんだった。実は明日、領に行くんだけど、カメリアも一緒に来るかい?」
領。ロックハート公爵領のことだろう。ふむ、しかし、……正直、このタイミングでわたしが王都を空けるのはよろしくない気がする。
現状、よくも悪くも、スパイたちの動きを抑制できているのは、王都にわたしとラミー夫人、アリスちゃんの3人が揃っているからだろう。
だからこそ、ラミー夫人たちも彼らの動きを追いやすくなっていて、もう捕らえる手前という状況らしい。
しかし、ここでわたしが王都を離れてしまうと、何かしらの動きがあって情報を得やすくなるかもしれないけど、その分、捕らえづらくなってしまうおそれがある。
だから、できればわたしはしばらく王都を離れたくないのだけれど……。どうしたものか。
「ああ、別に何か用事があるというのなら全然そちらを優先してくれてかまわないんだ。領地のほうを全然見ていないから機会があればということで誘っただけだから」
確かにわたしはロックハート公爵領をほとんど見ていない。生まれてからずっと王都にいるし、何度か訪れたことこそあるものの、ほとんど向こうの屋敷からは出ていない。
王子の婚約者になって以降は、ほとんど王子との交流のために王都を離れていないし、誕生日の祝いも王都で行っているため、お兄様の誕生日の祝いで、年に1回訪れるくらいだろうか。
「ありがたいお話ですし、わたくしとしてもじっくりと見て回りたいところなのですが、建国祭が終わるまでの間、王都を離れるわけにはいかないのです」
建国祭が終わるまでの間、わたしは、スパイたちの動きの抑制のために動けない。捕らえたあとは、戦争回避のために行動するため動けない。建国祭が終わったら終わったで、しばらく領地にもいくことはできないでしょうけども。
「そうなのか……。まあ、何か事情があるなら仕方がないよ」
まあ、その事情については話すことができないけど、後々になれば、意味がわかる……かもしれない。まあ、スパイがいたなんてことを大ぴらに公表するわけにもいかないので、わかるかどうかは微妙だけども。
「それじゃあ、ボクは明日、領にいっているから」
お兄様はそういうと部屋を出ていった。申し訳ないことをしたとは思うけど、いまは仕方ないと割り切るしかない。
ロックハート公爵領。
わたしはあまり行ったことがない。
王都からは東側に面していて、北方を占めるのがジョーカー公爵領なら東側を占めるのがロックハート公爵領だろう。
土地は平地が多く、気候も安定し、北方から流れる川がいくつもあり、非常に農耕に適した土地柄なため、広大な耕地が確保でき、農作物が豊かである。
その代わり、川の氾濫などが起きることもあるため、時期によっては、お父様が出ずっぱりで対応にあたることもある。まあ、5年に1回あるかどうかくらいの頻度で、わたしも川の氾濫が理由でお父様が家を長期で空けていたのは2回程度しか記憶にない。
また、動きが活発なファルム王国がある西側と違い、穏やかで良好な関係であるものの隣国と接しているロックハート公爵領は関所の管理などで常に適正なバランスをとることが要求される土地でもある。
「まあ、あなたの場合は、殿下の婚約者という立場上は、嫁ぎ先である王都を中心にしていることは間違いではないと思うわよ。あなたが嫁ごうと思っているかは別としてね」
お茶を飲み、一息つきながら、ラミー夫人はそう笑う。それは、「いま」ロックハート公爵領に行かなかったことに対する答えではなく、これまであまり行かなかったことに対するものだろう。
「それにしても、北方……ベリルウムとクロムに対してはジョーカー公爵が、東側はロックハート公爵が対応しているけど、そう考えるなら南は海だからまだしも、西側も公爵家に任せるべきだったのかもしれないわね」
確かに国に面している側に関しては公爵家というこの国でも有数の権力を持っている家が対応にあたっている。
権力を持つということは、それ自体が牽制になるということだ。
力を持っているということはそれだけ責めづらいし、そこと交渉するということは、ほぼ国そのものと交渉していることに同義だ。だからこそ、北方も東側もそれぞれ適任に領地をあたえたはず。
では、なぜ、活発でより牽制が必要であろう西側にはハンド男爵領をはじめとした、けっして強いと言える家ではないのはなぜなのだろうか。
「もともとはね、ツァボライトとは交友関係が深かったし、ファルムもそこまで活発ではなかったのよ。少なくとも東側よりはね」
かつては東側が荒れていたらしい。と言っても隣国で荒れていたというよりは、それよりももっと東側で大きな戦争が起きていて、その余波を懸念してという感じだろうけど。
「ファルム王国が活発になったのは、おそらく、ツァボライト王国の秘宝の存在を知ったからでしょうね。だからそれまではおとなしかった」
「まあ、そうでしょうね。どこから知ったのかはわからないけど、まあ、効果を聞けばこの大陸を……、いえ、場合によっては世界を支配できるかもしれない力だものね。むしろ、ツァボライトが大きく利用しなかったことのほうが驚きよ」
魔力を増幅させる。そんなことができれば、戦力のバランスは大きく変わる。さらにそれを研究して再現することができれば、弱い魔法使いも即日強い魔法使いに生まれ変わる。
それを国家の秘宝として、大きく利用することもなく、まれに王族だけが使うという状態でとどめていたツァボライト王国。
だけど、それはすごいというよりは、状況を理解していたというべきなのかもしれない。
「いくら魔力を増幅させられるとはいえ、それを喧伝してしまえば隣国すべてを敵に回してしまうでしょう。そういう力があるものを持っていると知られずにいることのほうが大事だったのでしょう。それにツァボライト王国はアルミニア王国やファルム王国と比べると国力差が大きかったと聞きますし」
魔力を増幅させたところで勝てない壁というものがある。そもそも、大海を経由して多くのものを得られるアルミニア王国や資源が潤沢で発展したファルム王国に比べると難しいと考えたのかもしれない。
ディアマンデ王国とは友好的だったから、戦争をしようとも思っていなかったでしょうし。
「本当にそれだけなのかしら。……もしかすると、あなたの『知り得ない知識』でもわからなかったさらなる秘密があるなんてこともあるかもしれないわ」
「まあ、ないとは言い切れません。わたくしが知っているのはあくまで魔力増幅ができること、ツァボライト王国の王族にしか使えないこと、それを巡ってファルム王国が攻め込んだこと、いまはウィリディスさんが持ってディアマンデ王国にいるということ。これだけですから」
さらなる隠し設定があると言われても「そうなのか」とうなずくことしかできない。でも、外伝短編小説とかでは特に触れられていなかったと思うんだけどなあ……。
「まあ、あるいは、本当にあなたの言うように、国力差で勝てないとわかっていたから封印していただけという可能性も十分にはあるけれどね」
ウィリディスさんなら何か知っているだろうか。どうなのだろうか。
「前置きの雑談はこのくらいにしておきましょう。それよりも本題へ行きましょうか」
「もともとロックハート公爵領の話を振ったのはあなただったと思うんだけどね。そうね、本題に行きましょうか」




