084話:アリス誘拐事件・その6
前にも訪れた王都のカフェで、わたしとアリスちゃんとパンジーちゃんはお茶をしていた。この席はパンジーちゃんの複合魔法習得を記念したもので、かつ、アリスちゃんへのお詫びという意味も込めたものである。
「それにしても王都でも誘拐事件なんてものがあるのね」
とコーヒーを飲みながら、パンジーちゃんはしみじみという。まあ、王都でも中々ある話ではないだろう。少なくとも、王都の外に出てしまって誘拐されるという話はたびたび聞くが、王都内で誘拐されたなどという話は聞いたことがない。
「パンジー様の領内では発生しているのでしょうか?」
辺境の治安がどの程度なのかわたしにはわからないので、パンジーちゃんに聞いてみる。するとパンジーちゃんは肩をすくめて苦笑いする。
「商家が狙われやすいわね。まあ、基本的に平民も商家も漁業関係で生計を立てていますから、共生関係がきっちりしているので、そういう野蛮なことをするのは領外からやってきたものが多いけれど」
「農家と商家の関係ならわたしにもわかりますけど、確かに農家がそんなことをしても信頼を失ってしまうだけですもんね」
漁師は漁業で得た魚を、商人におろして生計を立てる。商人はそれを売って生計を立てる。共生関係というか協力関係というか……。当たり前の関係性だと思うけど。だからこそ、それを崩すようなバカはそうそういない。
まあ、だけど、絶対に領外のものかといえばそんなことはないようだけど。
「ただ、今回の件は特例でしょう。本来なら、騎士が止めています。さすがにこのようなことが何度も起きるような杜撰な管理をスパーダ公爵が許さないでしょう」
ファルシオン・スパーダ公爵。クレイモア君の父親に当たる。厳格な彼なら、再発防止を徹底するでしょうし、似たような事件は起こさないでしょう。特に、今回は、クレイモア君が指揮を執って解決したので、ごく一部では、次のスパーダ公爵であるクレイモア君の箔付けのためにわざと見逃したのではないかなどという下らない話も出ているくらいだし。
「まあ、そうでしょうね。じゃなかったら王都はもっと危険にあふれているとも思うもの」
「わたしも騎士の方々にはお世話になっていますけど、仕事に真面目な方たちが多いので、たぶん一生懸命、もう起こらないようにしてくれると思います」
騎士のこれまでの功績や公平さは知れ渡っているので、それこそ、先ほどのようなくだらないうわさ話はすぐにでも払しょくされていくでしょう。クレイモア君の真面目さを見ればわかると思うけど、ファルシオン公爵も似たような真面目な性格だし。まあ、親子で性格の似ていないトリフォリウム公爵とシャムロックのような例もあるけど。
「それで誘拐事件は終わったことなので置いておくとして、このお茶会はパンジー様が複合魔法を使えるようになった記念だと聞いているんですが、前に聞いたときはものすごく難しいって言っていましたよね?」
そう言えば、前回のお茶の席でも複合魔法について話した気がする。
複合魔法が難しいというのは天使アルコルでさえ、そう認識しているくらいには事実であると思う。
「ええ、パンジー様はこの国で2人目の複合魔法の使い手になったのです」
わたしの言葉に複雑そうな表情をしているのは、実は3番目ということを知っているからだろう。しかし、それを言いださないだけの口の堅さはある。
「よもや本当に複合魔法を習得することができるなどということが……」
複合魔法の話に食いついたのか、気が付けばアリスちゃんの後ろにはアルコルがいた。彼女は難しい顔で「そんなはずは……」などとブツブツつぶやいていた。
「2人目ということは、本当に難しいんだなあってことはわかるんですが、実際、どのくらいなのかというのがいまいち……」
まあ、そうだろう。特にアリスちゃんは魔法というものに親しみがない状態だから、余計にわからないと思う。
「本来は難しいなどという次元の話ではないのですが……。それこそ、魔法という仕組みが生まれてからの時間を考えれば、もっと先、数世代、いえ数十世代先の人類がたどり着くべき可能性です」
……魔法という仕組みが生まれてからの時間を考えれば?
その言い方だと、魔法という仕組みが生まれてからそんなに時間が経っていないというような言い方に感じる。でも、魔法学というか魔法の歴史をさかのぼれば、遥か昔から魔法は存在していたはず。
いや、天使の時間感覚をわたしたち人間に当てはめるのが間違いか。彼女にとっては短い……僅かな時間だとしても、それがわたしたちにとって、長い時間である可能性は十分にある。
「難しさを説明するというのは非常に難しいですが、そもそも、複数の属性をもって生まれることが珍しいですから、そこからさらに複合魔法と呼ばれるものに至るまでは、本来、何世代もの時間を経ないと難しい……のかもしれません」
それこそ、多くの人が複数の属性の魔法を使うことができるのなら、その分だけ研究が進み、複合魔法の修得は早まるはず。人数が少ないからこそ、何世代もかかるとアルコルはいっているのだとわたしは解釈した。
「資質を生まれ持つこともそうですが、それぞれ別の神より賜った力を合わせるということを成功させられるというのが奇跡に近しいことだと認識したほうがいいでしょう」
確かに、魔法というものは、わたしたちが信仰し、その結果、神からいただいた恩恵のようなものだとされている。その恩恵を合体させるなどというのは不敬にあたらないのだろうか。……まあ、成功している時点で、あたらないということでいいのだと思う。
「でも、私の魔法はまだまだ不完全。普通に魔法を放つのと同じようにはまだまだできないわ。それができてこそ、初めて、複合魔法が使えると言えると思うから、まだ、大々的に喧伝する気にはならないわね」
未だにパンジーちゃんは、発動するまでかなり時間がかかる。集中して集中して、ようやく3回に1回成功するくらいの状況。この状態で変に注目を集めても、パンジーちゃん自身困るので、複合魔法が使えることはほとんど言っていないようだ。
「そういえば、カメリア様は複合魔法がほかの属性で使えないか研究していると言っていましたけど、その後、進展がありましたか?」
アリスちゃんの問いかけは本当に話題振り程度なのだろう。言葉の端々から、アリスちゃんは「よくわからないけど」と心の中で前置きをつけていそうな雰囲気を感じられる。
「そう短い期間で進展はありません。それこそ、もっとずっと長い時間をかけて解明していくものだと思いますよ」
と言ってから心の中で「本来なら」と付け足した。わたしはビジュアルファンブックという反則級の知識で6種類を把握していたので、解明というか知っていたというか……。
「まあ、それはそうですよね。いくら三属性の魔法使いとはいえ、そんなに簡単に新しい魔法は見つけられませんよね」
というアリスちゃんの後ろで考えるようにわたしを見るアルコル。
「しかし、火と土と水でしたか……。ウソのような三属性ですね」
ふと彼女がそんなことをつぶやいた。ウソのような三属性とは一体どういう意味か。三属性使えることが嘘くさいという意味合いではないように感じた。
「神々の関係性の問題上、もっとも組み合わさらないものだと思っていたのですが……」
神々には関係性というものがあるようだ。神話で語られている関係というのと、天使アルコルの言っている関係性が同じ……とは思えない。
なぜなら、神話の関係性なら土と火と水は深いほうだと思う。
――月と太陽。太陽から風が生まれ、風が水を生み、水が土と木を生み、土と木が火を生んだ。
これがドゥベイドにも記されている神々の関係性。これで言うと、わたしの使える三属性は関わりが深いように思えるのだけど、アルコルからすれば関係性からすればあり得ないらしい。
「複数の属性が与えられるとしても水と土、土と火、水と火、風と木、これらは組み合わされないものとばかり……。いえ、魔法の仕組みに関しては関与していないので、もしかして、そういうことがありえるようになっていたのかもしれませんが」
わたしは彼女の言う属性の関係性を頭に浮かべて、1つのことに気が付く。
複合魔法が存在しない組み合わせ。
光と闇の魔法を除いた五属性をそれぞれ組み合わせは10通り存在して、複合魔法が存在する組み合わせが6通り、つまり、存在しないのが4通り。その存在しない4通りこそがアルコルの挙げたペアたち。
つまり複数の属性をもって生まれる場合、複合魔法ができるような魔法をもって生まれる可能性が高いということ……なのだろうか。
「まあ、難しい話は置いておいて、今日はコーヒーを飲んで、落ち着きましょう」
アルコルの言葉が聞こえていたわけではないだろうけど、わたしがそれを聞いて黙りこくっていたのは難しいことを考えているからだと判断したであろうパンジーちゃんが、そういってコーヒーを飲む。
まあ、そうか。考えることなら後でもできる。
わたしはそう思い、コーヒーを飲む。苦みとともに、思考を一時的に脳の隅っこへと追いやった。
「そういえば、もうじき建国祭ですね」
難しい話から遠ざかるために、適当な話題として提供したのは「建国祭」というわかりやすいお祭りの話だった。
「……実は私、建国祭についてあまり知らないのよね」
パンジーちゃんが目をそらしながら言う。まあ、確かにブレイン男爵領は王都からも遠いし、特産品も日持ちしないとなると、あまり「建国祭だから王都に行くぞ」とはならないか。
「わたしもあまり知りません」
「まあ、詳しい説明は、今度、クロガネ先生がしてくださるでしょう。それにもうじきと言っても数日とかではなく、もう少し先だから身構えなくても大丈夫です」
そう、わたしが確認している範囲で、そこまではクロガネ・スチールがこのディアマンデ王国にいる。そのあとどのタイミングでファルム王国に戻るのかは、まだ、わかっていない。
わたしは再び難しいことを考え出した頭をリセットするために再びコーヒーを流し込んだ。




