083話:アリス誘拐事件・その5
誘拐事件から数日後、わたしはラミー夫人の私室にいた。もちろん、誘拐事件の裏で進められていた調査に関する報告を受けるためである。わたしが席に着くなりラミー夫人は話を始める。
前置きや世間話がないことから、それなりに切羽詰まった状況なのだということは伝わってきた。
「潜入者たちの規模がおおよそわかったわ。それこそハンド男爵を介していないものでもかなりの人数になるわね。まあ、予想していた範囲ではあるのだけれど」
おそらくそれで判明しなかった人もいただろうから、実数はつかめていないでしょうけど、それでも多いというのだから、本当に多いのだろう。
「およそ20人と言ったところ。つかめていないものを含めればおそらく30か40か。まあ、こちらに関しては防ぎようがないから仕方のない部分ではあるのだけれどね」
まあ、深く潜り込めない代わりに大量に送り込むことができるのが、平民や商人としてこの国に入り込んだスパイだ。重要度の高い情報こそ望めないけど、国で起こっている出来事の大半を軽く把握できる。
それこそ、商人なら国家間の移動もしやすいし、平民なら領主のことがある程度わかる。そうして蓄積された情報は、いざというときには何らかの役に立つことがあるかもしれない。だからこそ、ディアマンデ王国も多数の国にそうしたスパイを潜り込ませているし、同じことをファルム王国がやっても何らおかしくはない。
「それら全員を一斉に押さえるのは難しいでしょう。やはり基本的にはハンド男爵が仲介した15人を中心的に考えて問題ないと思います」
情報をほとんど持っていないであろう下っ端まで捕まえようとしていてはキリがない。重要な情報を持っているであろう人たちを中心に捕らえるほうが正しいと思う。全員に労力を割いて、逃げられてしまうよりは、重要な部分に力を注ぐべきだろう。
「ええ、そうね。ああ、それからハンド男爵が仲介したというので思い出したけれど、あの誘拐事件中に不審な行動をしていた人物がいたわ」
不審な行動とはまた……。スパイなのだからどの行動も不審に見えるでしょうけれど、それを踏まえてなお、「不審な行動」というのだから、そういうレベルではなく、明確に不審だったということでしょう。
「クロガネ・スチール。彼の監視を任せていたものの証言によれば、突然彼の体を黒いもやのようなものが包んだそうよ」
ああ、なるほど。それは天使アルコルの言葉からもわかっていたこと。「闇の力に呼び起されしもの」からの妨害があったと。それを考えれば、その黒いもやのこともわからなくはない。
「それは闇の魔法の兆候ですね。いえ、正確には魔法になっていない死神の残滓とでも言いましょうか」
黒いもやについては「たちとぶ2」でマカネちゃんが闇の魔法を使うときの表現として登場している。イベントスチル的にも「もや」と呼んで差し支えないもの。
「確かに奇怪な現象だったそうだけど、それだけではなくて、何やら手を動かしてもやに指示を出しているみたいだったらしいわ。それが闇の魔法なのかどうかはこちらじゃ判断つかないし」
確かに、おそらく、いま、この世界でほぼ闇の魔法の詳細を知っているのはわたしと天使アルコルを除けば、闇の魔法使い……闇の力に呼び起されしものくらいでしょう。
「アリスさんが天使アルコルと話していた内容を聞きましたが、どうにも闇の魔法使いが妨害していたと。ですから、クロガネ・スチールのそれはおそらくその行動かと」
まあ、それが聞こえていたのは、わたしとアリスちゃんだけだろうから、ほかの証言も何もないので、ラミー夫人にはわたしとアリスちゃんが口裏を合わせているのか、本当のことを言っているのか、それを見極めるのは無理だろう。
「……闇の魔法には、その『黒いもや』が必ず関係するのかしら」
「『黒いもや』は先ほども言ったように、あくまで魔法の兆候でしかありません。正確に言うのなら、闇の魔法使いに闇の力が使いやすいように示す、死神の道しるべとでも言いましょうか」
光の魔法も闇の魔法も、その存在が存在だけに、ほかの魔法ほど訓練方法や使い方の指導が整っているわけではない。特に闇の魔法ともなると、それを使うところを見られたら厄介なことになるので、ほとんど人前で使う機会などないらしい。
マカネちゃんに関しては祖父がそうだったということもあり、それなりに受け入れられていたそうだけど、それでも最初は土の魔法使いということにしようとしていたらしいし。
それを考えれば、闇の魔法使いが魔法を正しく使うのは難しいわけだ。だから、死神は、それを補助する。
「つまり、それを介さずに発動することもできるのよね」
「まあ、できると思いますが、少なくとも大規模なことにはほとんど『もや』が必要だと思っていただければ。わたくしも正確なところまで把握しているわけではありませんから。あくまで、知識としてそういうものだということを知っているだけですので」
一応、マカネちゃんは最初から最後まで「もや」が出ていたけど、それがクロガネ・スチールにも適用されるのかどうかはわからない。
「あと、一応ですが、『黒いもや』にも種類がありまして、それしだいでどのような魔法が行われるのかが判断できるのですが、これを言語化して説明するのは難しいのですよね」
これに関してはイベントスチルの差分というか、エフェクトが魔法の発動する形によって異なるのだ。なので、それを見れば、闇の魔法で何をしようとしているのかはある程度予想ができる。だけど、そのエフェクトの違いという視覚的な要素を言葉で説明するのは難しい。端的に言ってしまえばすべて「黒いもや」であることには変わりないし。
「つまり、あなたは『闇の魔法使いの天敵』ということね」
「役割的にはおそらく、アリスさんがその位置なのでしょう。わたくしはあくまで、その端に添えられているだけに過ぎません」
光と闇、おそらく役割的にも対比するのはこの2人だろう。ただ、わたしの知る限りでは「たちとぶ」中で、光と闇の直接的な戦いは起きなかった。国家間の戦争という形でこそディアマンデ王国に光の魔法使いが、ファルム王国に闇の魔法使いがいたわけだけれど。まあ、それが適用されるなら「たちとぶ」においては光と闇では闇が勝ってしまったことになる。
「それから、わたくしから1つ忠告するとしたら、先ほどの15人を捕らえるのはできる限り早いほうがいいかもしれません」
「それは、まあ、早いほうがいいというのはわかるけれど、何かあるということかしら」
これに関しては前々から言っていたようにタイミングというものがあるという部分。クロガネ・スチールがどのタイミングでファルム王国に戻るのか。そこに関わってくる。
「もしかすると、彼らはもうじき撤退するかもしれません。現に、クロガネ・スチールは、誰かに見られる危険があるにもかかわらず、闇の魔法を使っています。それはおそらく見られても問題ないと判断したからでしょう」
つまり、すでに撤退することが決まっている。
それがウィリディスさんを見つけたからなのか、クロガネ・スチールたちが撤退することに決まっただけなのかの判断は難しいけど、実際、その後に戦争が起きたことを考えると、捜索担当のスパイにウィリディスさんが見つかったという可能性も否めない。
「考えすぎ……とは言えないわね。あなたが前に話した戦争が始まるのが今年の最後の月。それを考えると、そろそろ動きがあってもおかしくないわ」
ラミー夫人はその意図を汲んでくれたようで、そのように納得していた。そして、少し考えてから、
「もう少し泳がせてからと考えていたけど、捕らえる方向に指示を出しましょう」
これでどこまで変わるものか。全員逃がさずに捕らえられればいいけれど……。もし、運命に強制力というものがあるのなら、少なくともクロガネ・スチールは、戦争が始まった時点でファルム王国にいるようになるかもしれない。
もちろん、そうならない可能性も十分にある。
「ああ、それから、インテスティン子爵のことについて話すのをすっかり忘れていたわ」
スパイに関しては捕らえるということで一旦結論が出たから、そこで話が一区切りしたということもあり、ラミー夫人が持ち出したのは誘拐事件の顛末に関するものだった。
「そういえばそうでしたね。どうなりましたか?」
わたしもほとんどそのことに触れるのを忘れていた。正直どうでもよかったというか、もう、終わったこととして頭の中で処理していた。
「当然、今回の一件の責任の大半が彼にあることになって、爵位ははく奪、領地は次の領主が決まるまで、代理でクロウバウト公爵家から人員が派遣されているわ」
まあ、予想通りというかなんというか。処刑されなくてよかったねというくらいか。というかここまでした子爵が処刑されないのに、わたしが邪魔だからという理由だけで処刑されるのは納得いかないわ。まあ、一応、建前上の理由はでっち上げられていたけれども。
「誘拐犯たちの処遇はどうなりましたか」
まあ、貴族はともかくとして、彼らくらいは処刑になっているかもしれない。普通に犯罪者だし。
「誘拐犯は再度投獄。王都の牢屋で過ごすことになるでしょうね」
無期懲役。……。いや、まあ、それを考えても意味がないのでいいか。わたしがなぜ処刑になったのかではなく、どうすればならないのかのほうが重要なのだから。
「まあ、これでストマク元伯爵の屋敷も、そろそろ国が重い腰を上げてどうにかしてくれるでしょう。いままで放置していた国にも責任はあるわけだし」
確かにそうだ。誘拐犯が拠点をつくれたのは、国に一因あるとなれば、大きな問題になりかねないし、再発防止のためにもストマク伯爵の屋敷はきちんと取り壊すなり、修繕して別の誰かが使うなりすべきだろう。
「これを機に、王都周辺の中途半端な国有指定地域とか国有森林緑地とかそういう部分の整理と処理が進むことを祈りましょう」
「ああ、それもあったわね。取り上げるだけ取り上げて、そのあと放置するのはクロウバウト家にも責任があるとは思うけど、まあ、その辺は私の仕事ではないし、いいでしょう」
まあ、その辺の仕事はどちらかと言えば、ラミー夫人ではなく、夫のユーカー公爵の仕事でしょう。
「では、報告も一通り終わりましたから、わたくしはこれで退席させていただきます」
「ああ、アリスさんとお買い物だったわね。捕縛の件はこちらで動いておくわ、楽しんでいらっしゃい」
そう、わたしはこの後、アリスちゃんとの約束を果たすべく、彼女と王都の街を歩かなくてはならないのだった。
ペコリと頭を下げて、わたしはラミー夫人の部屋を後にした。精いっぱいの感謝と謝罪の気持ちを詰め込んだ「ありがとう」という言葉を投げかけてから。




