075話:校外学習・その5
登山道を進み、関所に続く道の途中で、山頂へ向かうほうへと逸れて、しばらく登ったその先に、小さな屋敷があった。
小さなというのは、わたしの家などに比べたらというだけで、小屋とかそんなほど小さくはなく、普通にここにいる人数が泊まれるだけの屋敷だ。
というかどうやってこんなところに建てたのだろうか。資材の運搬だけで相当大変だろうけど。その辺りの細かな事情はビジュアルファンブックにも載っていなかったのでわたしは知らないけど、別に「校外学習のために建てられた」というわけではなくて、ベリルウム王国からの使者などが吹雪や雪崩で進めなかったときのためだとかそんな感じのことは載っていたかもしれない。
人数がそこまで多くないだけあって、各部屋に1人ずつ泊まることができるようだ。まあ、ホテル・アルジャンのようなスウィートルームなわけがなく、普通にベッドと机があるくらいの簡素な一部屋だけど。
料理もそんなにいいものが出るはずもなく、ディナーはごく一般的なものだったけど、不満が出るようなことがなかったのは「空腹こそ最高の調味料」という言葉通りなのだろう。登山で疲れた体と減ったお腹ゆえにおいしく感じた。
そうして訪れた夜。まあ、夜と言ってもイベントが進むのはもっと夜が更けてから。いまは一時の休憩とでもいうべき時間だろうか。
わたしは考える。これから先のことを。
王子ルートに入ったとしたら、これから待っているイベントは誘拐イベントと建国祭。それ以外のルートに入ってしまった場合は……。
無数にある選択肢。進むべき道と違えてしまったときの対応策。考えても考えてもキリがないことはわかっている。それでも最悪の事態を想定してしまう。
寝る前なので、巻かずにおろしている髪をくるくるといじりながら考える。
ビジュアルファンブックに載っている情報なんて限られているのはわかっている。わたしにもわからないことはいっぱいある。
この国より昔の話だって、アルコルのいうロンシィという名前だって、わからないものはわからない。でも、わからないならわからないなりに何かしないと、考えないといけない。そんなふうに思ってしまう。
このままでいいのか、いままでは正しかったのか。
それはきっと、これから先もずっと抱えていく疑問。だって、答えなんてないんだから。
窓から空を見上げる。高く広がる星空がわたしを見下ろしていた。
時間は過ぎ、空が赤らんできた。もしかすると平地ではすでに夜明けを迎えているかもしれない時刻。窓の外に人影を見た。
共通ルートの共通パート最後のイベントにして、分岐イベント。
ここでアリスちゃんがだれを思い、だれがアリスちゃんの元にやってくるかでルートの分岐が確定する。
一応、手は回しておいた。だけど、それがどの程度有用なのかわからない。「イベント」という規定された道のりにどの程度まで作用してくれるのか。
だから、わたしは見守るしかできない。
夜明け前の明るくなっていく空を見つめるアリスちゃん。「たちとぶ」の通りなら、魔法学園にきてからの出来事を振り返っているはずだ。起きたイベント、あった出会い、そうしたものを思い出し、馳せる。
そして、最後に思い出を振り返った結果、強く思う人がいる。
そのアリスちゃんに近づく人影が。
わたしはコートを羽織り、はやる気持ちを抑え込みながら、なるべく足音を立てないように外に向かう。
屋敷の出入り口に着くと外からの声が聞こえてきた。
「アリス、こんなところで何をやっている?」
その声を聴いたとき、わたしの心臓はトクリと音を早めた。いますぐにでも飛び出して確認したくなる気持ちを抑えながら、アリスちゃんの反応を待つ。
「王子様……、少し、思い返していたんです。魔法学園にきてからのことを」
そう。王子ルートに決まった瞬間だ。これは、王子のルートに分岐するときの分岐イベント。
「そうか……。来て後悔はなかったか?」
「つらいこともたくさんありました。後悔もたくさんしました。でも……、わたしはカメリア様や王子様、みなさんと出会えて、いろんなことをいっぱいできて、わたしは、来てよかったと、そう心から思っています」
そういって笑うアリスちゃんの背後から、ちょうど太陽が昇り始め、まばゆい光がアリスちゃんを照らす。まるでアリスちゃんが光を放っているかのように。
「アリスは太陽のようだな。この銀嶺を照らす」
銀嶺、銀嶺山脈はディアマンデ王国の象徴。つまり「銀嶺を照らす」というのは「この国を照らす」という言葉の比喩。
「そう……、『銀嶺の光明』だ」
これが「銀嶺光明記~王子たちと学ぶ恋の魔法~」の共通ルートでのタイトル回収。ここで初めて「銀嶺光明記」とは「この国を照らす物語」という意味なのだとプレイヤーは理解する。
まあ、各ルートでもう1度、真の意味で「銀嶺の光明」について触れられ、タイトルを回収することになるのだけど。
「そんな……、わたしなんかよりももっと太陽にふさわしい人はいますよ」
苦笑するさまがわたしにはありありと浮かんだ。まあ、逆光で顔ははっきりとは見えないんだけど。このあたりは、「たちとぶ」のイベントスチルとも重なるので、情景がより鮮明に浮かぶ。
「ほかに、か。例えばだれだ」
「王子様も同じ人を浮かべたのではありませんか?
カメリア様ですよ」
わたしが太陽?
確かに髪色は太陽っぽいといえば太陽っぽいけども。それなら金色に煌めくアリスちゃんの髪も十分に太陽っぽさを持っていると思う。
「あいつか。……あいつはオレの中では太陽ではないな」
……まあ、王子からすればそうだろう。王子にとってわたしは太陽のような明るいものではないのではないだろうか。
「カメリアはオレにとっての『世界』だからな」
世界。それは……どういう意味だろうか。もう、このあたりの言葉は「たちとぶ」から変わりすぎているため、わたしにはその意図も思いも、読み切れない。
「世界ですか?」
「そうだ。あいつと出会うまで、オレの『世界』は『部屋と夜空』だけだった。もちろん、それ以上の世界が広がっていることは知っていたが、それでも感じられるものではなかった」
確かに、わたしと出会うまで、王子は部屋という小さな世界で生きていた。だからこそ、星を見ることと読が趣味になったのだから。
「カメリアがオレの『世界』を広げてくれたんだ。そして、気づけば、オレの『世界』はカメリアそのものになっていた」
わたしは自分で顔が熱くなっていくのを自覚した。鏡があればきっと、わたしの顔は赤くなっていただろう。それはきっと、寒さによるものではない。
「だから、あいつは『世界』なんだよ」
「カメリア様に直接おっしゃらないんですか?」
確かに、こんなことを直接言われたことはない。すると王子は苦笑しながら、「言えるかよ」と言った。
「あいつはたぶん、出会ったときから変わっていない。『目的』とやらに向かってずっと歩んでいる。あいつにとって、オレは『目的』の通過点だ。だから、オレは、あいつが『目的』を遂げた後の『目的』になりたいのさ」
そのあと「あいつには言うなよ」と王子は付け足したけど、うん、全部聞こえている。しかし、まあ、思いのほか、王子からわたしへの好感度が高かったことが意外だ。
……顔が赤くて、出ていくに行けない状況。どうしよう。部屋に戻る?
「わたしは、カメリア様に、カメリア様とともに歩みたいと告げたら、カメリア様は王子様とともに歩もうと思っているから、『わたくしとともに殿下と歩みませんか?』とおっしゃっていました」
な、なんか告白大会みたいになってる……。き、気恥ずかしすぎて逃げたい。でも、何を言われているのか気になるのも人間の本能。
「あいつ、勝手なことを……」
「でも、それでも、カメリア様は王子様と歩むとおっしゃっていました」
なんか、わたしが「王子と結婚したいんだよね」みたいなことを言っていたのを暴露されている状況になっているんだけど……。いや、あれはアリスちゃんと王子をくっつけるための一環であって……。
「それはどうだろうな。あいつのことだ、何やら裏があるかもしれん」
「裏なんてありませんよ!」
なぜアリスちゃんがそんな断言をする!
というか裏がありまくりで申し訳ない気持ちになるからやめて!
「あ、あの、人の言葉で裏があるだのないだの、勝手に話して盛り上がるのはやめていただきたいのですけど」
気恥ずかしさに耐えきれず、思わず、口を出してしまった。いまだに顔が熱いので、きっと赤く染まっていることだろう。それが寒さによるものではないことをあんまり悟られたくはない。
「お、お前、いつから」
「い、いつからでしょうね」
できるだけ平然な態度でいようとしたけど、面と向かって目を合わせると、気恥ずかしくて思わずそらしてしまった。その時点で、わたしが少なくとも王子の話の前にはいたことがわかってしまっただろう。
ころころと表情を変える王子に対して、沈黙のアリスちゃん。しばらくわたしの顔を見ていたかと思うと、ふと思い至ったかのように、
「……あ、カメリア様!」
とようやくわたしだと気づいたという感じだった。逆光でこちらからアリスちゃんが見えないのはともかく、アリスちゃんからわたしたちが見えないということはないはずなんだけど。
「す、すみません。髪を巻いていないので」
ああ、そういえばそのままコートを羽織って降りてきたから髪を下ろしたままだ。しかし、その程度でわからなくなるだろうか。
「オレですら、髪をおろしているお前は久々に見たからな。出会ってからずっと髪を巻いていたお前しか知らないアリスは驚いてもおかしくないだろ」
「どれだけあれに目が行っていたんですか?」
髪を巻いた部分に注目しすぎだろう。いや、目立つだろうけどさ。わたし自身、相当目立つと思っているけど、「たちとぶ」のキャラクターデザイン合わせたのだから仕方ない。
「いや、行くだろう、あれは」
「す、すみません……」
そこまで!?
そんなふうに話はいつしかいつものような談笑に変わっていく。わたしたちは銀嶺の頂に登ろうとする太陽を見ながら、その光明とともに笑いあった。
しかし、王子の言葉を考えると処刑の可能性はほとんど消えたと見ていいのだろうか。
いや、それはあくまで王子が自ら処刑するという可能性が低くなったというだけだろう。
運命の強制力。「イベント」というものが「たちとぶ」の通りに進行するのだとしたら、王子がわたしを処刑せざるを得ない状況になっていくかもしれない。
わたしが考えて、ラミー夫人に言った策がうまく使えればいいのだけど。
そんな思いを抱きながら、校外学習は終わりへと向かう。
戻ったらラミー夫人と、わたしがいない間の様子について話さないと……。




