074話:校外学習・その4
銀嶺山脈には登山道がいくつか存在している。その多くはいずれかの山の頂上付近か、ベリルウム王国への関所とつながっている。
今回、わたしたちが登るのは、もっとも緩やかな登山道で、山2つほど跨いで登っていく。登山道の入り口で、北方が誇る特産品の毛皮のコートを借りて、整備された登山道を進む。
道自体は、かなり雑な整備であり、正直、道というべきかどうかも危うい部分はあるけど、何もないよりはましだろうくらいのものだ。
そんな中、道端にしゃがみこんでいる人物が目に入った。最初は疲れて、しゃがんでいるのかと思ったが、どうにも違うようだ。人が人だけにサボりかとも思ったけど、そういった様子でもない。
「このようなところでしゃがみこまれて、どうかなさいましたか、シャムロックさん」
登山道にしゃがみこまれても道がふさがって邪魔なんだけど。そう思って、シャムロックを見たけど、その視線の先には背の低い木のようなものがあった。
「見ろ、高山植物だ。この手の草木は高いところでしか育たないからな。ほかでは中々見ることはできない。特にこうして生きている木を見るのはな」
そう言えば標高の高い山なので植物はあまり生えていないのではと思っていたけど、思った以上に生えている。
「山という場所は空が近く、遮るものが少ない。そのうえ、雪が降りやすい環境だ。ここで生きられる植物ってのは、どこでも生きられるか、ここでしか生きられないかのどっちかなんだよ」
なるほど、陽の光が遮られずに直接当たるということは、気温が上がりやすいということでもある。でも、気温自体は低くて、雪も積もる。寒暖差や雪による日光の不足、積雪の加重、そういったものを乗り越えられる植物はそのどちらかしかないということか。
「植物を見るのはかまいませんが、しゃがみこんでいると通行の邪魔になりますし、置いていかれても知りませんよ」
「ああ、気を付ける」
そうはいいつつも、この場を離れる気はないようなので、わたしはシャムロックを置いて、先に進む。本当に置いていかれても自業自得だろう。まあ、シャムロックはそのへんちゃっかりしているので、なんやかんや見切りをつけて、置いていかれないようにするだろうけど。
そのまましばらく進むとアリュエット君がいた。何だか少し機嫌がいい様子だけど、何かあっただろうか。
「アリュエット様、何かうれしそうですね。いいことでもありましたか?」
「あ、いえ、僕、寒いところが好きで、いまの気候が心地いいので」
アリュエット君はジョーカー家の人間とはいえ、幼少期は屋敷で女装生活を送っていたはずなので、北方で育ったからというわけではないのだろうけど、寒いところが好きらしい。
ジョーカー家自体は北方の家なので、血筋というものだろうか。
「わたくしにとっては少し肌寒く感じますが、アリュエット様にはちょうどいいのかもしれませんね」
コートで覆っている体はいいとしても顔に当たる冷気は、少し肌寒く感じる。それに対して、アリュエット君は苦笑した。
「まあ、『少し』というくらいですから、カメリア様はどちらかというと僕寄りなのかもしれませんね」
そう言ってアリュエット君が向けた視線の先には、ガタガタと肩を震わせているパンジーちゃんの姿があった。なるほど、あれに比べればアリュエット君寄りだ。
「彼女は南の出身ですからね。寒いのは慣れていないのでしょう」
そういって、アリュエット君に断りの挨拶を入れてから、パンジーちゃんのほうに向かった。
震えるパンジーちゃんは寒さで、ガチガチと歯を鳴らしている。さすがにわたしがコートを貸せば、今度はわたしがそうなるだろう。
そっとパンジーちゃんの手を取る。
「あっ」
冷たいパンジーちゃんの手。体温はどうやらわたしのほうが高いらしい。
「冷えているようですね。しばらくはわたくしの手で暖を取ってください」
「いえ、その、冷たくないかしら……」
冷たいといえば冷たいけど、不意打ちで首筋に冷たい手を当てられるとかでなければ問題はない。カイロとまでは言わないけど、マフラーでもあればよかったかな。
「そ、その……、ありがとう」
登山道を登る関係上、わたしはパンジーちゃんと手をつないだまま登っていくことにある。若干、妙な目で見られることもあったけど、パンジーちゃんの震える様子を見てか、だいぶしばらくすればそんな目もなくなった。
だいぶパンジーちゃんの体温も回復してきたようで、顔は未だに赤いものの握っている手はほのかに温かみを取り返していた。
だから、わたしは手を緩めたのだけど、パンジーちゃんは握ったまま離さない。はてどうしたものかとパンジーちゃんの顔を見ると、
「も、もう少しだけ握っていてもいいかしら……」
「え、ああ、かまいませんよ」
なんだろう、まだ寒かったのかな。まあ、この程度で寒さをしのげるのならお安い御用だ。そう思っていたけど、それからパンジーちゃんがわたしの手を離したのはだいぶ後だった。
何だか少し名残惜しそうなパンジーちゃんと離れて、先に進むと王子とアリスちゃんがいた。「たちとぶ」の進行通り2人で登っているようでよかった。
そう思い、スルーしようとしたところでアリスちゃんに声をかけられた。
「あ、カメリア様!」
声をかけられたのに無視するわけにもいかないので、わたしは笑顔で手を振り、その場から離脱しようとして王子に止められる。
「どこへ行く」
「いえ、少し先のほうを見てこようかと」
先頭のほうには、ここまで合っていないクレイモア君がいると思われる。おそらく、先に進んで危険そうな場所があれば、そこで王子に何かないように待っていることだろう。
「そんなに急いたところで頂上まではまだある。体力を残しておけよ?」
「あら、殿下よりは体力があるつもりですよ」
クレイモア君の訓練についていけなかった王子に比べれば、あれからもあのころほどではないにしても運動を続けてきたわたしのほうが体力はあるだろう。男女の差というのを考えても、だ。
「カメリア様はこれまで何を?」
アリスちゃんが、これまで姿が見えなかったわたしが何をしていたのかと聞いてくる。その横には、なんとも珍しいことに天使アルコルがいた。
わたしがアルコルの姿を見ることができると発覚してから、極力わたしの前に姿を現さないかった彼女だけど、今日はいるようだ。
「そうですね、高山植物を見ていたシャムロックさんと話して、この気候が好ましいと笑うアリュエット様と話して、寒さに震えていたパンジー様の手を取り温めてからここに来ましたよ」
あったことをそのまま話しただけだ。するとアリスちゃんはわたしに向けて手を差し出す。……え、なに?
「わ、わたしの手も温めてもらえませんか?」
「え、は、はあ?」
困惑しながらもアリスちゃんの手を取る。というかアリスちゃんの手、温かいな。これなら手を握る必要ない。というかわたしが温めてもらっている側だ。
「アリスさんの手はずいぶんと温かいですね」
まあ、農家だし、冬場の冷えた水で作業をすることを考えれば、冷たさに慣れているのかもしれない。
「うわあ……、カメリア様の手はすべすべですね」
なぜか執拗に手を触られている。一応、ケアとかはしっかりしているのでそれは、まあすべすべなのだけど。アリスちゃんの手は、マメなどがあった痕が残っているし、あかぎれなんかも多かったのだろう。
「今度、アリスさんにはハンドクリームをプレゼントします」
ハンドクリームでケアすれば多少はよくなるだろうか。そう思って、手を触りあいながら談笑していると、ふとアルコルの視線が気になった。何かあるのかと彼女の目を、目だけ向けてみると、アルコルは視線をそらす。
「あなたはロンシィに似ていますね。だから……恐ろしいのです」
ロンシィ……?
その名前に聞き覚えはない。「たちとぶ」の登場人物の中にいた覚えはないし、かつての光の魔法使いの誰かなのだろうか。でも「恐ろしい」という言い方からすると闇の魔法使いのほうという可能性もあるし……。
あるいはそのどちらでもないのか。
わたしはアルコルに聞こうと口を開きかけて、王子がすぐそこにいることを思い出す。……聞くのはまた今度。
そう思って、中々出てきてくれないので。その「今度」がいつになるのかまったくわからないのが困りものだ。
「む、あそこにいるのはクラか」
「ということは何か危険な場所でもあったのでしょうか」
アリスちゃんの手を握りながら、視線をアルコルから王子の見るほうへと向ける。確かにそこにいたのはクレイモア君だったけど、汗をかいているようだ。
汗……?
この寒い中で?
「殿下、カメリア様、この先、目的地まで安全確認のため三往復ほどしてきました。何か所か気になる場所があるのでご注意ください」
この山を上まで登っては降りて、繰り返すこと三往復。さすがに馬鹿だろう。通りで汗をかいているはずだ。
「ああ、もう。クレイモアさん、しっかり汗を拭いてください。風邪を引いてしまいますよ」
わたしは慌ててタオルを取り出してクレイモア君の顔を垂れる汗をぬぐった。この環境で汗だくなのに、わたしたちのペースに合わせて歩き出したら、間違いなく体が冷えて、普通に風邪をひくだろう。
「あ、いえ、自分でやりますので……」
「本当は着替えるべきなのですけれど、ここでは着替える場所もないでしょうし、もう……本当にあなたという人は……」
何をもってこんなバカなことをやらかしたのやら。タオルも絶対に1枚では足りないだろうし。
「クラ、オレも拭いてやろう」
どういう風の吹き回しか、普段、散々何かにつけて丁寧なクレイモア君への仕返しだろうか。王子もタオルを取り出して、ガサガサと粗雑にクレイモア君の頭を拭う。
「体を冷やさないように、クールダウンのように軽く運動しながらついてきてくださいね」
そんな騒がしいやり取りをしながら、わたしたちは銀嶺山脈を登っていくのだった。




