073話:校外学習・その3
北方、ジョーカー公爵領。
ディアマンデ王国の北部を占める大領地。その中でも、特に銀嶺山脈にほど近い、山岳地帯にある都市、ジェスター。
山の中腹とまではいわないけど、山の盆地にある都市のため、ほかの地域に比べると肌寒い気候をしている。
そのジェスターで最も高級な宿が「ホテル・アルジャン」。最高級なだけあって、豪奢な造りであり、冬のシーズンでの宿泊用に暖炉なども完備している。そのため、宿についた大きな煙突が特徴のホテル。
ただ、いまは、暖炉が必要なほど冷え込む時期ではないので、暖炉は使用されていない。そのため、煙突から出る煙は控えめだ。きっと、厨房などからの排煙も集約されているだけで、誰かが暖炉を使用しているわけではないだろう。
部屋は最高級というだけあって、スウィートルーム形式。まあ、正直、校外学習の一泊のために泊まるので、大した荷物もなく、わたしとしては広くても持て余すという感じ。
これが何泊もして、荷物も多いのなら満足するのだろうけど。
ホテルに荷物を置いて街にくり出そうにも、もう夕暮れだ。夜の街をうろつくのはあまり褒められたものではない。
結果として、ホテルの内部を軽く歩くことにした。
さすがにホテルの内装や構造まではビジュアルファンブックにも載っていないので、どこに何があるとか、そういったことはわからない。まあ、ただ、面白みのあるものは特にないだろう。なんたって、ただのホテルなんだし。
そんなとき、ホテルの壁にかかる1枚の絵が目に留まる。
ただの絵だった。だけど、どこか不思議な絵で壁画の写しのようにも、抽象画のようにも、新しい芸術のようにも見える。
「お客様、どうかなされましたか?」
立ち止まっていたからか、ホテルの従業員に声をかけられた。別に絵にそんなに興味があるわけではないけど、ちょうどいいので聞いてみようか。
「いえ、この絵はどういったものなのですか?」
「この絵ですか……。この絵は古くからこの地に伝わるものです。はるか昔、この地が『下方の民』と呼ばれていた時代からあると聞いていますが、それ自体がどのような意味があるのかまったくわかっていません」
下方の民……。聞いたことがあるような気がしたけど、「たちとぶ」にそのような単語が出てきた覚えがないから気のせいだろうか。しかし、不思議な絵だ。
「興味がおありでしたら、それと同じような絵がロビーにも飾り付けてありますのでそちらもどうぞご覧ください」
そう言われたら見たくなるというもので、暇だったこともあり、ロビーに行き、飾られている絵を見る。
確かに似たような絵であるものの、描かれているものは違うようだった。「下方の民」といい、この絵といい、何かがありそうな気はするものの、ストレートに思い出すことができずもやもやしている。
「なんだ、こんなところにいたのか」
わたしが絵を見ていると、王子がやってきた。そういえば、王子は一応、この手の創作物に関しても英才教育を受けているはずなので、わたしにはわからない何かを知っているかもしれない。
「いえ、この絵が気になりまして」
そういって、王子にも飾られている絵を見せる。すると王子は絵を知っていたようで、「ああ、この絵か」とうなずいた。
「これは、この国ができるより昔から伝わっているとされる絵の模写だな。本物はジョーカー公爵が保管しているはずだ。これ以外にも5、6枚、似たような絵が見つかっていたはずだが」
この国ができるよりも前。そんな年代物だったとは……。まあ、模写なのでこの絵から年代が感じ取れなくてもおかしくないけど。
「考古学は歴史家たちが発展させている分野とはいえ、焼失している資料も多くて、錬金術以上に進みが悪い分野だからな。建国史については、あるていどまとまって、建国祭という祭りすら開かれるようになったが、未だに建国以前の歴史はわかっていないことが多すぎる」
確かに「たちとぶ」においても過去が語られることは幾度となくあったし、歴史的な事柄を語られることもあったけど、建国以前のものとなるとそう多くない。
「わたくしもそのあたりにそこまで詳しくありませんからね。興味こそあれど難しい分野です」
「お前だって、天使や死神のようなあまり語り継がれていないことを知っているだろう。そういうのを集め、調べ、まとめるのもその一環だ」
まあ、そういわれてしまえばそうなのだろうけど、あれは「たちとぶ」で語られてきたことがベースにあるからわかることであって、「たちとぶ」で語られていない部分に関してはほんとうにわからないものはわからないとしか言えない。
「しかし、なぜほとんど文献や記録が残っていないのでしょうね」
「もともとは、この大陸の全土を支配するほどの巨大な国だったそうだが、建国王以後、どんどんと支配力が落ちて、最終的には大陸全土を分けた大きな戦争になったらしい。その戦争で多くの資料が喪失した。いまわかっているのはそのくらいまでだ」
そんな大きな国が存在していたのか。ここが「下方の民」と呼ばれたのがその名残なら、ベリルウム王国のほうに首都があったのだろうか。いや、まあ、位置関係が南だからといって必ずしも「下」なわけではないのは日本の地名でも名残あるものがあるけど。あれは京都に近いほうが「上」で遠いほうが「下」だったっけ?
「調べようにも資料がないのではお手上げですね。いえ、こういったものを解読していけば、少しはわかるのかもしれませんが」
そう言いながら再び絵を見る。何度見てもわからないものはわからない。まあ、この大陸の古い国が、わたしの処刑や戦争に関わってくるとは思えないので、ひとまずは置いておいていいか。
「解読できたら報奨がもらえた気がするぞ。ジョーカー公爵がそのようなお触れを以前に出していた気がする」
ああ、前世でも数式を証明できたらとかそういうので、お金がもらえるようなことはあると聞いていたからおかしな話ではない。でも、文献解読とか絵の意味を解読なんて、無数に答えのありそうなものをどうやって解読できたと証明できるんだろうか。
適当なことを言ってもばれないような気がする。
「まあ、お前の興味をそそる絵もいいが、そろそろディナーの時間だ。部屋に戻るぞ」
もうそんな時間かと思って、ロビーから入口のほうを見ると、オレンジ色だった街並みはすっかり夜の色に染まっていた。
「ええ、そうですね。戻りましょうか」
戻るとはいえ、部屋は別々。もっとも、アリスちゃんを含め、わたしたちは全員、部屋の位置が近い。王子とアリスちゃんの部屋が近いのは偶然ではないが、わたしとその2人の部屋が近いのは偶然だ。予約したタイミングが異なるのだから。
「どうする、婚約者なのだし、言えば同じ部屋で食事をとるくらいは可能だろうが」
「そうするとアリスさんが除け者みたいな扱いになってしまうので止めておきます」
そうして、各々の部屋に戻ると、しばらくして、部屋に食事が運ばれてきた。事前に思っていた通りに、煮込み料理のようで、鍋ごと台に載せられて運ばれてきた。
「こちら、熱くなっているので、お気をつけて召し上がりください」
皿に盛られたそれはお肉を煮込んだ料理のようで、少しとろみのついたスープと上に載せられた香草の匂いがわたしの鼻腔をくすぐった。
少し硬めのパンと一緒に出されたそれは、わたしの舌に合い、すぐに平らげてしまうくらいにはおいしかった。食器を下げに来るのを待つ間に、口などについてしまっていそうなスープのあとを落とすために顔を洗い、少し整える。
さすがに口の横にパンのくずやソース、スープをつけた状態で人に顔を見せるわけにはいかない。貴族の令嬢としてという面ももちろんあるけど、なにより女子として。
ノックとともに食事を運んできた人が皿を下げにやってくる。
「食器を下げてもよろしいでしょうか」
明らかに食べ終わっているし、どう見ても下げて大丈夫な状況だけど、一応聞いてきた。まあ、変なクレーマーもいるのだろう。わがままな貴族は多いだろうし。
「ええ、かまいませんよ。それから大変おいしかったと作った方にお伝えください」
「それはシェフも喜ぶと思います」
このホテルに泊まっている時点で、それなりの身分だということはわかっているだろうけど、おそらく、この人はわたしがロックハート家の人間であることを知っている。おそらく、王子のほうに食事を運んできた人も王子が王子であると知っている人である。
それだけ、王族や公爵家というのはこの国で、高い身分なのだ。
その公爵家の人間が誉めていたとなれば、シェフが喜ぶというのはお世辞ではなく、本当に言っているのでしょう。
ちなみに王子はほとんど使用人を連れてきていないけど、こういった際に毒見の役割を持つ人間はきちんと連れている。行きの馬車で御者をしていた人だ。
食べ終わって、一息つきながら、窓の外の街並みを見る。さすがにこの時間に再び外に出て、絵を見るのもなんだかなあと思ったので、部屋で過ごすことにした。
夜景とはいえ、明かりもそんなにまぶしいものではない。淡く広がる光が、都会のギラつくライトと比べると優しく広がっていて綺麗に感じた。
まあ、明るくないということはそれだけ危険だということもあるわけだけど、そんな無粋なことを思いながら、視線はそびえたち、部屋の窓からでは頂上が見えない大きな山々、銀嶺山脈に向けられる。
明日の夜、……夜から明け方。あの場所で、だれのルートに入るのかが決まる。
共通パート最後のイベント。
現状、どう転ぶかわからない。だからこそ、そんな一抹の不安を胸に抱えながら見えない頂上を思い見やるのだった。




