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072話:校外学習・その2

 わたしは、馬車での揺れと暑さに酔いそうになりながらも、かろうじて堪えていた。正直、車酔いする体質の人ならとっくに吐いているだろうと思う。もはや、アトラクションか何かというレベルで揺れるのだけど、アトラクションなんてせいぜい10分もかからない。

 でも、この馬車は何時間も続く。アトラクションと割り切って楽しむことなんて全くできない。というよりも、アトラクションは何らかのエンターテインメントを仕込んでいるから楽しめるけど、それすらもないただ揺れるだけの蒸し暑い箱の中で何を楽しめというのだ。


「しかし、まあ、……なんだ、暑いな」


 王子がぼそりとつぶやいた。王子も地味にダメージを食らっているようで、あんなに出発前は楽しみにしている様子だったのに、いまではこのざまだ。


「もっと快適な馬車は作れないのか?

 錬金術とかで……」


 そのとき、ふと頭の中で考えが浮かぶ。馬車というものはこの世界でもっともポピュラーな移動手段だ。それが快適化されれば、移動の効率が上がるということになる。それはすなわち、物流の能率上昇や戦時の移動能力の上昇につながる。

 快適な馬車づくりというのは、割と重要な課題なのではないだろうか。


「しかし、殿下。この馬車はこれでも快適なほうなのですよ。これ以上の快適なものとなると……」


 そもそも王族が乗る前提の馬車だ。普通の馬車よりも快適でないはずがない。いまの最高峰の技術でつくられたものがおそらくこの馬車だろう。


「たしかに、わたしが王都に来たときに乗った馬車はもっと揺れていましたね。ただ、あのときの馬車のほうが涼しかったですけど」


 アリスちゃんがそういうけど、揺れに関しては別として、それは時期や気候的な問題のほかにきちんと理由がある。


「その手の馬車には窓もありませんからね。風の通りはいいのでしょう」


 王族が乗る以上、そんな開けっ広げな馬車にするわけにはいかないので、そこは仕方ない部分ではある。

 しかし、この馬車が王族の乗る最高峰の技術のものなら、もはや揺れのほうは、これが上限。後は道の整備を頑張るしかない。だけど車輪のことを考えると、綺麗な道を整備したところで意味がないのかも。前世のようなゴムタイヤではないので、場合によっては余計揺れることになるかもしれない。


「でも、どうすれば揺れなくなるんですかね。ガチガチに固めてしまうとかでしょうか?」


 アリスちゃんが言うのはいわゆる耐震の考え方だ。しかして、それは馬車に効果的なのだろうか。


「何かに固定するならともかくとして、常に揺れを受けるものに対してはあまり意味がないではないでしょうか。それならもっと、こう……」


 そう、制振や免震。振動に耐えるのではなくて、振動を制したり、振動から免れたりする技術……なんてわたしはよく知らないからわからないけども。


「ようするに揺れないようにするためには、揺れをどこかに逃がすか、この座席に届かないようにするかが必要なわけですが、技術的に難しいでしょう」


 いわゆるダンパーを噛ませて振動を減衰させるのは仕組みさえわかれば不可能ではないだろうけど、例えばオイルダンパーですらエネルギーを吸収しやすい穴の大きさなどの細かな調整が問われるものだし、この世界の技術でできるのかはわからない。

 座席に揺れを届かないようにするのは、まあ、風の魔法とかで浮かし続けるとかすれば不可能ではないでしょうけど、そもそも、数時間の旅の間ずっと魔法を使い続けるのが非現実的だ。


「そもそもオレたちはなんで、そんな話をしているんだ。せっかくの旅行だ。何か楽しい話でもしようじゃないか」


 無駄に頭を回転させすぎて疲れたのか、王子は投げやりにそんなことを言った。しかし、無茶振りが過ぎる。そもそも快適な馬車が作れないかと言いだしたのは王子自身だったはずだし。


「楽しい話と言われましても、……そうですね。例えば、ブレイン男爵領などの南では漁業が盛んで、特産品が魚介類ですが、いま向かっている北方は毛皮などの生産のため、山岳地帯に暮らす動物を狩猟することが多いので、肉料理などが有名らしいです」


 地域色というか、地域ごとに特産品は変わってくる。北方では特に毛皮が有名だけど、その結果、毛皮を入手するために狩った動物たちの肉を食すようになったという話。


「北方の肉か……。王都でも何度か食べた気がするが、どれも硬いイメージだな」


「そうなんですか?」


 王都でも食べたことある王子と、一切食べていないアリスちゃん。まあ、わたしも食べたことがあるけど、確かに硬かった。


「まあ、北方からこちらに運ぶ際に、腐らないようにするために加工されたものが多いですからね。しかし、それだけではなくもともと硬いのも事実ですが」


「どういうことだ?」


「山岳地帯の動物は、その生活の特性上、筋肉質なものが多いので、もともと硬めなのです。それをさらに加工したものが王都に入ってくるので料理方法なども限られますし、王都で食べると中々おいしくいただけないのは仕方のないことかと」


 筋張った肉質のせいで、脂身が少なく、ただでさえ硬めなのに、干し肉などに加工すると余計に硬く、そのうえ、それを調理するとなると、かなり難しい。結果として王子のような感想になるわけだ。


「じゃあ、北方ではもっとおいしく食べられるってことですか?」


「そうですね。確か、煮込み料理などとして出されることが多いとか。実際に食べたわけではないですが、とてもおいしいそうですよ」


 このあたりはビジュアルファンブックのジョーカー公爵領の紹介ページやアリュエット君ルートのラミー夫人の言葉から知ったものなので、おそらく間違っていないはずだ。


「ほかに特産品などはないのか?」


 いま紹介した毛皮や肉以外にということだろう。しかし、わたしもそこまで詳しいわけではないので、何かあっただろうか。


「そうですね……、先ほど言ったように肉料理が特産なのは毛皮目的の狩猟です。しかし、野菜が育ちづらい環境というのも実はその理由の1つなのです。山岳地帯に近く、植物が少ないので土地が肥えず、土壌的にも育てづらい場所なのです」


「でも動物はいるんですよね?」


 それは動物がなにを食べているのかという質問なのだろう。アリスちゃんは出身が農家だけに、畑が動物に荒らされるなどというのも経験があるから。


「確かに動物はいますが、その多くは動物が動物を食べて生きる環境です。しかし、動物を食べない小動物もいまして、それらの多くは木の実などを食べて生きています」


 弱肉強食というか、食物連鎖というか、見事なまでに自然というような環境だ。まあ、実際に行ったことはないから、話に聞いたというだけだけど。


「それで、その話が特産品とどうつながるんだ?」


「はい、まあ、野菜が育たないという話なのですが、その中でも育つ植物もあるのです。それが香草。香草自体は割とどこでも育つものなのですが、肉料理が有名なので肉の臭み消しという意味でも特産品となっているようですね」


 香草、ハーブ自体は割とどこでも育つもので、庭にハーブを植えたら全部ハーブに侵食されたなんていう話もあるくらいの植物。それが特産品となったのは肉料理の臭み消しという役割のために育てられるようになったかららしい。


「それで、その副産物というか、香草を別の活用方法に使っていく中で、ハーブティーなども特産品となったようです」


 ほかにも芳香剤などにも使われている。まあ、わたしはあまりハーブの香りが得意じゃないから、ハーブティーのあとに残る感じが嫌であまり飲まないけども。


「しかし、料理ばかりだな。アルジャンでも言えば出してくれるだろうか」


「もともと、あのホテルは観光や視察、査察に来た貴族向けのものですから、特産品は言わずもがな出してくださるでしょう。むしろ出してほしくないときにいうべきでしょうね」


 観光客向けの産業において、「ご当地」というのは大きく人を引き付ける要素。「いまだけ、ここだけ、あなただけ」という観光の鉄則がある。期間限定、ご当地、それらは観光客を引き付ける魅力がある。そうした観光産業で成り立っているホテルがそれを意識していないはずもない。

 もっとも貴族にはわがままな貴族もいるので、その傾向を見極めて……相手を選んでやっているだろうけど。


「特に、このシーズンでは校外学習の魔法学園の学生が宿泊することは多いので、将来への投資という意味でも特産品はたっぷり味わえると思いますよ」


 リピーターの確保というのも大きな意味を持つし、貴族に気に入られればホテルの支店を別の場所に出すことも可能かもしれない。そういう投資だ。


「まあ、それを味わうのも、目的の一環ではあるからな。望むところだが……、食べ物以外の特産品はないのか?」


「それこそ、言ったように毛皮ですね。銀嶺(アルゲントゥム)山脈に登る際には、わたくしたちも、その毛皮でつくった衣服を貸してもらえますよ。馬車の中はうだるように暑いですが、銀嶺(アルゲントゥム)山脈は寒いですからね」


 まあ、実際、それを買うことはないだろうけど、着ることはできるので体験できるだろう。


「毛皮というと服のほかには何があるんですか?」


「そうですね。絨毯などでしょうかね。確か王城に用いられている絨毯の一部は北方のものが使われていたはずですよ」


 もちろん、この世界にフェイクファーの技術もないので、毛皮製品はほぼほぼリアルファー。そして、重要な産業でもあるため、狩猟できる数も決められていて、狩りすぎて絶滅させないようにジョーカー公爵の指導のもと管理されているそうだ。


「オレすらも知らないのに、お前はよく知っているな。もはやオレよりも王城に詳しいんじゃないのか?」


「さすがにそのようなことはありませんよ」


 いや、実際は、たぶん、王子よりもだいぶ詳しい。隠し通路もそうだし、そのほか、王子が絶対に足を踏み入れない場所まで探索している。


「あれ……」


 そんな会話をしていたら、ふと、アリスちゃんがそんな言葉をもらした。


「どうかしましたか?」


「あ、いえ、馬車の中がだいぶ涼しくなってきたなあって思いまして」


 言われてみれば確かにだいぶ涼しくなっている。どうやら北方のほうにだいぶ近づいたらしい。


「目的地が近い証拠ですね。これからしばらくは少し快適になるかもしれません」


「だといいがな」


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