071話:校外学習・その1
校外学習。わたしは、そう何度も言ってきたけど、それはあくまで「たちとぶ」内での表記がそうなっているからそのように呼称していただけで、わたしの感覚でいうなら、どちらかというと「修学旅行」という表現のほうが分かりやすい。
この校外学習は1泊2日……、まあ、2泊3日とも言えるんだけど。まあ、だから校外学習というよりは修学旅行というほうがわたしとしてはしっくりくる。
で、なぜ2泊3日とも言えるのかというと、この校外学習、実は現地集合方式なのだ。当然、それに合わせて、前日には北方へ行き、宿泊して備える。みんなそうするので、実質的に前日の分も合わせると2泊3日の修学旅行と言った感じ。
ただし、前日に泊まる宿泊料金はこちらで負担するものなので、家によって泊まる宿は異なる。例えば、わたしや殿下は安全面を考慮する意味でも最もグレードの高いホテルに泊まることになる。公爵家はおそらく全員そうだろう。クレイモア君も護衛の意味を含めて、同じホテルに宿泊するだろうし。
パンジーちゃんなんかは、おそらく少し安めのホテルに泊まることになるだろう。それでも商人や旅人が使うような宿ではなく、そこから比べればグレードの高いホテルになるだろうけど。
問題は平民であるアリスちゃんの泊まる宿。アリスちゃんの持つお金では、わたしたちと同じ宿に泊まることはできない。学園側もアリスちゃんだけに前日の分の宿泊費を出すという特別扱いはできない。
まあ、そういうわけで「たちとぶ」においては王子が私費でアリスちゃんの宿賃を賄っていたのだ。
「殿下、校外学習前日の話ですが、アリスさんと一緒に北方に行かれるのですよね」
わたしは確認のために、王子にそう問いかける。すると、「当たり前だ」というくらいのテンションで、
「ああ、そうだ。言っていなかったか?」
などというのだった。まあ、聞いていないから問いかけているわけで……。しかし、まあ、アリスちゃんを王子に任せられるのでわたしに文句はない。
「宿泊する宿で合流する形でいいですかね?」
「何を言っている。お前もオレたちと同じ馬車で行けばいいだけだろう」
……なるほど、そうなるのか。「たちとぶ」では、行きの馬車は王子と2人きりだったはずなのだけど、どうやら王子の中では王子、わたし、アリスちゃんの3人で行くことになっていたようだ。
「むしろ、婚約者のお前がいながら、アリスだけを乗せて行くというのもおかしな話だろう」
それはまあ確かにそうなのだけど、「たちとぶ」内ではそうだったとは言えないので頷くほかなかった。
「わかりました。ではそのように行きましょう。宿泊する宿は……まあ、聞くまでもありませんか」
「ああ、アルジャンだ」
ホテル・アルジャン。北方における最もグレードの高いホテル。一応、そのほかにも様々なホテルがあって、ビジュアルファンブックによるとホテルの名前は「銀」から取られているということなので、おそらくこのホテル・アルジャンも「銀」という意味があるのだろう。
「アリスさんもホテル・アルジャンに?」
「ああ、オレが私費で負担する。それならば国から無為に金銭をどうたらという貴族どもも口を出せないだろう」
何ごとも「無駄遣い」だと難癖をつけて国を批判しようとする輩は多い。当然、難癖だとはわかっているので、国自体もそこまで相手にしないのだけど、それでも自らつけこまれる隙を作るのは違うだろう。だからこそ、王子は私費から捻出しているわけだ。
しかしホテル・アルジャンの宿泊費は馬鹿にならない。
「多少はわたくしも出しましょう。殿下に格好をつけさせてさしあげたいのはやまやまですが、格好だけでどうにかなるものでもないでしょう」
「……悪いな」
このあたりはアリスちゃんには悟られないように立ち回らないといけない。「たちとぶ」ではなんか普通にばれていたけど。罪悪感を覚えさせないためにも、負担はわたしと王子で分散することにした。
「しかし、当日は山頂付近で一泊するんだったよな」
「ええ、かなり質素なものではありますが、そこに泊まり一夜を明かして、下山し、解散という形になりますね」
この校外学習は、当日、登山して、山頂で一泊、下山して解散。そんなほとんど山登りだけのもの。あちこち回ったりしないという点では校外学習や修学旅行というよりもサマーアクティビティのような感じだ。まあ、アクティビティで済むレベルの登山ではないけど。
「そもそもなんだって、わざわざ北方まで山を登りに行くんだ?」
王子としてはそこが疑問らしい。まあ、それでも楽しむ気満々なのは、めったに王城から離れられない彼が、大きく外へ出られるチャンスだからなんだろうけど。
「一応の名目としては、国の北端であり象徴でもある銀嶺山脈を自らの目で見て感じること、登山や宿泊を通じて同年代の貴族との交流を深めること、自然を感じることで神々への信仰を高めることなどが挙げられていますね」
そのほかにも運動不足に陥りがちな貴族に運動をさせるきっかけになるようにとか、将来の視察や査察のときの長時間の馬車移動に慣れるためなど、様々な意味が込められているらしい。
「そんなに簡単な話ではないと思うがな」
「まあ、あくまで名目上はそうなっているというだけで、それが実際に達成できているかはまた別の話なのでしょう」
実際、去年そうして校外学習に行ったはずのお兄様の代でも、結局は未だにカースト意識的なものは続いているし、交流を深めると言っても、そう上手くいくものではない。
「殿下は馬車での長時間移動に慣れていないので、前日に北方に向かう際には覚悟をしてくださいね」
まあ、わたしやアリスちゃんも慣れているわけではないので、王子のことを言えないのだけど。わたしの場合は車や電車での長時間移動の経験はあっても、馬車になるとまた別なのだ。座面は固いし、揺れるし、エアコンなんてついてないし、それでの長時間移動はそれなりにつらいものがある。
わたし1人なら「氷結」で氷でも作って、涼しく過ごせるのだけど、王子たちの前で複合魔法を使うわけにもいかない。
風の魔法で熱気を外に出そうにも、風の魔法は使えないことになっている。
……大丈夫かな、馬車旅。
「そういうのも経験だろう。国中を視察するようになったら、馬車に乗れないだのと言えないだろう」
「だからこそ、慣れるために覚悟しておいたほうがいいのですよ」
まあ、これに関しては、わたしが便利なものに慣れすぎているからという問題もあるのだけど。揺れが少なく、シートもそこそこ体にフィットして、エアコンで夏は涼しく、冬はあたたかくなんて車や電車で移動していたわたしだからこそ、馬車のひどい揺れや硬すぎる座席などに耐えられないなんてこともあるかもしれない。
「まあ、旅の準備に覚悟はしっかりとしているさ」
「張り切りすぎて、いまからそのような感じですと当日に疲れすぎてしまいますよ」
楽しみにしすぎて全然眠れないとかそんな子供みたいなことになったら馬車で寝てしまうかもしれない。いや、あの馬車で寝られるのならそれはそれでいいのか。
「む……」
「殿下が楽しみに感じているのはよくわかりますが、当日楽しむためにもほどほどにしておきましょう」
まるで子供をあやすみたいになってしまったけど、実際、このウキウキしている様子は、遊園地に行くのを控えた子供のようだった。
「わ、わかっている。オレとて、そんなに楽しみにしているわけではない」
「いえ、楽しみにすること自体は悪いことではありません。それに、殿下にとっては王都より外を見るいい機会です」
実際、いままでも、絶対に王都から出たことがないというわけではないのだけど、それは完全に監視されて、ほとんど自由の無いものだったはず。
だからこそ、自分で思うように動ける今回の機会は王子にとっていい機会になるだろう。
「北方か……。気温が低いとは聞いている」
「それを実際に行って、どのくらい寒いのか、それを受けてそこで暮らす人々がどういう暮らしをしているのか、何が育てられるのか……そういった現地だからこそ感じられるもの、本だけではわからないものを見て学ぶことも重要です」
寒いと言われても、王都の冷え込みと山岳地帯の吹きおろしからくる寒さはまるで違う。とはいえ、そこまで大きな気温の変化ではない。この国自体、日本なんかと比べたら国内で東西南北どの地域もそこまで気温差、気候の変化は生じていない。
「治世のためには世を知ることか……」
世の中を知らないのに、上手く世を治められるわけがない。例えば、野菜が育ちづらい地域に野菜をつくれと言っても上手くいかないのは当然だ。
地域ごとの特色と需要……地域性というものをよく理解してこそ、国のトップに立てるとわたしは思う。
「すべてを1から10まですべて把握する必要はありませんが、それでも行って、見て、感じるというのは、ただ聞くだけとは違う知識となります」
「ああ、そうだな。実際、魔法学園も聞いていただけではわからなかったことがたくさん起きていた。変えていかなくてはならないと思うこともたくさんあった」
……これは余計に張り切らせてしまっただろうか。
「北方……いや、ジョーカー公爵領。そこがどのような場所かしっかりと感じなくてはならないな」
「ですから張り切るのはほどほどにと……」




