065話:ラミー・ジョーカー夫人・その3
私、ラミー・ジョーカーがハンド男爵領に入ってから数日が過ぎていた。商人たちの馬車を乗り継ぎ、領内を一周するようなかたちで回る。さすがにジョーカー家の持つ領地なんかだったらそんなことをしようとも思わなかったでしょうけど、ハンド領程度の広さだったら領内を一周するのにさほど日数はかからない。
そして、商人たちにそれとなく話を振りながら、「シャープ村」という村を探していたのだけど、これがまた難航した。
ほとんどの人がその名前を聞いたことがないというのだからどうしたものかと首をひねった。よもや存在しない架空の村をでっち上げたのだろうか。
でもそれはリスクが高すぎるような……、ばれないと思っての行動、それともばれてもいいと思っての行動なのか。
まったく答えが見えてこない中、ハンド男爵領を含めた複数の領地に店を出す大きな商家の馬車に乗せてもらったときに大きなヒントを得た。
「シャープ村……、シャープ村かあ……。そういえばじいちゃんから聞いたことがあったような気がするな」
というのはその商家の跡継ぎで、当主を継ぐために販路の拡大を兼ねて領地を回っているという青年だった。
「確か、じいちゃんの代くらいのときは、この辺りにシャープ村っていう村があったらしいけど、いまはもう廃村になっちまってるんじゃなかったかなあ」
地図で場所を指さしながら、青年はそんなふうに言う。しかし、廃村。廃村になった時期にもよるだろうけど、そこが判断の分かれ目かもしれないわ。
荒れ具合や生活の痕跡などからどの程度まで人が暮らしていたのかは想像ができる。クロガネ・スチールが村を出てから廃村になったという可能性も無いわけではない。まあ、だとすると、ここまで情報が薄いことはないから、ほぼほぼそれよりももっと前から廃村になっていたと考えるべきでしょうけど。
教えてもらって、地図のどの辺りかも把握したので、そこに向かってみることにした。
もちろん、そんな販路でも何でもないところまで行く商人はいないので近くの街から歩いていくことになったけど。
さて、そこにあったのは廃村……と呼べるかも怪しい場所であった。
おそらく家があったのであろうとか、大きな建物があったのだろう、そんなことはかろうじてわからないでもないけど、廃墟ではなく、完全に倒壊しきった木の残骸、動物が住み着いていたような痕跡。
数十年は経っている。
少なくとも昨日今日どころか十数年でこんなことになるはずはない。クロガネ・スチールがここを出てからこうなったというのは無理がある。
経歴の詐称はほぼ間違いない。
そして、いいほうに詐称するならばともかく、こんな辺境の村と偽ることのメリットはほとんどない。それならもっといい場所、いい商家、いろんな詐称の仕方がある。
そうでなくて、このようなことをしているのであれば、私とカメリアさんの考えが正しかったことになる。
あと、こんな廃村なのに特に疑われることなく採用されているのを見ると、身辺調査の基準を見直す必要が出てきたわね。一々調べていられないというのはただのいいわけでしかなく、それで危険分子を見逃していては本末転倒。何のための身辺調査なのか……。
問題は、なぜハンド男爵側が廃村にあてがったのか。
まあ、地図を示してここにあった村だけど既に廃村になっているとでも言って適当にごまかしたのだろう。それでごまかされるほうも問題だけど。
ここまで疑いが濃厚になってくると、他にも「ハンド男爵領シャープ村」出身で、推薦されて雇用されている人がいるかもしれないから、陛下に文句を言って人員を借りて……。
でもその中にファルムからの密偵がいたら、ばれたってばらすようなものなのよね。
それはそれで厄介なことになりそうだし……、かといって私1人であの量の中から探し出すのは骨が折れる。
調べる許可だけ取りつけて、ジョーカー家の人間にやらせるのがいいかしら。でも、ジョーカー家が王城で何かを調べていたと言われて怪しまれるのも嫌なのよね。
……アリュエットとカメリアさんあたりに協力してもらいましょうか。アリュエットはともかくとして、カメリアさんはアリス・カードという少女の動向も気にしているようだけど……、それなら一緒に呼んでしまえばいいかも。
でも「不確定な要素はなるべく省きたい」とか言われる可能性もあるのよね。まあ、でもこちらにこれだけやらせているという負い目はいくらか感じているでしょうし、それにつけこむ形になってしまうのは申し訳ないけど。
そうと決まれば長居は無用。帰って情報を整理して、カメリアさんにも報告する機会を設けないと……。
せっかくハンド領まで来たのだからと、ハンド男爵のお膝元で、世間話程度の情報収集をすることにした。
そう言った細かい情報からも何かヒントが得られないだろうかと。
領民からの評判は悪いほうだけど、最悪というほどでもないという微妙な感じ。領主としては失格。不満がないようにとは言わないけど、領民の不満が大きければ大きいほど、人が離れて、負担が増えてより不満が大きくなるという悪循環。
すべてを領民の思う通りにしたら立ち行かないけど、すべてが領主の思うままにしても立ち行かない。そのバランスを見極めるためには領民の声をよく聞く必要がある。
ただ、ハンド領ではまったく領民の声は領主に届いていないみたいだけど。
それからなぜか妙に羽振りがよく、それを国民に見せつけるものの、国民へは何もないため、最近になって加速度的に不満が高まっているらしい。
羽振りがいいというのはカメリアさんからも聞いていたけれど、やはり目に見えるくらいに顕著だという。
それも税率を引き上げたとか、そういうことはないらしく、まあ、それだからこそ評判は悪くとも最悪ではないという状況なのだろうけど、だからこそ羽振りがいいのが解せない。
少なくとも普通の状況ではないことは確かだし横領……でもなければどこからから秘密裡に支援を受けたと考えてもいい。どっちにしろ、クロウバウトは節穴か……。まあ、トリーがこんな辺境を直接査察することはないとわかっているけど、注意しておく必要があるわね。
それとも、クロウバウトのところにもすでに推薦でだれか入れておいて、その内部工作とか……?
でも出身地への査察は基本的にないはず。変な手心が加わるといけないからと外されるのが普通。
いまの情報じゃあどっちかわからないわね。
それから情報が統制されているのに、ロードナ・ハンドの件は領民にも届いているらしい。人の口をふさぐことは不可能だし、あくまで統制されているだけでかん口令が布かれたわけでもないからおかしな話ではないんだけど。
農民を魔法で虐げようとしたということもあって、非難の声は上がっているけど、それもすべて領主には届かない。
正直ここまでシャットアウトしようとしているのもファルムの密偵のことを考えてなのではないかと考えすぎてしまう部分がある。まあ、さすがにそれは元からそうなのかもしれない。なにせ、急に話を聞いてくれなくなったとか、そういうはなしが一切出てこないし。
もともと、貴族としてのプライドが異様に高かったのか、選民思想のようなものがあったのかもしれない。それにつけこまれた……のかどうかはちょっとわからないけど。
一応、領主の館……、つまりハンド男爵邸に侵入しようとも考えたけど、館にヒントを遺すほど不用心だとは思えない。
ハンド男爵はともかく、ファルムからの密偵がそのような物的証拠をわかりやすく残すようなかたちをとるとは思えないから。
まあそれでも何かある可能性に賭けるという方法も取れたけど、それで密偵たちにこちらが探っていることをばれてしまって、ややこしいことになってはカメリアさんに申し訳が立たない。
情報を得るときは慎重に周りから固めていくように、遠回りをしながら、これと決まったものを得たときに食らいつく。それこそ蛇のように。
だからこそ、クロガネ・スチール以外の事例を探す。そこから情報を確かめていき、核心へと導き、それが確信に変わるようにする。そして、すべての情報が整ったときに一網打尽にする。
行動が遅いとすべての情報をもって逃げられてしまうから泳がせるのもほどほどにしないといけない。
適切な情報を素早く、正確に確保することが大事なの。時間をかければいいというわけではない、早ければいいというわけでもない、情報さえ取れればいいというわけではない。
それを見極め、行動することが「黄金の蛇」に必要な素質。まあ、あくまでそれは「黄金の蛇」の仕事に必要な素質であって、「黄金の蛇」になるための素質とは別の話だけれども。そういう点では、カメリアさんは先入観が強いことなどを除けば「黄金の蛇」に向いた性格ではあると思う。
もっとも、彼女の先入観は、私にも話せない、何か別の「知り得ぬ知識」が関わっているのでしょうし、単なる先入観と切って捨てることができない。今回のクロガネ・スチールの件もその先入観じみた謎の決めつけがなければ見過ごしていた可能性が高い。
ただ、まあ、それは彼女の知り及ぶ範囲ならという話で、そうでないときにその先入観が発動してしまったら困りものではあるけど、そのあたりが元来の性質であるのか、知識由来なのか見極めてあげる必要があるのかもしれない。
……さて、必要な情報は入手したし、そろそろ撤退しましょう。




