052話:ラミー・ジョーカー夫人・その2
はてさて、この「黄金の蛇」に挑戦状ともいえる勢いでとんでもない情報を伝えていった彼女、カメリア・ロックハートに応えるため、私は仮面をかぶる。
北方の魔女ラミーからいつもの「黄金の蛇」となった私は、手始めにクロガネ・スチールを採用したときの資料を調べるために王立魔法学園に向かった。
採用情報はおそらく、王城と学園のどちらにもあるはずだけど、とりあえずは手堅く学園のほうから回ることにした。
学園の中でもそういった情報があるのは、事務系の場所、事務講師の職員室の隣室である事務資料室だろう。そう思って、侵入してみると、思った通り、採用された事務講師の簡単な情報はあった。
ターゲットはクロガネ・スチール。カメリアさんいわく、ファルム王国側の人間であり闇の魔法使いかもしれないという危険人物……かもしれない。
あくまで「かもしれない」というだけの存在。
それでも彼女が言うのだから、私としてはその可能性が高いのかもしれないと思って行動している。彼女自身に対しては、別の可能性や考えすぎだとも言ったけど、実際のところ彼女の「知りえない知識」とそれをもつがゆえか持っている考えすぎともいえるほど回る頭には信頼がおける。
それに何より、そう考えたほうが面白い。
いえ、実際、間者に入り込まれているのは面白くないのだけれど、彼女の想定通りに進むということが面白いとでもいうべきかしら。
「クロガネ・スチール……だったわね」
ひとりごちりながら、私はその資料を見つける。特段カモフラージュをされているような形跡もなく、そのままの資料であろう。
そこに載っていた内容を見る限り、留意すべき点はいくつかあった。
まず出身地がハンド男爵領シャープ村。
シャープ村というのは聞いたことがないけれど、辺境の村にでもあてがったのだろうか。
商家の出身ということになっているけれど、スチールなどという商家は聞いたことがない。もっともその領地内や街内で完結している商家というのもあるので、私が聞いたことがないからと言って怪しいとは断言できないのだけれど。
学園にある資料でわかる範囲での大きなものはこの2点くらいだった。
王城の調査は別日に行う必要があるので、とりあえず、アリュエットを通じて彼女に、クロガネ・スチールの出身だけでも伝えておきましょうか。
後日、王城の情報を管理する別棟に侵入した私は、そこで管理されている情報を探す。なぜ最初にこちらに来なかったのかというと、資料の量が膨大過ぎて、どこにクロガネ・スチールの情報があるのかを見つけ出すのが難しいからだ。
なら先にわかりやすい場所でわかる範囲の情報は調べておくべきだと思い、魔法学園を先に回った。ここの管理者に直接聞ければ速いのかもしれないけど、その手続きのほうが自分で調べるよりも何十倍も時間がかかる。
「黄金の蛇」の特権でいくらかショートカットできてもそれなのだから、正攻法で調べていたら年を跨ぎそうだ。
そんなことを考えながら、わたしは資料を探す。
証拠さえつかめれば、そこから先の同じように入り込んできているやつらを探すのは、陛下に直接文句でも言って、堂々と資料を提供させることができるもの。
まずはクロガネ・スチールがファルム王国の人間であるという証拠をつかむことが優先。
幸いというかなんというか、資料はさほど難しい場所にはなかった。手早く見つかったのはうれしい誤算。資料を見て、クロガネ・スチールの経歴を確認していく。
生まれはハンド男爵領シャープ村。
商家に生まれて、その後シャープ村にある別の商家で働き、読み書きや礼儀ができていたために、ハンド男爵に認められてロードナ・ハンドの家庭教師に指名。
その後、ロードナがある程度の修学状況に達したことを機にハンド男爵の推薦により王立魔法学園の事務講師として採用。
……なんというか、可能性が絶対にないわけではないけど胡散臭い履歴という感じ。
確かに商家の生まれなら読み書きや計算、礼儀はある程度教わるだろう。でも、その読み書きや計算、礼儀というのは貴族社会の読み書きや計算、礼儀とは異なるもの。
向ける相手や規模が異なるので全部一緒とはいかない。
商家の読み書きというのが平民に伝わるように行うもので、貴族同士の丁寧な文章に用いるような格式ばったものではない。もちろん、国からの知らせが読めるように、格式ばったものもおそらくは一通り読めるはずだけど、そんな中途半端な人を登用するなら貴族出身の家庭教師を登用したほうがいい。
礼儀もそうだ。商人としての礼儀作法と貴族社会の礼儀作法は異なる。さらに男女でもその教え方は大きく異なるのに、商家の男児として生まれたものにそれを任せるならきちんとした人を雇うべきだ。
商家の生まれの子供が別の商家に学びに行くのもないはなしではない。大きな商家で商業のノウハウを学ぶことはあり得ることだけど、同じシャープ村内でそれを行うことはない。同じ縄張りを持つ商家が、客をとられるような、相手に物を教えるようなことをするはずがない。
遠くの商家に弟子入りして、その大きな商家の加盟店であったり、支店となったりすることはあっても、同じテリトリー内でやっても意味はない。金銭に敏感な商人たちがそんなことをするはずもないし、そんなことをしていたら商家などとっくに廃業している。
しかし、絶対にないとは言い切れない。これらのことが実際に起きていないと断言できるだけの根拠はどこにもない。
商家云々はともかくとして家庭教師のほうは、辺境で潤っていない領土のため、節制のためとそういうことをしてもおかしくないような気はする。
もしかしたら実際にあったことなのかもしれない。そうであるならクロガネ・スチールがロードナ・ハンドを進路についてという名目で呼び出したのも家庭教師をやっていた縁ゆえかもしれないし、平民を虐げるロードナ・ハンドがクロガネ・スチールの言うことを聞いていたのも家庭教師としての信頼と実績があったからなのかもしれない。
出てきた資料からわかることは、あくまでそういった情報があることだけで、事実かどうかをそれだけで判断できるケースは少ない。そこまであからさまだったならさすがに推薦といえど採用されていないだろうし。
現状では私たちの考えが正しいかもしれないし、全然見当違いかもしれない。そのどちらとも答えは出ない。
答えを出すにはどうするか。簡単な話。実際にこのハンド男爵領シャープ村とやらに行ってみればいいのよ。
クロガネ・スチールの生家や子供のころの話、そういったものが実在していれば私たちの勘違いだったという可能性が上がる。もちろん、そこまで人員を割いて、綿密に偽装工作をしていたのなら別の話だけど。
ただ、ハンド家にはそんないつ来るかわからない可能性のために割けるだけの人員があるとは思えない。
とりあえず、このシャープ村という場所の位置を調べなくてはならないわね。
まずもって聞いたことがない村の名前だけど、まあ、村なんていくつもあるし、そのすべてを把握している人なんていないでしょうし……。
そもそも辺境のハンド男爵領内にある村や街の名前なんて1つも知らない気がする。
まあ、資料がある場所ということで地図なんかも常備されているから、ついでに調べていけばいいだけなんだけど。
地図にも国内の領地を表す全体地図もあれば、各領地内を表す細かな地図もある。ただ、辺境の領地になると未開拓のエリアもあるし、正確性の薄れた地図になりがちで、更新もほとんどされていないので、既に廃村になったものがいつまでも載っていたり、新しく興った村や街が載っていなかったりなんてことがよくある。
そのため、辺境視察のときに、この村で一泊しようと決めて出発したはいいものの既に廃村になってしまっていて野宿するはめになるなんてことも起きてしまうわけだけど。
ハンド男爵領の地図をもってきて、そこからシャープ村という村を探す。
探す。
探しているのだけど、一向に見つからない。
経歴を考えれば、さすがにこの地図に載っていないはずがない。あまり更新されないといっても、二十年も更新しないなんてことはない。いくら辺境が面倒だからと言って、そんな怠惰なことはあり得ないので、つまり、地図に載らないくらいに小さな村なのか、地図の更新のときに忘れられるくらいの規模の村。
でもそんなことがあり得るだろうか。まず、ハンド男爵が認知している村なのだし、商家が少なくとも2つはある村なのだ。いや、クロガネ・スチールの生家である商家が存在しなかったとしても、1つは商家があるはず。
販路などの面からも地図には反映されるはずなのだけど、それが影も形もないなどということがあるのだろうか。
隠蔽された?
何のために?
怪しまれるだけのような気がする。私のように探ろうとしているものを行かせないためだろうか。
こうなってくると村自体にも何かがあって、それを隠すためとしか思えなくなってきた。これは直接ハンド男爵領まで行って、村がどこにあるのか、どうなっているのかを調べるべきでしょう。
そうなると長期戦になるわね……。
表の仕事のほうはある程度区切りをつけて……。そうね、アリュエットに教育のためといくつか仕事を割り振りましょうか。そうすれば多少の時間は工面できるはず。
何度も辺境と王都を行き来するわけにもいかないから数日間まとめて調査して、結果を出さないといけない。
そして、ハンド男爵のおひざ元で「シャープ村はどこか」なんて尋ねていたら、クロガネ・スチールたちが怪しまれているのではないかと勘づかれてしまうかもしれない。その可能性を考えるなら、しらみつぶしに村を回っていくしかない。それも馬車などで移動しようものなら目立ってしまうためハンド男爵領に行くまではともかく、領内で馬車を手配して移動するのは避けたほうがいい。
……非常に面倒くさいことになってきたけど、引き受けるといった手前、面倒だからと投げ出すわけにもいかない。
まあ、道をたどれば街か村はあるはずなので、そのすべてをたどればいつか終わると思えば簡単なもの。私が馬車を手配するのはなくとも商人の馬車に乗せてもらうことで移動はできるし、商人からならどの村で何が売れるなんて話を聞きながらシャープ村という場所についてさりげなく情報を集めることができるかもしれない。
おおよその目途が立ったところで今日の調査はひとまず終わりにするとしよう。
地図と資料を戻して、私は王城を後にした。




