047話:アリス・カード・その4
わたしはロードナ様からもらった手紙に従って、あまり人気のない校舎外れにある雑木林に向かう。
もともと寮に住む人以外で敷地内を出歩く人は少ないので、学園の敷地内にあまり人気はない。特に、講義のある時間帯は、校舎回りに人が集まるので、そこから離れると事務講師の方もほとんど来ることはない。
シャムロック様と出会った庭園なども、本当にあまり人のいない場所で、管理している方がたまにいるくらいらしい。
ただでさえ人がいないのに、雑木林ともなればもっといない。貴族の方々が好んでこのような場所に来るはずもないし。
うっそうとして、木々が視界を遮る。手紙によると、もう少しいくと若干開けた場所があるみたい。
ガサガサと腰の背くらいの木をかき分けて進むと確かに少しだけ開けた場所に出た。別に整地された場所とかそういうことでもなくて、木々の合間のちょっとした空間という感じ。
家の近くにもこんな場所があった気がする。そう思うと懐かしい感じがしないでもない。
「ようやく来たのね。平民のくせに待たせるなんて生意気だわ」
指定された時間よりも早く来ているのにそういわれるのは心外だけど、待たせたことは確かなので素直に謝った。
「もうしわけありません」
謝ったのに気分を害したのか、謝ったことに気分を害したのか、それともそれ以外が気に入らないのか、ロードナ様は眉間にしわを寄せていた。
「あなたのそういうところが気に食わないのよ」
苛立ちをあらわにして、わたしをにらむロードナ様。何か気に障っただろうか。
「平民なら平民らしく頭を垂れてひざまずきなさい」
平民らしくって、そんなことをしている平民をいままでに見たことがない。領主の方々も平民相手にそんなことをさせていたのならさすがにわたしの耳にも入っているし、礼儀として教わっているはずなのに、実際にそうじゃないのだから、そうそうあることじゃないのだろう。
「貴族の方であろうと、この魔法学園では身分や爵位は関係ないはずです。それに平民だからと無条件に貴族の方にひざまずく必要なんてありません」
それが王子様やカメリア様に教えられてきたこと。この学園での学生の在り方と平民と貴族の方々との関係性。
「そんな上辺だけの甘言が成り立つはずもないでしょう。現に爵位によるカーストはあるわ。あなたはその最底辺なのよ」
「それを勝手に作っているのはあなた方に過ぎません。王子様はその甘言を実現すべく、日々頭を悩ませています」
王子様がどれだけそのことに頭を悩ませているのかわたしは知っている。だからこそ、それは「上辺だけ」と言ってしまえるようなものではないはずだ。
「ふん、殿下に気に入られているくらいでいい気にならないでちょうだい」
「わたしは別に……」
気にかけられているとは思う。だけれど気に入られているのかどうかはわからない。でも、それでいいとも思える。それくらいに気にかけていただいている。
「殿下や公爵家がなんだというのよ。私はいつか他の貴族なんてどうでもいいくらいに上に立つのよ」
ことあるごとに口にしているロードナ様の口癖。「他の貴族よりも上に立つ」。別にそう思うこと自体は悪いことではないのかもしれない。
向上心。上昇志向。ときとしてそういうものが大事なことは知っている。野菜を卸すのも少しでもいいもの、安いものできるようにして、他の農家に負けないようにと努力するのは当たり前のこと。
でも、ロードナ様の言うそれは、どこかそういったものとは違う暗い何かがあるように感じてしまう。
何をしてでも上にいくというようなものでもなく、いずれそうなることを知っているような不気味な。
ただ「いずれそうなることを知っているような」という意味ではカメリア様に似通った部分であるのかもしれない。でも、カメリア様にはそういった不気味さを感じないのは「自分のためだけ」ではないように感じられるからなのかも。
きっと、カメリア様も「自分のため」ではあるのだと思う。そうじゃない人間なんてそうそういるはずもないから。だけど、自分のため「だけ」ではない。
でもロードナ様は完全に「自分のためだけ」なのだ。あるいは「自分たちのためだけ」というべきか。
「いまのままでは人の上に立ったところで誰もあなたにはついていきませんよ」
現に最初は数いたロードナ様の賛同者は時間を経るごとに少なくなっていっているのをわたしは知っている。
もちろん、他の貴族の方々から注意をされたことも要因の1つだと思うけど、きっとそれだけではないと思う。いまでもついていっている方々もいるけど、このままだったらきっとロードナ様についていけなくなって、あるいは、ついていきたくなくなって離れていく。
貴族の方々だけじゃない。平民も選ぶ権利がある。税や環境が合わなかったら引っ越すことができるように、上に立つ方についていけなかったら見放して別の土地に行くこともできる。
それが簡単に行われないのは、農民なら自分の土地と畑、作物があるし、漁業を生業としていたら船や海域など知識があること、商人なら自分の店と売買のルートがあることなどあるから。
でも、もし本当についていけないくらい……、新天地で1から始めてもいいと思うくらい酷い状況なら出ていってしまうだろう。
「平民ごときがこの私にお説教のつもりかしら」
「平民だからですよ。あなたがどれだけ上に立とうと、下に誰もいなかったらあなたは一番下ではありませんか」
一番上に立とうと、その下に何もなければ、ただ1人。下がいない以上、どうあっても上にはなれない。だから一番下。
「ついてこないのなら従わせればいい、逃げるのなら追いつめればいい。簡単な話でしょ」
独裁的な考え。人の上に立つのではなく、人を見下すという考え方。その果てにあるのはきっと孤独。
「それは人の上に立つこととは真逆の行為です。人には感情があり、意思があります。従わせる、追いつめるというのはそれらを一切考慮していない。それは人ではなく『物』として扱っているだけです。だとしたら、あなたは人の上に立てていません」
人を人として扱わずに、その上に立つなんて言うのは、人の上に立つなんて言わない。人は人であるからこそ、その上に立つのがものすごく難しい。それは王子様を見ていればよくわかる。
「平民なんて人間じゃないわ。私たちに税を納めるただの道具。調子が悪ければ捨てればいいし、どこかに行くならしまえばいい」
「面白いですね。あなたはいま、その道具とこうして会話しているのですから。道具をわざわざ呼び出し、虐げて、罵倒したり、階段から突き落としたりしているのですから」
苛立たし気に顔を引くつかせるロードナ様。だけれど、わたしもわたしやみんなを道具と言い捨てるような人を相手に「そうですか」といえるようないい人ではない。
「あなたはペン相手にもそうやって罵倒したり、階段から突き落としたりして、会話をなさるのですか?
違いますよね。それは、わたしたち平民も人間であるとわかっているからやっているんでしょう。あなたも平民が道具ではないことはわかっているはずです。それなのになぜそうも簡単にそんなことが言えるのですか」
身分に違いがあろうと、人は人。けっして道具ではない。王子様だってわたしからすれば雲の上のような身分の方だけど、それでも人。だから話もできる。
「……もういいわ。道具と話をしようと思ったのが間違いだった」
そういって、ロードナ様はわたしに冷たい視線を向ける。そして、吐き捨てるようにいう。
「邪魔なのよ。あの人もあなたはいないほうがいいと言っていたわ。
だから消えなさい!」
瞬間、彼女の掲げた手に灯る炎。
魔法。きっとそれほど強力な魔法じゃないだろうけど、それでもわたしが怪我をする……、やけどを負うには十分な炎。
足がすくんで、避けたくても……。
来るだろう熱に、思わず目をつむる。
だけど、来ると思っていた熱とか痛みは一向に襲ってこなかった。
恐る恐る目を開けると飛び込んできたのは美しい銀色の煌めき。
アルコルかと思ったけど違う。それよりもずっと綺麗な銀色の髪。
「そこまでだ、ロードナ・ハンド」
ロードナ様の腕をつかみ、わたしを庇うように王子様がそこに立っていた。
「これ以上やろうというのならオレが相手をすることになるぞ」
つかまれた腕の痛みからか、王子様の言葉からか、ロードナ様は炎を引っ込めた。
しかし、それで終わりではなかった。
ぞろぞろと事務講師の方々が木々の隙間をぬってできた。王子様が呼んだのだろうか。そう思ったけど、どうにも違うようだ。
「少し前からの会話は聞こえていたし、魔法を使うところが我々の目にも見えていた。どういうことかね。説明を求めたいのだが」
そういっているのは、事務講師の方の中でも貴族出身の方なのだろう。それに立場もそれなりにあるようだ。
ロードナ様は担任のクロガネ先生のほうを見ていたけれど、クロガネ先生は首を横に数度振る。担任としても庇いきれないということだろうか。
よく見れば、事務講師の方々の傍にはベゴニア様がいた。どうやら事務講師の方を呼んだのはベゴニア様のようだ。
そうなると、どこまでかはわからないけど、この裏にはきっとあの方がいるんだろう。




