032話:授業イベント・その2
翌日の魔法社会学の講義。講義自体はテキストの配布と基礎の復習を簡単に行って終了した。まあ、誰もが基本的には一度習っていることなので、本当にさらりとしたものだった。
そして、その後、わたしは、パンジーちゃんと誰もいない講義室で話をしていた。
もちろん、講義室の使用許可は事務講師に取ってある。
「それでは、アリスさんをしいたげているのはロードナ・ハンドという男爵令嬢なのですね」
話の内容は、アリスちゃんのことだった。わたしの認識するところのモブ貴族にも、この世界では名前がある。しかしながら、ビジュアルファンブックにすら記載されていないモブのことを調べるのは骨が折れる。
なら、知っている人に聞けばいいというだけの話。
「ええ。ロードナさんとそれに同調している男爵令嬢たちというところかしら」
貴族の爵位の関係上、下の爵位ほど人数が多くなる。もっとも、家の存続などの関係から子供を数人産む家は少なくなく、魔法学園に入学する人数は年度によっては必ずしも男爵が一番多いというわけではないけど。
「男爵令嬢たち、ですか。一種の派閥なのでしょうけど、先頭も男爵令嬢なのですね」
普通は1つか2つ爵位の高い貴族の子息か令嬢がリーダー格となるような気もするけど。
「それがどうにも……、ハンド領のことは近い領地だから知っているけど、どうにも羽振りがよすぎるわ。だから、なぜか他の男爵令嬢からは上に見られて、それでもあくまで男爵令嬢だからと上の爵位の方たちには相手にもされないみたい」
近い、というには結構距離があるような気がするけど、確かにパンジーちゃんのブレイン男爵領とモブ貴族ことロードナ・ハンドのハンド男爵領は近い。
南西にあるブレイン男爵領の真北、旧ツァボライト王国との関所兼大きな交易地であったアイズ伯爵領のさらに北、ファルム王国に隣接しているのがハンド男爵領である。
「羽振りがいいとはどういうことでしょう」
「王都から離れた男爵領の財政なんてそんなにいいものではないの。特産があれば財政難にならないという程度で贅沢できるわけではないし」
特にブレイン男爵領は特産が海鮮しかないけど、海に面している他の領地や他の国にはあまり売れないし、鮮度の問題から海に面していない場所には持っていきにくいという状態のため、かなり厳しいのだろう。
「ファルム王国との交易というわけでもないですよね」
「ええ、ハンド領の北にはリップス子爵領があるから。関所であり一大交易地でもあるそちらの方に流れていっちゃうから」
一応、ブレイン男爵領やハンド男爵領にも関所はあるけど、大きなものではない。
「それなのに羽振りがいいというのはどういうことでしょうか。いえ、気になりますけど、いま問題なのはそこではありませんでしたね」
確かに男爵家が羽振りいいのは気になるけど、問題はそこじゃない。
「パンジー様としては、ロードナ・ハンドなる令嬢の言動はどう思いますか?」
パンジーちゃんは母親の影響で高圧的な態度を取るものの、わたしと会ってからはだいぶ落ち着いてきているし、領地や領民への愛情も深いので、平民だからといってしいたげるような性分ではない。
「あまり気分がいいものではないことは確かね。それにロードナさんは同調しない男爵位以下の家の令嬢や子息にも同じように手を出してくるの」
同調しない人間も同じような扱いということだろうか。そうなるとパンジーちゃんも手を出される対象のはずだ。
「パンジー様も被害に?」
「幸いなことに距離を取られているわ。おそらく、カメリアさんと懇意と分かったからか、それとも二属性の魔法使いだと分かったからか、そこはハッキリしないけれど」
なるほど、確かにわたしとパンジーちゃんが話している様子は、入学式に来ていた寮住まいの学生たちの多くが目撃している。そうでなくとも二属性の魔法使い。
複数属性の魔法使いは希少だし、国としても重きを置く傾向にある。まあ、パンジーちゃんの場合は場所が場所だけに半ば放置されているけど。
「それはよかったです。しかし、ただでさえ爵位によるカースド制度問題が発生しがちな学園で、さらに同じ爵位の中でもカースド制度のような問題が発生するとは……」
まあ、現実でも様々なマウント合戦によるカースドができていた。兄弟がイケメンとか親が金持ちとか彼氏が医大生とか、正直付き合いきれないような変なマウンティングをしてくる子はしてくる。
「そう言えばロードナさんは『いつかハンド家が他の家よりも上に立つ』とか『時期が来れば分かる』とかそんなことを吹聴しているとも聞いたわね」
「他の家よりも上に立つ、ですか。上昇志向とも取れなくはないですが、王家よりも上に立つという意味で取られたら国家反逆とも捉えられかねない危険な言動ですね」
他の家の含意が広いので、そう解釈されてしまえばそんなことも起こり得る程度の冗談みたいな話だけど。
「さあ、どういう意味で言ったのかまでは。あくまでアナマから聞いた話ですし」
アナマ……?
聞き覚えの無い名前が出てきた。パンジーちゃんの知人だろうか。
「アナマ様というのは……?」
一応、関係性が分からないので様付けで呼んでみた。するとパンジーちゃんは「ああ、話したことがなかったわね」と。
「アナマ・フィート。いまは二年次の科目を受講している親戚なの」
「フィート……。ああ、パンジー様のお母様の……」
フィート男爵家はパンジーちゃんの母親の生家。パンジーちゃんの母親が三女で、上の2人は他の家に嫁いだはずだから、伯父か叔父がいて、その子息だか令嬢だかがアナマさんなのだろう。
「ええ、従兄なの。まあ、ほとんど交流はないけど、最初のうちは友達も少ないだろうからって気をつかわれたみたい」
気をつかってくれる身内がいるのは悪いことではないだろう。まあ、フィート男爵領も辺境とまでは言わないけど田舎である。苦労したのだろう。そして、その苦労をパンジーちゃんに味わわせないために気をつかったのだろう。
「気をつかってくださる方がいることはよいことだと思いますよ。アリスさんにはそれがいないのですから」
「だからこそ気をつかう必要があると?」
それはそれでどうなんだ、というような顔をしているパンジーちゃん。
「いいえ、そうは言いません。ただ、殿下は立場上、彼女のことを無下にはできないでしょう。王族としての立場や矜持、何より国の上に立つ者としてその姿勢を見せることこそが必要ですから」
「その婚約者だからカメリアさんも手を差し伸べるのかしら」
わたしの立場上ではそうだろう。心根はともかくとして、外から見た立場としては殿下に従ってとなるのが正しい。
「そういった面があることは否定しません。ですが、けっしてそれだけではありません。わたくしは、彼女と友人になってみたいのです」
パンジーちゃんはその言葉を貴族の冗談だと受け取ることもなく、わたしが真面目にそう言っていると、そう感じたようだ。
「友人、ね。カメリアさんがそういうからには、そう思わせるだけの何かが彼女にあるんでしょうけど」
友人になりたいというのは本心だ。もっとも、そこには色々な感情が合わさっていて、プラスの感情だけではないけど。
「光の魔法使い、いえ、彼女たちのように言うなら光の力に目覚めしものというべきでしょうか。その存在はわたくしたち魔法使いとは少々異なるものですからね。興味を抱くのはおかしなことではないでしょう」
その正確なことはわたしもよく知らないけど、少なくとも「光の魔法使い」と「闇の魔法使い」は「たちとぶ」の世界では特別だということだけは知っている。
「それは友人じゃなくて、研究対象というんじゃなくて?」
「あくまで理由の一部、ですよ。彼女自身の人柄にひかれているのも事実ですし、何より、殿下には彼女のような存在が必要になります」
王子、というよりは攻略対象たちにアリスちゃんという存在は大きな影響を与えるだろう。それがわたしにどういう結果をもたらすにせよ、だ。
「殿下に……?」
「爵位が上がれば上がるほど、貴族は平民との間に距離ができるようになります。殿下は幼少期からずっと城内の自室で過ごされていました。ですから殿下は数字や文字、情報としての平民は知っていても、本当の意味ではほとんど知らないのです」
それは他の攻略対象たちも同じ。程度の差はあれど、実際の意味でふれあい、理解しあっているわけではない。
「この国に住まう国民の多くは平民です。その平民のことを知らずして、どうして国を治められましょうか。ですから、アリスさんとふれあえる機会というのは殿下にとっては貴重であり、重要でしょう」
これは公爵令嬢カメリア・ロックハートの立場ならば当然の結論。まあ、わたし自身としては、正直、それを選ぶことで自分が死ぬ可能性があるという意味では受け入れがたい結論でもあるけど。
「ですが、距離が近づきすぎるというのも問題でしょう」
「そうですね。平民との乖離が過ぎるのも問題ですが、逆に行き過ぎれば平民に寄り添いすぎて国としての体を無くしてしまう可能性もあるでしょう」
平民を顧みず、国のことだけを考えて増税や強い法律での束縛などを与えてしまうような平民との乖離は問題だけど、平民のことを考えすぎて減税や免税、緩い取締などでは何のために国や貴族というものがあるのか、その意味すら失われてしまう。
「ですから、それをわたくしたちがちょうどいい塩梅の距離感になるようにしていく必要があるのでしょう」
そして王子とアリスちゃんの間に立つことで、その関係を取り持ちつつ、わたしを処刑などさせないように軌道修正していければベスト。
「カメリアさんは思慮が深すぎるわ。そして、深すぎて、自身よりも国や全体を俯瞰的に見すぎている気がしてしまう」
「それは考えすぎですよ、パンジー様。体面だけ見ればそのように見えるかもしれませんが、その実、わたくし以上にわたくしのことだけを考えている身勝手な人間はそういないでしょう」
そう。わたしは、わたしが生き延び、自由に生きる、そのためだけにアリスちゃんも王子も他の人々も利用しようというのだから。




