029話:アリス・カード・その1
い、いよいよこの日が来てしまった。わたし、アリス・カードは、今日、貴族の方々が通うという王立魔法学園に入学する。こうなってしまったのもすべては、去年のある日から始まった。国中を覆いつくすような雷雨のあの日に。
その日の雷雨はまるで、世界が終わってしまうのではないかと思ってしまうくらいに激しいものだった。
雨の日は農家のお仕事はできない。だけど、することがないわけじゃない。カード家は野菜を作っても、それを販売まではしていない。だから、販売は別の商家の方に頼んでいる。雨の日には、そういった商家の方からの売れ筋や利益を見て、育てる作物の割合を今後どうしていくか考えるようなこともしなくてはならない。
ただ、この日の雨は普段の雨よりも激しかった。そうなると作物の影響だけじゃなくて、周りからの泥となった土が流れ込んで、土壌が変わってしまう。逆に、うちの畑の土が流れ出して周りに迷惑をかけるかもしれない。
だから危険だと分かっていたけど、わたしは畑の様子を見に行った。
幸い畑はそこまで荒れてなくて、このまま雷雨が過ぎ去ってくれれば大丈夫だろう。そう安心して家に帰ろうとした、その道中。
雨でぬかるんだ地面で転んでしまった男の子がいた。町行く人たちは自分のことで手一杯という様子でせかせかと歩いている。
でも、わたしは放っておくことができなくて、男の子に手を差し伸べる。
「きみ、大丈夫かな?」
そのとき、なんともいえないような、ただ「何かが来る」という不気味な感覚に襲われて、わたしは男の子をかばうように覆いかぶさった。
本当に何が起きたのか、そのときのわたしは分かっていなかった。ただ、「何か」から身を守ろうとがむしゃらに祈っていただけ。
後から聞いた話では、わたしが雷をかき消してしまったという。でも、そんな自覚はまったくないし、みんなの勘違いだと思った。そう、彼女がわたしの目の前に現れるまでは。
「光の力に目覚めしものよ。私は太陽神に仕えるもの。地域によって呼び方、伝わり方は異なります。アルコル、輔星、忘れられたもの、死の兆しもつもの、死兆星。あなたに最も伝わりやすいものは『天使アルコル』でしょうか」
真っ白な髪で、澄んだ碧い瞳。肌も白くて、服も白い。極めつけは鳥のような翼が背中から生えている。そんな普通じゃない存在。
「アルコル、さん……?」
「アルコルで構いません。光の力に目覚めしもの。私はあなたの力が正しく使われるようにそばに寄り添い、導くもの」
言っている意味はよく分からなかった。だけど、どう見ても普通じゃない彼女は、わたしに優しく微笑む。
「えっと、あの……、そう。アリス。アリス・カード。それがわたしの名前」
何を言えばいいのか、何を聞けばいいのか、どうすればいいのか、まったく見当のつかなかったわたしはとりあえずアルコルに名乗った。
「アリス。そう、あなたもアリスというのですね」
「どなたか知り合いに?」
アリス、そう珍しい名前ではないと思うから知り合いにいてもおかしくないし。ただ、この辺ではあまり聞かないけど。
「光の力に目覚める少女に多い名前です」
「そ、そうなんですか。えっと、それでアルコル。その、わたしはあなたのことをどう説明すればいいんでしょう?」
さすがに翼の生えた女性を「友達だよ」と紹介するほど、わたしの心臓は強くない。できるなら説明しやすいポイントを教えてもらいたかった。
「説明の必要はありません。私の姿は基本的に『光の力に目覚めしもの』にしか見えません」
わたしにはこんなにはっきり見えているのに他の人に見えないなんてあるわけない。そんなふうに思ったけど、家族や町の人、周囲の反応でそれはすぐに本当のことだと分かった。誰も彼女に目を留めない。アルコルが話している声は誰にも届いていない。
そんな不思議な存在がいるのなら、わたしが不思議な力に目覚めたということもきっと本当なんだろう。
「光の力というのは、どんな力なの?」
アルコルと過ごすうちに、わたしとアルコルの距離は近づいて、言葉遣いもだいぶ砕けたものになっていた。
「魔法という呼称があなた方の世界では一般的でしょうか。ただし、一般的に伝わる魔法とは異なり、光の力は明確な形がないためいかような形にでも効果が出せてしまうものです」
彼女から聞いた話によれば、ある人は「浄化」、ある人は「治癒」、ある人は「防御」と本当にいろんな形で使われていたらしい。わたしがどのような形で使うのかは、わたししだいだと。
「でも、初めてこの力を使ったときは、雷をかき消したらしいの」
「それはただ単に魔力に形を与えずに放っただけかもしれません。あるいは、そういう形で発現していたということも考えられますが……」
それからわたしとアルコルは魔法の練習をした。まだ明確な形は持てないけど、それでも形を与えてない魔力を放出できるくらいになった頃、王都からスパーダ公爵家の騎士様方が訪ねてきた。
そして、わたしに光の力があることを見ると、王都にある貴族の方々が通う王立魔法学園に入るように勧められたのだ。当然わたしは反対した。何せ、農家の生まれで礼儀や作法なんかも貴族様相手のものではなくて、せいぜい町長相手のつたないものしかできない。
だけど、熱心に進められて、アルコルからも魔法学園に通えば「形」が見えてくるかもしれないと言われて、結局、通うことになったのだった。
それからは王都に連れていかれて、礼儀作法や常識などを徹底的に叩き込まれて大変な日々。ただ、今までに食べたことのないような料理を食べさせてもらえたのは嬉しかった。
そうして、厳しい修行ともいえる日々を終えて、ついにこの王立魔法学園に入学する。
そして訪れる入学式。
…………緊張で何を話しているのかまったく頭に入ってこなかった。
ずっと粗相をしていないか、変な注目を浴びていないか、何か間違えていないか、そんなことばかりを気にしてしまって、まったく何も覚えていない。
入学式が終わったので、今日から入寮する女子寮に行こうとしたのに、どこに行けばいいのか分からなくて、周りの人についていったら学園の入口まで戻ってきてしまった。
どうしよう……。どこかに看板とかでもあればいいんだけど。
不審にみられることを承知であたりを見回してみる。どこにもなさそうだ。でも、誰かに声をかけるのも……。貴族の方に話しかける自信はない。
「何か困りごとか?」
「え、あ、は、はい!」
いきなり声をかけられて、わたしは思わず反射的に「はい」といってしまった。誰かに話しかけられるなんて思ってもいなかった。だけど、入口でずっとうろうろされたら不審がられて声をかけられてもおかしくない。
振り返ったわたしの目に飛び込んできたのは青みがかった銀色の髪と吸い込まれるような輝きを放つ黄金の瞳。まるで別世界の住人かのような美しい顔立ち。アルコル以上に、本当に人なのかと疑ってしまうほどに格好よかった。
「本当に大丈夫か。……えっと」
「アリス。アリス・カードです」
わたしは慌てて名乗った。そして、彼も名乗り返す。
「そうか。オレはアンドラダイト・ディアマンデだ」
その名前を誇示するかのように名乗る。やや高圧的にも見える表情だけど、それもまた、顔の良さが画にしていた。
そして、その表情に気を取られて、その名前が頭に入るまで少し時間がかかってしまう。どこかで聞いたことがある名前。アンドラダイト・ディアマンデ。……。
「って、お、おお、王子様!?」
思わず大きな声で叫んでしまった。し、失礼じゃなかったかな。そう思いながら恐る恐る王子様の顔を見る。目を丸くして、ちょっと驚いた様子。
「ハハハッ、驚きすぎだ。いや、まあ、仕方なくもあるか」
わたしの様子があまりにもおかしかったからか笑われてしまった。でも、仕方ないってどういう……?
「アリス、お前がうわさの光の魔法使いだろう。なら、顔を見て分かれというのも難しいからな」
う、うわさ。わたしのこと、うわさになっていたのか。まあ、農家の出身なんてここには他にいないだろうし、当たり前か。
「も、申し訳ありません。そ、その、えっと、無作法者なので言葉遣いとか礼儀とかが拙い部分がありまして、その」
「そんなに構えなくてもいい。その程度のことで、このオレが怒るものか」
王子様は、わたしの想像していた貴族よりもずっと気さくで、思ったよりも普通だった。
「差し出がましいようですが、カメリア様があのような性格でなければ殿下はもっと増長して、もっと尊大な性格になっていたような気もします」
その言葉で、わたしは初めて、王子様の後ろに付き添いの女性がいたのに気が付いた。淡い緑色の髪と緑色の瞳を持つ女性。
「そんなわけないだろう。オレとて分別はつくし、あいつがどうこうということは関係ないだろう」
どうやら主従のようで、彼女は王子様の使用人らしい。それにしては結構ずばずばとものを言うような気もするけど。
「っと、悪いな。それで何を困っていたんだ?」
「あ、はい。その、女子寮への行き方が分からなくて……」
そのくらい事前に調べておけ、とか言われるだろうか。そんなことを思っていたら、王子様の反応はどうにも違うものだった。「あいつ、これが分かっていてわざわざ教えていたのか?」などと何やら小さな声で言っているのが聞こえる。
「ああ、いや、女子寮だったな。案内しよう」
「い、いえ、場所だけ教えていただければ」
さすがに王子様にそんなに迷惑をかけるわけにはいかないし、長く一緒にいればいるほど取り返しのつかない粗相とか無礼をしてしまいそうだし。
「それでまた迷ったらどうするんだ。今回はオレが案内するからしっかりと道や場所を覚えろ」
そういわれてしまったら頷くしかなかった。
結局、王子様に女子寮まで案内してもらいながら、女子寮が元々は講師寮だったことなどの説明を受けた。やっぱり入学に向けてきちんと調べている人は調べているんだなあ。さすがは王子様。国民の見本のような人。なぜか使用人の方はずっと何とも言えないような顔をしていたけど。




