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273話:ラストイベント(アイコン・アリュエット)・本当の自分を

 とある日、貴族たちの間にこんなうわさが流れた。


――絶世の美女が現れた。


 それはとあるパーティに参加した貴族たちがまことしやかにささやき、瞬く間に広まった。しかして、誰も彼女の氏素性を知らない。ただ、貴族たちの社交の場であり、招待されている以上は、貴族であるのだとは思うが。


 そんなうわさの美女に出会ったのはジョーカー公爵家でのことだった。


「なるほど。話に聞く絶世の美女とはあなたのことだったのですね」


 そう。絶世の美女の正体とは……!?


「アリュエットさん」


 アリュエット君だったのだ。

 幼い頃は女装をしていたアリュエット君だったが、長らく女装姿を見ていなかった。そんな彼が、なぜかドレスを身にまとい、化粧をして、絶世の美女と化していた。


「あまりうわさになるのは良くないんですけどね……」


 落ち込んでいる彼。しかし、いったいなぜ女装を……。


「修行の一環なのよ」


 優雅にお茶を飲みながら、少し楽しそうにラミー夫人が言った。修行。花嫁修業かなにか……?

 そう言いたくなるほどの美女が目の前にいるけれど、実際のところ、当主の修行っぽくはないから、潜入捜査的な意味合いでの諜報の修行なのでしょう。


「変装にしたって、女装する必要があるとは……」


 と若干愚痴っぽく言うアリュエット君。まあ、ラミー夫人の個人的な趣味もなくはないのでしょうけど、それっぽくフォローしておく。


「いえ、女性にしか入れない場所、あるいは女性だから聞き出しやすい情報なんて言うのは多くあります。そういう意味では理にかなっていますよ」


 これは変な意味ではなく、色んな用途、状況が考えられる。そういう意味では、色んなパターンに対応できるように、女装を身に付けておくのも悪いことではない。


「……そうかもしれませんが」


 しかし、まあ、女装。女装というのには向いている向いていないというか、根本的にできるできないというのはある。体格というか骨格であったり、声であったり。そういう意味では、あまり言われたくないのかもしれないけれど、女性っぽい顔つきというのはある種の才能である。


「でも、よくやりましたね。修行とはいえ」


 わたしの知る限りでは、そういうことをあまりやりたがるタイプではなかったと思うんだけど。


「確かに、いままでの僕なら絶対やらなかったと思います」


 いままではやらなかった。つまり、いまはやるようになった。そこにはどんな理由があるのか。


「でも、あんな事件が起きてしまった」


 あんな事件。それが何かは容易に想像できた。大小さまざまな事件が起きてきたが、こうまで言わしめるのは、旧神の残滓、あるいはそれらの発端であるところのアーリア侯爵家の暗躍のことだろう。


「あんな事件が潜んでいるというのなら、僕の小さな矜持なんて捨てて、僕にできることを何でもやるべきだと、そう思っただけです」


 その言葉には、なんというか自信があふれていた。「自信」。それは別に、女装に対する自信などではない。自分のやるべきこと、自分自身への「自信」。

 それは最初にわたしが言ったこと。彼が己のルートで向き合うべきだったはずのもの。

 周囲からのプレッシャーと劣等感。それをはねのけるのに必要なのは「自信」。彼は間違いなく、それを持ち合わせている。


「立派な心掛けですね。まあ、いささか修行不足ではありますが」


「やっぱりそう思う?」


 わたしとラミー夫人の見解は一致しているようだ。それに対してアリュエット君は少しばかり不満そう。まあ、貴族社会でうわさになるレベルには完璧な女装なのだから、修行不足と言われるのが不満なのは分からなくもない。


「ドレス選びがいまいちです。他にも細々としたところで言いたい部分はありますが」


 ドレス、衣類は女性を着飾るうえで欠かせないファクター。女を装うと書いて女装なのだから、そこは外してはいけない。


「のどぼとけを隠すためにハイネックにしたのは分かりますが、肩幅を隠すために肩にボリュームのあるような袖にしたのもあってチグハグですよね」


 パフスリーブやバルーンスリーブで肩幅をごまかしたいのは分かる。しかし、肩にボリューム、首元も隠れて、……しかし胸元はひかえ目で、かつ裾のボリュームがあるので。


「いっそのこと、大人しめで露出の少ないドレスで……」


「そう。逆に露出高めにして、男性のはずがないと思わせる心理誘導を働かせた方が」


「いえ、バレる危険性が高すぎます」


「バレたら修行不足ってことよ」


 前世の文化的には「こんなかわいい子が女の子のはずないだろ」という男の娘文化なども広まっていたけど、こちらでは、確かに女装という状況であえて露出をあげるという人はそういないと思うが。


「ま、まあ、服は誰かに見繕ってもらいます。数着ほど」


「いえ、急場で用意すべき状況もあるはずですから、見繕ってくれる人がいるとは限らないときはどうするのですか。それに、最初に用意した数着を着まわすなど、最初はともかく、しだいにいつも同じドレスだとバレてしまいます」


 ドレスは季節や会場、趣旨なんかによっても変わる。ただの社交ならともかく、誰かの誕生日とか祝い事の場で主賓よりも目立つようなドレスを着るわけにもいかない。逆に自分が主賓の場で地味なドレスというのもいただけない。

 ようはTPOによってドレスを変えろと言う当たり前の話。


「それに、同じドレスばかりだと印象に残るわよ。まあ、見た目で印象付けるのは手法の一つではあるけどね」


 そもそも、既に目を引いているので、今更という話ではあるのかもしれないけれど。後は、「あの人いつも同じドレスよね」ってうわさになるのは良くない。


「ドレス選びに関しては、これからの課題として重点的に鍛えるとしましょう」


「そうですね」


 ドレス選びのセンスというのは磨くのが大変だろうけど、まあ、頑張ってほしい。


「それにしても、自分に出来ることだからと言って、女装までするとは……」


「そうですね。でも……、きっと、僕がどんな格好をしようと貴女は本当の僕を見てくれるし、見失うことはないと、そう思うから、女装でも何でもしようと、そう思えたのです」


 ……過大評価というか、いや、まあ、知り合いが女装していたら気が付くくらいの目はしていると思うけど。

 それにしても告白みたいな物言いに、思わず笑ってしまった。


「まるで告白みたいですね」


 と少し笑いながら言うと、アリュエット君は少し止まって、ラミー夫人がケタケタと笑いだす。


「いえ……、その」


 冗談として言ったのに、割と真面目に捉えられると恥ずかしいんだけど。


「はい。そういう意味で言いました」


 ……。そういう意味って言うのは、つまりそういう意味?

 わたしもラミー夫人もぽかんとしていたけれど、ラミー夫人は先に笑いだして「なあなあでごまかさずにハッキリ言うなんて成長したわね」なんて感慨深そうにしていたけれど、わたしとしてはそれどころではない。


「えっと、その……」


「答えは、いいです。知ってもらえれば、それで。じゃあ、僕は着替えてきますね」


 そう言ってアリュエット君は行ってしまった。ラミー夫人はあちゃーって顔をしていたけれど。


「なんで、誰も彼もわたくしが答える前に言い逃げするのか」


「答える気あったの?」


「いえ、まあ、ありませんが」


「てか、誰も彼もって、え、なに、他にもあったの?


 そういう面白そうな話、あるならもっと早く聞かせてちょうだいよ」

 このままだとガーネット妃まで交えた、恋愛お茶会でも開かれてしまいそうだ、そう思いながら、苦い顔でわたしはラミー夫人に言う。


「実はクレイモアさんやシャムロックさんにも似たようなことを言われましてね」


 そして二人そろって言い逃げ状態である。


「あら……。うーん」


 とラミー夫人は「肝心のあれはまだなのね」とかどうとかブツブツとつぶやいていた。


「まあ、立場はともかくとして、どう答えるかは考えておいたほうがいいんじゃない?」


 それは分かっている。こんなもの立場や状況を盾にすれば、なんとでもうやむやにできるだろう。でも、それではダメだ。人として、ね。


「まったくもって、こんな少女らしい悩みに、今更考えさせられるとは思っていませんでしたよ」


「まあ、確かに。でも、そのほうがいいのかもしれないわよ。貴族であっても少女であることには変わりないのだから」


 少女……と呼べる年齢かは微妙なんだけどね。いや、前世足したら確実に呼べないんだけども。

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