252話:旧き神の残滓・その1
大規模修練場に着くと、調査員というていの騎士たちを散開させて、わたしたちは本命であろう通気口のところに向かった。
通気口を調査しようとしたところで、前方から人影が現れる。
ちょうどいまきた……というわけではなさそうだ。それにしては馬もいないし、衣服の乱れも多少整えている。少し前に着いたという感じだろうか。いや、それならわざわざわたしたちの前に姿を現している理由はなんだ……?
「アーリア侯爵。貴殿の担当は北方ではなかったか?」
この場でそういうのに一番ふさわしい王子が人影……、アーリア侯爵に向かってそのように問いかける。
「少し気になることがありまして、ヘリオドールに任せてきました」
などとひょうひょうと言うけれど、言い切ったあとに「いえ」と言いながら息を吐き、何かを決意したかのように、再び口を開く。
「などという茶番も必要はありませんか。殿下が直接来られているということは分かっているのでしょう」
あきらめた……?
いや、そんなはずはない。何かがおかしい。わたしの脳がそう判断する。いや、なにか先ほどの会話に違和感があったはず。それを第六感がわたしに訴えている。
いったい何が……。……「ヘリオドールに任せて」?
ヘリオドールは南側に回していたはず。それをわざわざなぜ。アクアマリンに任せればいいだけ……。
「……っ!?
これはただの足止めと注意を引くためのです!
通気口の調査を先に!」
そうアクアマリンを北方に向かわせたのならヘリオドールに任せる必要はない。つまり、アクアマリンはここにいる。ちょうどついたところというわけではないのなら、先にアクアマリンを通気口の中に潜らせて、自分はわたしたちの意識をそちらから逸らすために姿を見せた。
……でもその場合、わざわざヘリオドールに任せたなんて言わずに、アクアマリンに任せたといえば、わたしが気付くこともなかったような気もするけど、いや、どっちにしても同じことか。
アクアマリンの名前を出した場合、「もしかしてヘリオドールが向かわずにこちらに来ている可能性は?」という思考に至るのが、ヘリオドールの名前を出すのと比べて若干遅いだけ。
そして、わざわざアーリア侯爵……エスメラルドが顔を見せたのも効果的だった。あくまで「主導」はエスメラルドだと思っていたし、ヘリオドールの本人がやらないと意味がない、恩恵がないということからも、あくまで彼が復活をさせるものだと思い込んでいた部分はある。
アクアマリンやヘリオドールが姿を見せたところで、エスメラルドがどこかでことを起こそうとしているのだというふうに考える。エスメラルドが姿を見せたからこそ、注意が惹かれる。
おそらく、あの決意したかのような反応は、王子がいることで言葉で逃げ切るのは無理と判断して、アクアマリンが復活させることに対して仕方ないと決意したとかそんな感じでしょう。
「やはり厄介だ。思ったよりもずっと早い」
そう独り言ちるエスメラルドだけれど、わたしは苦々し気に言う。
「でも遅かった」
そう遅かった。もっと早くに気が付くべきだった。あるいはエスメラルドが出てくる前に終わらせるべきだった。
「クレイモアさん、殿下を安全な場所に!
アリスさんはわたくしに強化を」
この状況を考えるのなら、もう手遅れ。注意を逸らすということは、逸らした時間があればどうにかなる状況であるということ。相手の想定よりも早く見破ったけれど、それでも、止めるのが間に合うのなら彼はなんとしてでもその時間を稼ぐために、あの入り口である通気口をふさぐなり、なんなりの方法を使うはずだが、それすらしない。
つまり、その必要がない状況ということだ。
「さて、アリスさんに強化をもらったのは良いものの、どこまで意味がありますかね」
そんな独り言を思わずつぶやいてしまうくらいには、最悪の展開。もちろん、わたしの予想が間違っていて、いまからでも止めるのが間に合っていたのならそれはそれでいい。でも、そうでなく、旧神の残滓がよみがえった場合、それを想定していなかったわけではないけれど、実際に直面すると苦虫を潰したような顔をにならざるを得ない。
「ラミー様!」
わたしはラミー夫人に視線を飛ばし、彼女はうなずいた。なら、大丈夫でしょう。いえ、この大丈夫と言うのは間に合うという意味ではなく、アクアマリンの対処をお願いしますという意味に過ぎない。
わたしとラミー夫人はあらかじめ、最悪のシナリオをなぞった場合、どう動くかを打ち合わせている。
まず、わたしが旧神の残滓にかかり切りになることは分かっていた。だから、アーリア侯爵家への対応をラミー夫人に任せることになっていた。現状で、目の前にいるエスメラルドは別の人が対処できるので、アクアマリンを任せるという意味であり、その確認が出来た。エスメラルドは、旧神の残滓への対応で必要なクレイモア君、シュシャ、人質になるリスクのある王子を除いて、アリスちゃんとクロガネの光と闇の2人に任せることになる。
その辺の指示はラミー夫人に任せておけばいいはず。
そんな思考を頭の中で、瞬間的に走らせていたところに、不意の重圧を感じた。まるで、目の前に獰猛な肉食獣が現れたかのような、そんな身の毛もよだつほどの悪寒とプレッシャーが体を硬直させた。
間違いなく何かが現れた。それを第六感が脳内に大音量の警鐘を鳴らして知らせるようなそんな感覚。
そして、地震。いや、正確には地面が揺れたというべきか。地面の下で出現した巨大な力が、上に出るために地面を揺らしている。
耳をつんざく轟音が響き、大規模修練場の壁は崩れ、地面は捲れ、木々は倒れ、そこから強大な何かが人型の姿で現れる。
変わらない人形、聖女の遺産、フェリチータ。その姿に押し込められた災害がいま、彼女から抜け出ようとしていた。
見るだけで分かる。それが人間の手に負えるものではないことを。残滓とは言われているし、核も格もないにも関わらず、間違いなく神の一端ではあるということを。そして、あれが解き放たれたらただでは済まないということを。
――どうする、先手で魔法をぶち込んでみる?
そんな思考がよぎるが、その前に、フェリチータが崩れ落ちた。中身が抜け出たように。
そして、それは災害という形で現界する。
急に現れた防風が竜巻のように、巻き上げた砂と大規模修練場の残骸で渦を形成する。そこに風の渦があると分かってしまう。
こんなのどうすればいいってのよ。
「あれは外殻です」
そんな言葉が、いつの間にか光る手から聞こえた。ミザール様だ。本当に、いま、神頼みしてやろうかと思うくらいには追い詰められている。
しかし、「外殻」?
「あの竜巻が外側の殻ということですか?」
しかし、旧神の残滓には核がないという話ではなかったか。では、その殻の中には何が入っているというのか。それとも中身は空っぽで、立派な外殻が勝手に暴れまわっているだけなのか。
「要するに『旧神の残滓』とは魔力の塊のようなものだと思ってください。そして、その周囲に、そのエネルギーによって災害が生み出されています」
「周囲に生み出されるということは、そのエネルギーを守る意図が……、意思があるということでしょうか?」
「そうではありません。単純にエネルギーを中心にそれが発生しているというだけです」
ああ、単純に考えればそうか。外殻という言葉で産まれた先入観で、中身を守るということに思考が引っ張られていた。ただの災害としてまき散らされるにしても、発生源とそれを生み出すだけのエネルギーは存在しているということだ。
「……つまり、あの外殻を剥いで、露出させたエネルギーの塊に、格を……魂を与え、それを鏡で消し去れということですよね」
外殻ごとまとめて写し取れるのなら、楽な話だけど、あれは、エネルギーから生み出された災害という結果でしかないわけなのだから。
「それで、あんなもの、どうや……」
わたしはそれ以上、言葉を発せなかった。空気が変わったから。正確には、まるでいまここが砂漠と化したかのように、空気が乾燥していくのが感じられた。それに遅れて、熱気。
「まっ」
マズイ。と言い切る前に、それが起きたらヤバいという第六感に従って、「水、風、土」の三属性複合魔法「凍土」を正面に向かって放った。
ジュッ!
そんな音とともに、煙、いや水蒸気が立ち昇る。
危なかった。わたしが「凍土」を放った範囲以外を見れば一目瞭然だった。地面が焼け、燃え、爛れていた。足元がああなったら立っていられない。いや、それで済めばいい。体すら焼け焦げていたのではないか、そんなふうにさえ思う。
まさに、災害だ。それも、あれがわたしたちを狙ったものではない。全方位に、広がるように放たれたそれは、災害としてただそういう形でまき散らされているだけなのだ。
つまり、次なにが起きるかも分からないけれど、それでも、あれと同じようなことがいつか起きるわけだ。いまかもしれないし、三十分後かもしれないし一時間後かも。それすらも分からないのが非常に辛い。
三属性の複合魔法で魔力をごっそりと持っていかれた以上、こんなのそう何発も対応できない……。そのうえで外殻も削り取らなきゃいけないってのに。
こんなのどうしたらいいってのよ。




