222話:海原と船上の狂騒・その4
ミズカネ国のある大陸に滞在していた期間は、およそ10日前後である。行きの航海と合わせるならおおよそ20日が経過していて、1か月で帰るには残り10日ほど。順調に行けば大体その通りに帰れるけれど、行きも帰りも上手く行くなんてことはそうそうあるはずもなかった。
というよりも、行きに気風が追い風気味だったのなら、帰りは逆風になる可能性は高い。もちろん、そうした状況でも進む方法はあれど、追い風でぐんぐん進むよりは当然遅い。
「嬢ちゃん、こりゃ、たぶん2、3日はかかるな」
つまり12、13日くらいの航海になりそうということ。わたしとしては、場合によっては20日くらいかかることを想定していたので、だいぶマシで驚いた。
「もう少し遅い時期だったら危なかったけど、この時期ならそんなもんだ」
そんなふうに説明されたら、総納得するしかなかった。まあ、最悪の想定より全然早くなるというのなら、別に否定するようなことでもないし、否定したところで現実は変わらないので、結局のところ何にも変わらないのだけど。
それに急いで転覆して、鏡が海の底どころか、世界のどこかに流されてしまって……、なんてことになったら目も当てられないので、ここは変なことはせず、風に任せてできるだけ安全に帰ったほうがいいでしょう。「魂を消滅させる暗き鏡」を持って帰ることが今回の旅路において最重要なのだから、危険だけど早く帰るより、安全だけどちょっと遅くなるほうを取るべきだ。
しかし、そうなると船のうえで出来ることなどさして多くなく、行きの船でそういったことの大半をやってしまったわたしは暇を持て余していた。
そのため、わたしにできることといえば、「記憶」を呼び起こすことだった。
アーリア侯爵たちの目的。そこに迫るためのピース。その決め手は過去か現在か未来か。分からないけれど、とにかくヒントになりそうなエピソードや情報を手当たりしだいに思い出す必要がある。
わたしが覚えていることにも限度はあるけれど、それでも、その中からできうる限りのヒントを見つけ出さなくてはならない。もちろん、ラミー夫人のことだから、何かしらの情報を入手してくれているとは思うけれど、それがどの程度の情報かも、どこまで真実かもわからない以上、できるかぎりの情報をわたしがわたしの脳から引き出しておくに越したことはない。ラミー夫人の得た情報の裏付けという意味でもね。
アーリア侯爵家にまつわるエピソードとして印象深いのは……、なにを置いても彼女のことだと思うけれど、ほかに何かあっただろうか。まず、アーリア侯爵家が存在しないメタル王国時代のことになると、情報のつながりがさすがにわからない。そうなると、「たちとる」の時代、建国当時のベリル青年。彼のエピソードだと……、あまり思い浮かばない。正直、「たちとぶ」の時代でも思い浮かばない。別大陸の「水銀女帝記」も関連が浮かばない。
そうなるとやっぱり、……「たちとぶ2」かな。
「マシシちゃん……」
でも、それこそ彼女のエピソードから、いまの状況につながるようなエピソードは出てきた覚えがない。まあ、それもそのはずではあるのだけれど。しかし、ほかが情報のつながりが薄すぎるので、望みがあるとすればここというのも、またどうしようもない事実。
結局、どれだけ頭を回しても、現状打破になるような情報は思い出せなかった。まあ、こうした思い返しは定期的にしていたので、今更になって思い出すことなんてそうそうないといえばそうなのだけれど。ただ、もう少しきっかけのようなものがあれば、何かの拍子に、どこかにつながる……なんて可能性もあるから、無駄なことではないと思いたいけれど。
頭を回したので、冷やすために夜の甲板に出て潮風を浴びていた。風が心地いい。
考えてみれば、わたしたちの状況はこの船のように逆風に向かっている状態と言えるのか。それでも風の受け方によっては前に進むことができる。順風よりは遅くとも、すこしは前に。
それなら、わたしたちも同じように、情報や状況の受けかたを変えることで、前に進むことができるのではないだろうか。いや、進んでいるのかもしれない。
そんなことを、ぼーっと考えていた。
船上は今日も慌ただしかった。帆の調節に食糧の見積もりなどで、船員たちが右往左往している。食糧の見積もりというのは、もともと、この船には航海の日数が読めない都合上、船員たちの分の食糧が多め……、保存食も含めて30日分くらい積んであるのをどのくらいの配分で使っていくのか、ということである。
ぶっちゃけて、30日分と言っても、10日分くらいは保存食。一応、12日か13日くらいと予想を立てているのなら、それに合わせて食糧を使っていく必要がある。さすがに保存食から先に消費して、腐りやすい食材が航海の最後のほうには全部腐っていて食糧がないなんてことは絶対に起きないでしょうけれど。
まあ、最悪、漁の真似事なり、釣りなりでどうにか食材が確保できなくもないが。
そんなこんなの船上生活が終わりを告げるのは、おおむね予定通り。途中、アルミニア王国で停まったのも含め、ミズカネ国出港から12日後の夜のことだった。しかし、港での手続きは夜が明けてからではないとできないので、結局、そのまま船で夜を明かし、正式に入港したのは13日目に入っていたけれど。
そこから、更に手続きなどのためにもう一泊し、そこで馬車などの準備を整える。
行きはミズカネ国の使者に付き添う形でここまで来たが、そのときに、ディアマンデ王国から来たラミー夫人の用意してくれた馬車と御者はあれから1か月ほどここにとどまり、定期的に、ラミー夫人に暗号でわたしたちが「まだ帰ってきていない」ということを報告してもらっていた。
もっとも、常に同じところから手紙がきているとなれば、暗号を解読せずとも怪しまれる可能性を考えて、いくつかのパターンで送っていたみたいだけれど。そのへんの詳細はわたしも把握していない。
「嬢ちゃんたちとの航海は中々楽しかったから、またなんかあったら、そんきゃ頼ってくれや」
アルフレッドは、そんなふうに言ってお土産程度に、クロム王国の港町で評判の屋台料理をおごってくれた。まあ、わたしがそうそう海外に行ける身ではないので、直接お世話になることはあまりないと思うのだけれど、それでもいつか、自由になったら世界一周でもしてみたいし、そんなときはこの「波乗りアルフレッド」を頼ってみるとしますかね。
そのくらい、わたしもこの気風がいい船乗りが気に入ったのかもしれない。
ほかの船員たちからもわたしたちの評判は良かったのは、大人しく船に乗っていた、少なくとも邪魔はしなかったからなのか、それともむっさい船内で紅一点の女の子たちだったからなのかは深く考えないことにした。
と、そんなわけでわたしとシュシャは、この大陸に戻ってさほど間をおかずに馬車に乗り、帰路についていた。一泊したのも準備諸々と、最低限の身だしなみ……潮風で傷んだ髪を整えたり、潮の匂いを落としたりとかをするためで、本当に「すぐ」と言っても差し支えないでしょう。
「それにしても、この旅ももう終わりですね」
わたしはそんなふうに小さくつぶやいた。港町での確認で、ディアマンデ王国内で特に大きな何かが起きてはないということはわかっている。旧神の残滓が復活したら、クロム王国には確実に情報が入るくらいの規模になるどころか、クロム王国も大混乱だとは思っていたので、港が平常運行だった時点で、その予想はできていたけど。
この旅には、そこまで自由度はなかった。制限時間はあるし、目的もある、やらなくてはいけないこと、やってはいけないことがはっきりしていたし。それでも、普段の仕事、立場から解放されて旅をするのは、中々に楽しいものだった。
「海を越えるほどの道のりを『旅』で済ませてしまうのはカメリアらしいですね」
シュシャがくすりと笑いながら、そう言った。確かに、この世界において、海や山は強大な脅威であり、気軽に越えられるものではない。前世で旅行と言えば、すでに国内でも新幹線なり飛行機なり、そうでなくても車でひょひょいと行けて、海外にも飛行機で簡単に行けていたからなあ……。
わたしはこの世界で旅をしたことがなかった、というか、王都からほとんど大きく離れていないから、「旅」というものの尺度が前世の感覚に寄っていたのだろう。
まあ、でも……。
「旅以外に的確な言葉もありませんし、それでいいではありませんか。きっと、いつか、もっと安全で快適に航海ができるようになれば、船旅というのも一般的になるでしょうし」
船の安全性、快適性の向上。これは、何も旅のためだけではなく、海が安全になることによって生じるメリットは多いし、アルミニア王国など、海がより重要な国々では、ずっと船についての研究は進められている。そうでないわたしたちディアマンデ王国でも進められているくらいだから、まあ当然なのでしょうけど。
船が安定すれば漁獲量なども増え、漁業が安定化し、更に交易なども安全に多く、そして早く進むことになる。
「あら、そう言うからには、カメリアがそれを成し遂げるのですか?」
「まさか。わたくしには難しいでしょう」
いまの船の状況から汽船、外輪船へと展開していくだけのことをわたしが提案したところで受け入れられないでしょうし。まあ、外輪船の考え自体はこの世界でもあったので、可能性がないわけではないんでしょうけど。あるいは、帆船をもっと進化させるとか?
とにかく、船の知識が豊富にあるわけでもないし、いくら何でもわたしには難しい。
「そういうものですか」
などと言いながらも、シュシャは「とか言いつついろいろやるんでしょ?」みたいな視線を送ってきていたけれど、何を期待されているやら……。
ただ、まあ、いつか、自由に世界一周でもできるなら、そのときのために必要ではあるんだけどね。




