022話:カメリア・ロックハート09歳・その8
「おや、このようなところで会うとは奇遇ですね、クレイモアさん」
などとわたしが言うのも当然。わたしがいま居るのは、この国の錬金術研究の先端、国立錬金術研究棟、通称「勾玉の棟」。ビジュアルファンブックでも軽く触れられている程度の施設だけど、三日月型に近い形をしていることからそんな風に呼ばれているそうで、本来は国立魔法学研究棟と同じ大きさ、同じ形になるはずだったのが予算の関係でこうなったらしい。だから、カシューナッツという通称は、本来、蔑称のような扱いだったようだ。
そんな錬金術を学ぶものしか訪れない秘境で知人と出会えば、このようなことを言うのは当たり前ではないだろうか。
「本日は知見を広めるために、と父に申し付けられまして見学していました」
確かに、お兄様ほどではないけれどクレイモア君は魔法がさほど得意ではない。見聞を広めるためにも、錬金術についてかじっておくのは悪くないことだと思うし、クレイモア君のお父様もそう判断して見学させていたのだろう。
「でしたらわたくしが案内いたしましょう。案内がついていた方が見学も幾分スマートにできるでしょうし」
実を言うと、このカシューナッツはもはやわたしの庭というレベルで自由に出入りできる空間になっている。研究員ではないにも関わらず、ほぼすべての場所に対して出入りを許されているのだからありがたい話だ。
これに関しては公爵令嬢という立場と錬金術に対する姿勢を評価されてのことだと思うけど、正直、そんなに簡単に許可を出していいのかとは思っている。まあ、国からの扱いが悪い錬金術だし、公爵令嬢のわたしを足掛かりにロックハート家など地位の高い貴族になるべくいい印象を持ってほしいという部分もあるのだろう。
「いえ、カメリア様に案内をしていただくわけには……」
まあ、断るとは思っていたけど、ここで素直に「じゃあご自由に」というわけにもいかない。そもそも、正直なところ錬金術の研究というのは解説がないと理解できない部分が大きいのに自由に見て回られても……、という部分もあるし、危険物も多い。クレイモア君が不用意に触るとは思えないけど、そういう意味でも案内役はマストなのだ。
「錬金術の中には扱いを間違えば爆発してしまうような危険物もあります。もちろん、クレイモアさんが勝手に触れるようなことがないのは分かっていますが、万が一ということもあります。研究中の方々の手を煩わせるわけにもいかないでしょう?」
わたしの言葉にしばらく悩むように間を置いたクレイモア君だったが、どうやら結論は出たらしく、私の方を見て言う。
「それでは申し訳ありませんが案内をしていただけますでしょうか」
「ええ、もちろん。それではさっそくご案内いたしましょう」
このカシューナッツは研究施設としては大きく分けて3つの役割がある。軍事利用研究と商業利用研究、根源研究。本当に大きく分けているだけで、実際はその中でもかなり研究が分かれているんだけど、それを上げていたらきりがない。
軍事利用研究なんかは文字通りの軍事的な利用に関する研究で、火薬などをはじめ多くのものがそのために研究されている。正直なところ、この研究部門が最も国から資金を出されている部門。
商業利用研究も文字通りといえばその通りで、錬金術による産物の商業利用に関する研究。そのため、この部門だけは錬金術を学んでいる人以外も人が訪れることがあるけど、あまりうまく行っていないらしい。
根源研究は、この世界における錬金術の根源である金属を作り出すということを研究している部門で、一番予算が少ない部門で人数も少ない。でもその在り方は最も錬金術として正しい部門。
わたしは主に軍事利用研究に関わっている。戦争が起きたときのため、あるいは戦争が起きずに錬金術が発展しなかったときのために。
「以上がこの国立錬金術研究棟の概要となります。さらに詳しい解説はもう少し錬金術に関する基礎知識を履修してからの方がよいでしょう。このまま聞いてもおそらく余計に混乱するだけでしょうし」
クレイモア君は多少の錬金術の知識を持っていることは知っているけど、9歳時点では基礎の基礎程度の知識しかないはず。そこで専門的なことを説明したところで訳が分からなくなるだけでいいことはない。
「大変勉強になりました。しかし、それ以上に、カメリア様が自分の想定以上に錬金術に詳しいということも分かりました。そうでなくてはこのように自由に回りながら説明するなどということは難しいと思いますので」
まあ、城内でも多少噂になっているらしいけど、錬金術という分野の理解の無さから、わたしがどのくらい錬金術に精通しているのかというのはあまり知られていない。ただ、錬金術をかじっている人からすれば十分に知識があるという扱いなので、「何となく凄いんだろうなあ」という認識の人が大半だろう。
わたしの場合は現代の知識という反則じみた要素があるので、自分自身で「凄い」とは思わないけど、そういう評価になるのは自然なことなのだと思っている。何せ、いくつかの事柄は答えを知っているようなものだし、過程のヒントもある。ズルをしているのに一般人に毛が生えた程度では専門家たちに申し訳なさすぎるというものだ。
「わたくしは広く浅く学んでいるだけですから簡易な説明こそできますが、専門的な領域になれば専門家の方々には遠く及びません。クレイモアさんはまだ錬金術に対する知識が少ないので、その物差しで測ればわたくしが詳しいように思えるかもしれませんが、まだまだ全然わたくし程度の知識では足りません」
クレイモア君の場合はほとんど知識がないから、その視点で見ればわたしだろうと専門家だろうとすごく詳しいと思えるのは当然だろう。
「カメリア様は……、いえ、なんでもありません」
クレイモア君は何かをわたしに言おうとして、口をつぐんでしまった。おそらく質問をすることが失礼に当たるとかどうとか思ったに違いない。その辺の頭の固さが彼のいいところでもあり悪いところでもあるような気がする。
ゲームとして「たちとぶ」をプレイする上では主人公の視点だったから特に感じることはなかったけど、こうして実際に主人公ではない立場として彼と話すと一層そう思う。
「何か聞きたいことがあるのでしたら構いませんよ。むしろ、そのように黙り込まれてしまうほうが何かあったのかと気になってしまいますし」
わたしの言葉に、ばつが悪そうに目を逸らしてから、決意をしたのだろうか。わたしに向かって問う。
「なぜカメリア様はそうまでなさって様々なことを学ばれているのでしょうか。錬金術に限った話ではなく、先ほどカメリア様は『広く浅く』とおっしゃっていましたが、自分からすれば『広く深く』学ぼうとされているように思えるのです」
広く深く、か。いや、まあ、それができるなら誰しもそう学ぶべきなんじゃなかろうか。いや、一概にそうとは言えないだろうけども。
しかし、そう見えているのか。いや、まあ、わたしの場合は「知識」という下駄があるので、それによって深く見えているに過ぎないと思うのだけど。
「そうですね。なるべく多様なことを知っていたほうがいいと思い、様々なことを学んでいるというのはあります。広く浅くというのは現状であり、わたくし自身、広く深く学べればそれがいいのですけどね」
と、そこで一呼吸おいてから、続きの言葉を話す。どうしてもクレイモア君は受け身になりがちなので、わたしから喋ることが多くなってしまいがちだ。
「殿下の婚約者ということは、殿下に……王家に恥じないだけの教養が必要になります。特にわたくしの場合は三属性という魔法の素質を買われて婚約者に選ばれたようなものですから当然魔法の知識や技能は必要でしょう」
別に魔法だけが決め手だったわけではないだろうけど、でもそこが大きな意味を持っているのは誰にでも分かっていること。クレイモア君ですら分かっているはずだ。わたしが威光を知らしめるための広告塔であることなど。
「でも、だからといって、魔法だけを学んでいればよいというものではありません。錬金術もその他の知識も等しく持っているに越したことはないものなのですから」
魔法だけでは王子の婚約者は務まらないだろう。まあ、それはわたしが婚約者になるのならという話に限った場合だけど。主人公の場合は事情が異なる。元が平民の出というのもあるし、稀少性の高い光の魔法というものだけでも周囲から許されてしまうだろう。それは暗に彼女のことを下に見ている人間が多いともいえる話だけど、そんな色眼鏡ならこの世界に限らず、元の世界でも学歴なんかの色眼鏡があったから変わらない。
「つらくはないのですか?
まるで重責を自ら負うように様々なことを学ばれるというのは、ただの令嬢として生きるよりもはるかに険しく思えます。差し出がましいようですが、そう思ったのです……」
「つらくはありますよ。どんなことにも楽なことなどありませんから。ですが、それと同時に楽しくもあります。学ぶこと自体が楽しくなければ、このような生活は続けられていないでしょう」
実際のところ、つらい、つらくないというのはあまり関係のない話というか、重責も何も、それらは方便に過ぎず、その重荷は全て「主人公」におっかぶせようというのだから楽なものだ。
こうして勉強しているのは、あくまで「自分が生き延びるため」であって、立場どうこうとか王子の婚約者としてどうこうって話ではない。
「クレイモアさんも訓練をなされているでしょう。訓練自体はつらく厳しいものであっても、それが自分に必要なものだと思っているからこそ続けられていますよね。わたくしもそれと同じです。こうしてさまざまなことを学んでいるのは自分の目的のために必要なことだからなのですよ」
クレイモア君はわたしの言葉に何か思うところがあったのか、それきり黙りこくってしまった。でも、わたしはどう言葉をかけていいかも分からないし、その沈黙を待つ間に近くにあった鉱石を手癖でいじる。
「……それはどのようなものなのでしょうか」
「え?」
ほとんど意識していなかった行為だったので、そう問われたわたしは思わず、間の抜けた声で疑問符を投げかけてしまったが、クレイモア君の視線はわたしの手にある鉱石に向けられていた。
「ああ、これは鉱石ですね。錬金術の思想の根源、金属を作ることを研究するために用意されている金属などが含まれた鉱石です。これを元に解析などを行っていくのですよ」
この鉱石というのがわたしの知る現代のものとは異なる使い方をされるものなんだけど。金属が含有する鉱石なんてわたしの知る現代の知識でもそうそう詳しくは知らないけど、子供の頃の夏休みの宿題用に売り出されたもので見た覚えがある。鉱石の中に含まれる金属なんてほとんどないのが普通だ。含有しているといっても本当に僅かなことが多い。
だけどこの世界においては異なる。魔法によってそれらを寄せ集めて抽出することができてしまうのだ。
「そう言ったものも錬金術にとっては重要なものなのですね」
興味ありげに鉱石を眺めるクレイモア君。まあ、気持ちは分からないでもないかな。なんていうか、化石とかもそうだけど、男の子ってこういうの好きだろうし。
「錬金術の基礎ですからね。最初から軍事のために学ぶ人などは通らない道でしょうけれど、錬金術という分野をまっとうに学ぶのならば、錬金術の根底である金属の生成につながるので手に取る人は多いでしょう」
元々錬金術を軍事利用しようという思想のもと錬金術を学んでいたらあまり通らない道だけど、錬金術を学ぶのならば誰もが一度通るのが「根源研究」。そこから他の研究へと派生していくのが本来の流れ。
「ですが、カメリア様ほどのかたなら、既に通り過ぎた道でしょう」
「いえ、まったく。そもそも錬金術の根源である『別の金属を作る』ということがなされない限り、如何な人にも通り過ぎることはできません。わたくしなんてなおさらです」
数学の根底に算数の四則演算があるように、どれだけ発展的な道をたどろうとも大元は変わらない。そこをないがしろにすることはできない。それゆえに通り過ぎるなんてことは絶対にない……はず。
「そういうもの……なのですか。どうやら、自分にはまだ錬金術が何たるか、その初歩の初歩すら見えていなかったようです」
「それはこれから学んでいくべきことでしょう。だから気にする必要はありませんよ」
何もかもを最初から知る人間なんていないのだから。
結局、その後、しばらくして、クレイモア君はカシューナッツを後にした。なんだか妙に鉱石のことを熱心に聞かれたから、やっぱり男の子だなあって思いながらも、色々教えてしまった。まあ、これから錬金術を少しでも学ぶ気があるのなら無駄にはならないと思いたい。




