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218話:水銀女帝と黄昏の鏡・その3

 結局のところ、いつ記されたのかもわからない壁の文字は、そのとき以来、変わりがないし、鏡自体も特段何かがあったわけではないということだった。まあ、このパスタのちょうどいい茹で加減(アルデンテ)なる人物が何かを求めて、この鏡を見にきていたようだし、場合によっては、持ち去られていたかもしれないとすると、こうした確認はしなくてはならなかったのだろう。


 という一通りのミザール様との対話を終えて、ミザール様……武曲様との対話について懇切丁寧にシュシャに説明しながら、わたしは「魂を消滅させる暗き鏡」を入手したのだった。弾丸スケジュールでここまで来ているけれど、すでにここまでで半月以上が過ぎている。ようやく目的を達したとはいえ、帰るのも急がなくてはならない。


 だけれど、アルフレッドたちの都合を考えるのなら、戻って、帰る旨を伝えて、仕入れなどの状況を鑑みて……、となるともう数日は考えなくてはならない。帰りの航路が順調に行く保証はないし、そう考えると一か月はおそらく超過するでしょう。いや、まあ、もともとギリギリもギリギリのスケジュールだったので、これ以上延びなくてよかったと前向きに捉えましょうか。






 王宮に戻ったわたしは、シンシャさんに報告をする。


「それで、君のことだから手に入れたのだろうけど、『黄昏の鏡』はあったのかい?」


 そんなふうに問われ、わたしは布でぐるぐる巻きにした「魂を消滅させる暗き鏡」を見せる。そして、少しイタズラっぽく、


「ここでご覧になりますか?」


 と問い返した。魂をかどわかすとうわさされるものを直接見たい人はいないでしょう。ここで嬉々として見せてくれという人は、まずいないでしょう。


「安全ならば見せてもらいたい」


 毅然とした態度でそういうのは、危険がある状況でそんなことを言ったりしないだろうというわたしに対する信頼なのだろうか。


「おそらく安全だとは思いますが、なるべく鏡面に映らないようになさってくださいね」


 そんな前置きをしてから、わたしは布を剥ぐ。現れた鏡は相変わらず金属の光沢が光を反射し、そこに世界を映していた。


「これが……、『黄昏の鏡』か。まるで吸い込まれてしまいそうで、魂をかどわかすというのもよく分かるな」


 魔性とでもいえばいいのか、引き付けるような何かがあるようにも思えるのはわかる。でもそれと同時に、寒気を催すような神秘もはらんでいるけれども。


「鏡を入手したということはすぐに帰るのかい?」


「はい、なるべく早く帰らなくてはなりませんから。船の状況を見て、数日は留まるかもしれませんが、準備ができしだいすぐにでも」


 もともと、早急に帰るのは予想していただろうし、ここは素直にそう告げた。すると、シンシャさんは少しだけ考えてから、


「時間があったら『代行者』に顔を見せてあげてくれないかい?」


「ラピス殿に、ですか?」


 正直、ラピスとの絡みは、あそこで終わったものとばかり思っていたけれど、まあ、シンシャさんが言うのだから、時間があったら顔を見せるくらいはしますか。






 それからアルフレッドたちとの出立日時の調整が終わり、仕入れの状況から1日、2日程度の空きができた。もちろん、すぐに帰れるように荷物をまとめたり、別れの挨拶をしたり、なんていうのがあるので、1日ぐらいはあっという間につぶれるわけだけれど。


 というわけで、挨拶ついでに言われていたラピスのもとを訪れることにした。


 わたしが訪れると、彼女は快く迎えてくれて、いつの間にこんなに好感度を稼いだのだろうかと少しばかり怖くなった。


「えっと、シンシャ殿に顔を見せるようにと言われてきたのですが」


 わたしの言葉に、顔を逸らして、しばらくしてから、言いづらそうに彼女は言う。


「……『代行者』として、より神の代行を務めるために、ご助言をいただきたいのです」


 などと言われても、わたしは彼女以上の「代行者」を知らないので、これ以上のアドバイスのしようなどないのだけれど。そもそも、彼女も魔法使いとしての資質はこれ以上ないくらいに高い。そんな人にアドバイスをできるほど、わたしも魔法のスペシャリストというわけでもない。教えられるとしたら「複合魔法」とか……、そういう使える人が限られるものだけれど。


「そうですね……。例えば、水は雨や川、海の代行ですよね」


 この国での魔法……、呪術の考え方はこういうものだったはずだ。それこそ、木魔法は木々の芽生えや農食物などの代行、土魔法は地震、土壌、山、金属などの代行、火魔法は火事、暖気、乾燥、風魔法は風や嵐など……。あくまで挙げたものは一部でしかないけど、まあミズカネ国ではおおよそ、そんな感じの思想なのだ。だから、それに合わせて説明する……べきだろう。


「風は嵐なども含みますが、嵐には雨なども含まれますよね」


 なるべくわかりやすいように、違う宗教思想の相手にかみ砕いて伝えるのは非常に難しいのだけれど、それでもどうにか伝わるように考えながら話す。


「例えば、わたくしが先日使用したのは土と風のどちらともの代行である『砂塵』、つまり砂嵐ですね。このように、別に一つの事象を起こすのに対して、一柱の属性神のみが携わっているわけではなく、多角的な代行をですね」


 多角的な代行ってなんだよって言いながらわたしも思ったけれど、それでもラピスは熱心に聞き入っていた。正直、こんな話を聞いたところでなんかそれっぽいことを言っているだけなので、正直、騙しているようで気が重くなる。


「ですから、水や冷たい風を合わせれば雪や氷の代行などということも可能になります」


 わたしの言葉にうなずいて、「なるほど」と言いながら魔力を込めて唸る彼女だけど、複合魔法にはまず二属性なくてはならないという条件があり、そこを乗り越えても、簡単に習得できるほど甘くない。


「こういう感じですね!」


 そう甘くない……はずなんだけど。


 なんとも驚いたことに、ラピスはあっさりと「氷結」を成功させた。


 ラピス・ケインジヤ。水と風の二属性の魔法使い。だったとして、こんなにもあっさりと成功させられるわけがない。でも、現実に成功しているわけで……。これも才能だろうか。というかアルコルに知られたら怒られるな……。ただでさえ「複合魔法」は過ぎた技術だと言われているのに、これ以上広めないように厳命されていたのだけれど。


 いや、だって……、こんなにあっさりできるとは思わないじゃん。

 というか、また「氷結」だ。わたしの周りだと、ラミー夫人も水と風の二属性だし、パンジーちゃんも同様、そしてラピスも同じく水と風だとすると、さすがに偏りがひどい。まあ、確かにパンジーちゃんが海に影響されている可能性があるように、水と風は人々により身近だからという可能性がないわけではないけれど。

 適性だけで言うのなら、水、火、風の三属性を持つシュシャも「氷結」が使える可能性があるのだし。


 とはいえ、フェロモリーは木、火、土の三属性だし、……確かもらった情報によるとジングは土、木、水の三属性のはずなので、全員が全員、「水と風」ばかりというわけではない。


 この違いは何かといえば、ディアマンデ王国とミズカネ国に「水と風」が多く、ファルム王国は「土と木」が多いのでは……という推測できるくらい。あまりにも人数が少なくて、本当に推測の域を出ない。

 ただ、鉱山産業のファルム王国に「土」というのは国土の特色と合致するので、風土や特色の影響という可能性な気がしなくもない。いかんせんデータ不足で確定はできないというところだけれど。


「ただ氷が出る、これでは雪や凍るというものの代行にはまだ遠いですね。ですが、あなたのいる高みに一歩でも近づけたような気がします」


 キラキラとした笑顔を見せてくる彼女だけど、わたしはそんな「高み」なんて言える場所にいないし……。確かに、砂嵐とかはいかにも自然現象っぽいけど、似たような域にあるのは……、「自然」とか「樹林」とかくらいじゃないだろうか。


 勝手に崇め奉られても困るのだけれど。そもそもそんなにご高尚な存在ではないし。


「わたくしのわずかな言葉だけでこれだけ前進できるのですから、やはり、わたくしの思った通り、あなたは立派な『代行者』ですよ」


 ここで変に否定したり、肯定したりしたら余計にこじれると思って、相手を褒める方向に持って行くことにした。まあ、なんというか上から目線で誉めているようになってしまったけれど、とにかく彼女はわたしなんか目ではない立派な「代行者」だ。


「はい、これからもあなたの域を目指し、邁進します」


「目指すべきはわたくしなどではなく、神の域でしょう」


 そう言うと、彼女はきょとんとしていた。いやいや、まるでそんなわたしが神の域にいるみたいな勘違いをしているかのような……。いや、深く考えるのは辞めておこう。なんか、面倒くさい気がするし。


「それでは、わたくしは帰国の準備などがあるのでこれで」


 そう言って、そそくさと彼女のもとを後にした。






 そうこうして、帰国の準備やあいさつ回りなどはつつがなく進行した。そんな中でもわたしはずっと気にかかっているのが、ディアマンデ王国内はどうなっているかということである。一応、いろいろと工作してきたし、ラミー夫人もいるので、そう大きな問題が起きているとは思いたくはないのだけれど。心配なものは心配だ。


 ここから帰るまでに、航海の時間を考えるとどうあっても再び10日前後はかかるので、どれだけ考えても無駄だとはわかっているのだけれど、それを考えずにはいられないのが人間の(さが)というものだろう。


 どうか何事もありませんように、いや、尻尾をつかめていて欲しいので、何事もないとそれはそれで困るのだけれど、取り返しのつかない何かになっていないようにというべきか、柄にもなく、そんなことを祈るばかりだった。

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