表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
216/275

216話:東方の賢人ラピス・ケインジヤ・その1

 汞国(みずかねのくに)の東方、甘汞(カロメル)という領地の三碧(サンペキ)という村で生を受け、村長の娘という、我がことながら恵まれた出生だった。こんな地方の生まれだと食べるものも飲むものもままならないことが多く、そびえる山から流れ出る水もまともに確保できているとは言えない。


 食べるもの、飲むものに苦労しないのは相当に恵まれていたと思う。


 だからこそ、わたしは、村の人たちに返したかったのだと思う。気が付いたころには、水の魔法を使い、村の人たちの喉の渇きを潤し、田畑に与える水の代わりも担った。

 それは神々のもたらす意思、「雨」の代行をしているにすぎず、そして、「雨」を雨としてではなく、こんな手から出して、少量分け与えることしかできない自分がふがいなかった。

 それでも、わたしはわたしにできる限りの「代行」を務めた。それが神々の代行者たるわたしたちのするべきことなのだから。


 来る日も来る日も、そうやっているうちに、他の村々にも、そして、街にも、領地の全域に、わたしが分け与えていた。


 それは「川」であり「雨」であり、それらの「代行」であった。


 そして、いつしかわたしは、「東方の賢人」と呼ばれるようになっていた。

 そのころに、先代の「代行者」であるシア様……、エーリック・シア様と出会い、その流れで先代の皇帝陛下にもお目にかかることができた。年若い国の端のただの村長の娘が、皇帝陛下に会うなど、とてもではないが考えられる話ではないし、当時のわたしは緊張して、しどろもどろになっていたのも覚えている。


 ご高齢だったシア様に代わり、わたしが「代行者」の任を与えられたのは、それこそ、偶然というものだった。シア様に村の……東方のことを任せて、わたしは「代行者」となった。

 そのとき、わたしが継承したのが「紫雲の黄衣」。かつて、この国に多くの恵みをもたらしたという「旧き代行者」、ティンクトゥラがもたらしたと言われている聖衣。それゆえに、それそのものに意味があり、この国の中では象徴として大きな意味を持つ。そんなものを継承してしまっていいのか、わたしはひどく悩んだものだ。


 しばらくして、皇帝陛下が崩御され、国は割れ、わたしもまた宮中(きゅうちゅう)の権力争いに巻き込まれそうなそのときに、遥か昔、この国の帝位継承に用いられていたという杖を見つけてきた。それにより、帝位継承権を主張し、瞬く間に宮中を、国を変えてしまったのが新皇帝、シンシャ・ニ・スイギン……あらため、シンシャ・ニ・ミズカネ陛下である。





「それで、彼女はどうだった?」


 シンシャ陛下の言葉に、わたしは静かにうなずいた。現在、彼女……カメリア・ロックハート・スペクレシオン殿はシュシャという少女を連れて、よく聞く風土の地域伝承の「黄昏の鏡」を取りに行くという、とんでもないことをしに行かれたので、わたしは、シンシャ陛下に呼び出されていた。


「そうですね……。本物でした」


「本物……、というのは、『代行者』として君と並ぶだけの実力があるということかい?」


 その言葉に「いいえ」とわたしは首を横に振る。怪訝そうな顔をする彼を前に、わたしは言葉を続ける。


「わたしに並ぶなどというのはおこがましい。あの方はまさに神々の代行です」


 わたしたちは所詮、雨などの神々のもたらすものを小さな形でしか代行できない、本当の形では代行できない。それに対して、あの方は、砂嵐という神々の領域の自然現象をまさに代行してみせた。それはまさしく、本来の意味での「代行者」であり、わたしたちが目指すべき形、あるべき形でもある。


「それほどに?」


 陛下の「冗談かい?」とでも言いたげな顔に、真顔を貫き通す。冗談でも何でもない、あれを……あの光景を実際に目の当たりにすれば、わたしの言っていることが真実だというのはすぐにでもわかる。


「本当に、かい?」


「ええ、もちろん。あの方は、まさに本来の意味での代行者でした。その御力(みちから)を目にすれば理解できると思います」


 もっとも、その御力の矛先の向けられかたが一歩違えれば、国が壊滅しかねませんが、あれほどの神々の代行を成し得る方がそのようなことをするとは思えませんが。

 おそらく、あの方は、神々の心意……神意に基づいて行動されているのだと思う。そうであるのなら、その膨大な知識量にも納得がいく。


「なるほど。君ほどの人物がそれだけ言うのだから間違いないのだろう。……だとするなら、思ったよりも事態は深刻なのかもしれない」


 陛下はそんなふうに大きく息を吐いた。一応、馬車での道すがら、おおむねの話は聞いているので、彼がそんなふうに思う理由も何となくは理解できる。


「そうですね。それだけの方が、わざわざこの地に赴いてまで『黄昏の鏡』を持ち出そうというのですから、思ったよりも深刻なことが起きているのかもしれません」


 あの方は、貴族、それもそうとう高い爵位を持っている。そのうえ、門外不出ともいえる多くの知識も持っている。そして、「代行者」。どれか1つだけでも、国外に出るには非常に大きな障害になる……というよりも、国が総出で出さないようにするような人員。それなのにその3つを兼ね備えたうえで、わざわざ代理や使者ではなく本人が来たのはなぜか。

 それは、


「非常に秘匿度が高い。高度な交渉が強いられる。時間がない。そういった様々な事情が絡み合っているんだろうけど……」


 陛下も同じような結論に至っているのだろう。もともと、それなりに深刻だとは思っていたけれど、その更に何倍も深刻かもしれないということに思い至ったのだと思う。


「貴族の反逆とは言っていたけど、本当にそれだけでこのようなことまでするだろうか」


 小さなつぶやき。それはおそらく、思考を整理するために無意識で口から吐き出されたものなのだろう。彼の目には、いま、わたしすら映っていない、いや、映っていたとしても意識の外に追いやっているのかもしれない。


「そもそも、『魂をかどわかす』などと言われている鏡が何のために必要なのか。あのときは、銅国(こっぱのくに)の紛争に意識がいって、そこに頭が回っていなかったが……」


 というよりも、いろいろと突然こと過ぎて、すべてに頭が回っていなかったように思える。まあ、それも仕方ないことだとは思う。


「反旗を翻した貴族の処分など、投獄でも処刑でも追放でも、いかようにでもできる。抑止力として『黄昏の鏡』が必要だというのなら、必ず返すという約束も反故になるし、用途としては違うはず……」


「もしかしたら、『黄昏の鏡』とは、『魂をかどわかす』と伝わっているだけで、本来は別の用途があり、それをあの方は知っている……のかもしれません」


 その可能性は十分にあると思う。でも、そう考えたとしてもおかしな点は多く残る。


「確かに、それは否定できないけれど、だとしても、こう言ってはなんだけれど、ただの貴族ごときにそんな労力を使う必要性が見いだせない」


 まあ、あの方ならば、その御力で貴族を一族ごと根絶やしにすることすら不可能ではないでしょう。するかどうかは置いておいて、ですが。


「そもそも、『神の声を聞く杖』も、伝聞通りの力を持っていた。それを考えるのなら、『黄昏の鏡』もおそらく、伝聞通りの力があるはずだ。そうでないものをわざわざ遠ざけたりする必要もない」


「必要な時が来るまで、だれかに利用されないために、あえて、そうしていたとか」


 伝聞がおどろおどろしい、人を遠ざけるようなものなのは、そのときまで人を近寄らせないためと考えれば筋は通る。


「それならば、わざわざ伝聞的に残さなくても、だれにも知られないように安置すればいいだけじゃないだろうか。いや、もし途絶えたときのために、何かしらで情報を残す必要があったとも取れなくはないが」


 結局どれだけ考えたところで、わたしたちには分かりようがないというのは、陛下も理解しているはずなのに、それでも考えずにはいられないというのは為政者の性……というよりも本人の気質なのだろうか。


「考えてもわからないことを考えたところでどうしようもありませんし、すでに約束はしてしまっているのですから」


「まあ、それはそうだけれど」


 そう、今更、貸すという約束を破るわけにもいかない。これは皇帝として「約束してしまった」という事実がすでに存在するから。それを破るということは、国家の信用に大きな影響を与える。だから、どれだけ考えたところで、貸すという事実は覆らない。


「それに、わたしは、あの方は神意に基づき行動しているように思えてならないのです」


「神意……、そういえば、彼女はあのとき、……なるほど、それはそうかもしれない」


 何やら思い当たるところがあったのか、陛下はそんなふうにうなずいた。さすがというべきか、これに素直にうなずかれるようなことをあの方はすでになさっていたと考えると、本当に、わたしとは格が違うのだと思う。


「であるなら、その神意とやらに任せればいいか」


 彼はそんなふうに言って、わたしに「もういいよ。仕事に戻ってくれ」とあっけらかんというのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ