215話:砂上の国の大砂嵐・その1
紫雲の黄衣。これ自体は、文字通りのものである。紫の雲の模様が特徴的な黄色の法衣。それが紫雲の黄衣。ちなみに黄衣と書いて、「こうえ」とか「おうい」とか色々と読み方は存在するけれど、「水銀女帝記」においては一貫して「きい」と読まれていた。
一部考察界隈では、黄昏の鏡と合わせて、黄衣として、クトゥルフ神話関係なのではないかと言われていたけれど、そのあたり、わたしにはよく分からないし、なんていうか、あくまで突飛な考察の1つ扱いだったと思う。
紫雲というのは、前世においては「吉兆の証」であり、仏教系の謂れだった気がする。ただ、この「紫雲の黄衣」自体には、特にこれと言った凄い力があるわけではない。……少なくとも、わたしの知る限りは。
ただし、「水銀女帝記」のとあるルートでのキーアイテムとなり、状況を打破するきっかけになる。その紫雲の黄衣を普段着用しているのが「代行者」。そもそもこれをもたらしたのが、ずっと昔の代行者だったから、それが現代まで受け継がれている。
それを受け継いだ現在の「代行者」がラピス・ケインジヤ。
そんな彼女とわたしは相乗りして、馬車でスズ国を横断していた。
簡単な自己紹介だけで、お互いの距離感もつかめていないのに、いきなりこんな長旅を強いられるということもあって、ラピスは非常に居心地が悪そうだ。
「スズ国は初めてですか、ラピス殿」
わたしの問いかけに、気まずそうな顔をしながらも「ええ、まあ」と答える彼女。まあ、初めてなのは無理もないだろう。そもそもからして、ミズカネ国の人間が簡単に隣国に渡るのは難しいうえに、ラピスの場合は立場というのもあって尚更。
「スズ国の南方というのは、大海から流れ込むと山から吹き下ろす風が衝突する地域です。そのため、年間を通して風があまりないのですが、西部にかけてはその限りではありません」
南東部は風同士が衝突し無風地域が生まれ、逆に西部は海からの風と山からの風が合流してより強風が吹く。この強風が流れ込むことで、砂嵐になるのではないかという説もある。
「異邦の方なのに、ずいぶんと詳しいのですね」
「スズ国の知識はあまりありませんがね」
それこそ、カッティのほうが断然詳しい。いや、当たり前と言えば当たり前なのだけれど。そもそもスズ国は「水銀女帝記」でも舞台というわけではないので、本当に軽くしか情報を知らないのだ。それでも、まったく知らないようなラピスよりは知識があるでしょうけど。
「あなたが、……代行者足り得るというのは本当ですか?」
ずっと、そこが気にかかっていたのだろう。でも、ここでわたしがなんと言ったところで納得しないだろうことはわかっている。
「それを確かめるために、わたくしについてきているのではありませんか?」
実際、見てもらったほうがわかりやすいし、納得もしてもらえるだろう。少なくとも、今回使う規模の魔法を使えれば十二分に代行者たる資格がある……はず。もっとも、だからなんだという話ではあるのだけれど。
「そう……、ですが」
彼女は小さい体を揺らし、顔を伏せる。ラピスにとっては、「代行者」というのはアイデンティティであり、そういう意味では、わたしが軽率にその肩書を出してしまった部分はあるのだけれど。
「そんなに気になりますか?」
わたしはあえてそんなふうに問いかけた。すると彼女は、その碧い髪をくるくるといじりながら、小さく「はい」と答えた。
「……周りには、他にいませんでしたから」
それはそうだろう。正確に言うとまた、微妙に違うのだけれど、代行者の素質を持つ人間が見つかるのはそうそうない。それはそうだろう。ただ、ミズカネ国の場合は、少々例外的な部分もあると思う。
皇族の血を引くものが多いため、いわゆる貴族に該当する人の数も多く、シュシャのような平民に混じっていることも少なくない。そのため、自覚はないながらに、魔法の潜在的力を秘めている人もいるはず。そうした人たちの中で、シュシャのように見出されるような機会を得られる人は一握りもいないだろう。
「わたくしも、あなた以外に代行者足り得るものをそう知りませんが、他に代行者になり得る者がいることが不安ですか?」
それは暗に「わたしが邪魔ですか?」という質問であるし、彼女はそれを素直に、そう受け取ったようで、慌てて首を横に振った。小柄……というか子供のような体躯のせいで、そのしぐさはまるで小動物のように見える。
「いえ、違うんです……」
「違うとは?」
彼女の若干思いつめたような暗い顔。そこにどういう意図が含まれているのかは、中々汲むのが難しかった。
「異邦の方に地位を取って代わられると思うほど愚かしくはありません。しかし、わたしは……、わたし自身が代行者として、ふさわしいに足る素質を持っているとも思っていません」
つまり、彼女としては、代行者というのがどのくらいのものなのか、他と比べてみたいということなのかもしれない。まあ、彼女が実際に魔法を使っているところを見たことがないので何とも言えないのだけれど、数値上では王子に匹敵しているので、代行者として十分な素質があると思う。
「では、これから見せるものは、あなたにとっても少しは指標になるかもしれませんね」
私はそんなふうに返すほかなかった。こういう手合いは、いくら言葉で「大丈夫だよ」と言ったところで納得しない。だから、下手なアドバイスや励ましはせずにおくのが、わたしの経験則上正しい。
スズ国とコッパ国の国境。気温は暑いというより、痛い?
なんというか、肌を焦がすというか、湿気を含む茹るような暑さとも違う、肌を刺すような日差しとでもいうのか、正直長居したいとは一切思わないので、やるべきことをとっとと片付けてしまわなくてはならないわけだけれど。
さすがはスズ国の姫がルートを指定しただけあって、人通りもなく、だれかに見られて追及されるような可能性はほとんどないと言っていい場所だ。まあ、こんなただの国境に来る人のほうが稀だろうし。普通の人は関所のある場所を通ってカラカネに向かうでしょうし。
わたしたちがいま居るのは、そこから北上し、ルートから外れ、より国境に近い位置のため、まず、人は通らないでしょう。
「では、やってしまいますか」
そう言ったのは、自然に起きた砂嵐だと思われないため。一応、わたしが砂嵐を起こす様子を見るためについてきたラピスがいるのだから、そこは目に見て分かるように行うべきだろうと思う。そうでもないのなら、わざわざ口に出してバレるリスクを負う必要もない。
――「砂塵」。
複合魔法の中で、土と風の二属性を合わせたもの。今回は、しばらく暴れてもらわないといけないため、それなりに魔力を込めて、……それでもなんというか人的被害ができるだけでないように。
「砂塵」
あえて言葉に出した。それは、魔法を使ったよというわかりやすいアピール。それと同時に、わたしの手元から特大の砂嵐が巻き起こる。コッパ国に向かって。
それと同時に結構な脱力感。さすがに魔力を使いすぎた。
「すみません、少し疲れました」
わたしの言葉に、少しばかり、砂嵐の行方を追って目を止めていた全員が、意識をこちらに戻した。
「近くの街に宿を用意してありますので、そちらでゆっくりとお休みください」
と、御者に言われる。ああ、なるほど。さすがはカッティというべきか。
わたしたちが国境を越えてコッパ国に入れば目立つ。スズ国内なら、まだ安全に行動できるでしょうし、とっている宿もおそらく信頼性が十分に確保されている。そして何より、国境に近い宿ということは、コッパ国から引き返してきた商人たちがいる、あるいは来るはず。
そうなると自然と情報収集がしやすく、もしブラス侯爵一行の動きを止めることが失敗していて、何か騒動が起きていたらすぐにでも耳に飛び込んでくるということになるわけだ。
騒動が起きるのは昨日から見て3日後、今日から見て2日……いや、おそらく2日もないくらいだろう。つまり、まあ、ここで数日間滞在すれば、おおよその成否はわかるはずだ。
行き帰りで20日程度、ここで数日、そうすると、残りは5から7日程度。帰りは行きのようにスムーズとも限らないし、できるだけ早く帰ることに越したことはないので、それを考えると、ここで時間を食うのはあまり良くないけれど、仕方のないことだ。
失敗していたら結局のところ帰るに帰れないわけだし、それを考えれば、ここで数日を犠牲にするほうがかしこい選択でしょう。
移動の馬車で、ラピスは何も言わずに、じーっとわたしのほうを見ていた。すごく居心地が悪かったのだけれど、悪意があるわけでもないし、なんとも言えない目だけに、何か言うこともできず、非常に気まずく、無駄に長く感じる時間のままスズ国にある街、サーハリーについた。
サーハリー。作中で出てきた覚えはないので、憶測だけれど、佐波理という銅とスズとナマリの合金が名前のもとのような気もするけど、ナマリ国との位置関係的にはかなり遠いので本当にそうなのかは確信が持てない。
そこで通されたホテルは、ものすごく高級感のあるホテルで、おそらくかなりいいところ。それこそ王族御用達とかそんなレベルのところに通されて、数日間滞在することになった。
その間、商人たちのうわさ話に耳を傾けると、「めったにない季節外れの大砂嵐が起こった」、「無理をして南下しようとしたブラス侯爵だったが諦めて帰った」、「荒れ具合から当分は南北の行き来は国全体で控えられることになった」、「南から北への流通がなくなったから北側に高値で売りつけるねらい目」とかそんな感じだった。
ちなみに、南から北への流通がないというが、北から南もなくなるのでは、というはなしにもなるのだけれど、南側はスズ国との流通が活発だから勘定に入っていないのだろう。
まあ、北側も北側で独自の流通があるので、難癖付けて南側を襲って略奪なんてことはないはず。まあ、そもそも、わたしの「砂塵」のせいで、当分は動きが取れなくなっているんだけど。
もうちょっと様子を見て、大丈夫そうだったらとっととミズカネ国に戻って、「黄昏の鏡」を取りに行かないとね。




