213話:皇帝との謁見にて・その3
シンセイの発言で、その場にいた他の攻略対象たちも、少なくともシンセイに対するだれも知らないはずの何かを知っているということは理解したのだろう。そして、それがあまり人前で明かされたくないような内容であることも。
だからこそ、あえて試すか、でもそれで言われてしまったら……という何とも言えない葛藤をしているようだった。しかし、その葛藤はそう長く続かない。
「客人を試すような真似はそこまでだ」
とシンシャさんが咎めたからだ。それに意を唱えるものは一人もいなかった。一応、形の上とは言え、「すまない」と謝るシンシャさんと、「許可したのはわたくしですので」と流すわたし、それをやれやれといったふうに呆れるカッティとシュシャという様子。
「そういえば、まだ聞いてなかったような気がするけど」
と続けてシンシャさんがわたしに言う。問われる内容の想像はついた。というか、わたしも説明するのを忘れていた。それも肝心な部分なのに。
「貸してほしい『あるもの』とは一体何だい?」
わたしは目でシンシャさんに断りを入れてから、シュシャに目配せをする。シュシャも意図を汲みとったのか、わたしにそれを差し出した。
「皆さまは、『黄昏の鏡』と呼ばれるものをご存知でしょうか」
あえて、その場にいる全員に向かって、そのように問いかけた。「閻魔鏡、黄泉鏡、死鏡、どのような呼ばれかたでも構いませんので」と付け加える。それこそ、この国では子供のしつけに使われるくらいにメジャーな話であるから、知らないという人は当たり前だがいない。
「魂をかどわかすという有名な伝承の鏡だろう?」
シンセイの「なぜそんな話を」というような答え。カッティとゾイレは、ほぼ同時に、わたしが何を言いたのかを悟ったようで、なんとも言えない表情でわたしを見ていた。
「『黄昏の鏡』は伝承ではなく実在するものです。こちらは、シュシャが皇帝……、先代の皇帝殿から託された髪飾りですが、これにそれが安置されている場所の手掛かりが残されています」
シンセイは、自身の一族に伝わる短剣を知っているだけに、それを信じたようだ。まあ、わたしが彼の短剣のことを知っているというのも大きいのだろう。
「しかし、それが実在するとして、それが必要な状況というのは一体どういう状況なんだろうか。魂、御霊。ふむ」
センタンは、研究者モードに入ったようで、ブツブツと何やらつぶやいているけれど、実際、なににどう使うかまでは明かすつもりはない。
「分かったよ。もしもこの国に『黄昏の鏡』があるというのなら貸し出そう」
特に何でもないようにシンシャさんは、あっさりとそう言った。それに対して、ゾイレが静かな声音で問う。
「よろしいのですか?」
その思いは、その場にいた攻略対象たちの総意とも言えただろう。シンシャさんは、片から力を抜いたように、大きく息を吐き出してから言う。
「もともと手元になかったものだ。貸したあとに戻ってくるというのならありがたい話だろう。まあ、もっとも、魂を呑み込むだとか言われているものを手元に置く気にはなれないけども」
これまでの皇帝が国の施設に置かずに、隠すように安置していたのは、おそらく似たような理由だろう。国に伝わる品といえば聞こえがいいが、その内容を考えれば呪いのアイテムともいえる。そんなものを手元に置きたがるのは酔狂なよっぽど酔狂な人間だろう。
「返ってくる保証があるとも思えませんが」
ゾイレはなおも食い下がるように、そんなふうに言うのだが、シンシャさんは彼をなだめるように「落ち着け」と言ってから、話を続ける。というか、思っていてもわたしの前でする話ではないだろうに、ゾイレは少し冷静さを欠いているようにも思える。本当に落ち着くべきだろう。
「言ったように手元になかったのだから、返ってこなかったところで痛手でもないさ。それに、わたしは彼女を信頼しているからね」
そこは「わたしの国」を信頼してほしかったのだけれど、まあ、陛下の人柄はともかく、ディアマンデ王国の内情を信じるほどまで深く関わっていないし、そもそも、わたしが着た理由が謀反を企むものがいるからだというのだから、信じてくれというのも難しい話ではあるのだけれど。
「国家間の影響を考えれば約束は守るだろうし、それがわからないような愚かなものが不正を行えば、それを絶対に許さない。それでも何かあったなら、知恵で補填してもらえばいいさ」
知恵なんて言い方をしているけれど、その「知り得ない知識」がどれほどのものかは、先ほど確かめたばかりだった。だからこそ、それの重さもわかるわけだけれど。
「約束を違えるつもりはありませんが、もし何かあったときは、わたくしの知識を提供することをお約束いたします。もちろん、口約束ではなく、きちんと書面で取り決めをいたしますので、その際にどの程度の知識提供なのかは事細かに取り決めることにはなりますが」
こんな口約束で、わたしの知識を死ぬまで絞り取られては困るので、どこまでの提供なのか、どの程度のものなのか、そのあたりはきちんと取り決めをさせてもらう。約束をするならきちんと文章を残す。これは鉄則。
「抜け目ないな」
とはいうものの、シンシャさんは言われることをわかっていたようで、肩をすくめていた。まあ、「何かあったとき」なんて言うのは、彼の感覚でも冗談に近い部類なのだろう。初めて出会ったときにあれこれ手を回していたのを覚えているのか、この手のやり取りは上手くまとめられて当然かのような扱いを受けているような気がしなくもないが。
「しかし、銅国での紛争の予兆か。具体的にはどのようなものだったんだい?」
視線を向けられたカッティは、わたしへと一瞬だけ視線を向けてから、自分が説明するべきだと判断したのか、小さく息を吐き出してから語る。
「私が知っているのはクプルムでセードー派との小競り合いが起きたというくらいなのだけれど」
クプルム。コッパ国において、それなりの歴史を持つ元首都である。もっとも、セードーはとの確執が激化したことで、更に北にあるいまの首都であるカルコスに遷都したため、首都だったのはだいぶ昔の話であるけれど。
そんなクプルムは現在、北部の主要都市の一つである。つまるところスアカ派の重要拠点の一つなのだが、そこでセードー派との小競り合いが起きた。
クプルムとは、まあ、ラテン語で銅のことを指す言葉であり、元素記号Cuはそこから来ているので、もともと首都だったと言われれば腑に落ちる名前。ちなみにカルコスはギリシア語での銅。どちらも銅を表す言葉。
「その小競り合いは、いまから何日ほど前でしょうか」
わたしはカッティにそのように問いかける。この小競り合いについては「水銀女帝記」でも確かにあったこと。そこから次の衝突までの猶予を概算したいのだ。
「確か6日前だったはず」
「だとするなら、カラカネでの衝突までおおよそ3日といったところですね。それなら間に合うでしょう」
南部の都市、カラカネ。スズ国との重要な交易拠点であり、南部であることやスズ国との交易があることからもわかるようにセードー派の重要な都市の一つ。漢字で表記するなら唐金であり、青銅の別名のこと。
「3日後にカラカネで騒動が起こると?」
「ええ、ブラスという貴族が露店とひと悶着を起こして、多くの負傷者を出す事態になります。その衝突の影響はブロンズにまで伝わり、最近の膠着状態もあってか、一転して大きな紛争に発展することになりました」
ブラス侯爵だったか、ブラスとは真鍮、銅と亜鉛の合金であり、実はミズカネ国とも縁遠くはない人なのだが。
「ブラス……、ブラス侯爵か」
とシンシャさんがつぶやいたので、わたしは一つ気になっていたことが、もしかしてと氷解した気分だ。
「そう、アーエン・イン・アマルガムとつながりがあったブラス侯爵です」
アーエン。「水銀女帝記」における物語上の悪役である彼は、スズ国とコッパ国につながっていた。それも、本来はスズ国と対立状態にあるはずのコッパ国スアカ派のブラス侯爵と。そこにはいろいろな裏があって、アーエンの妻がスズ国の王族の傍系の傍系の傍系というもはや王族でも何でもないカッティのことすら知らないような自称王族の妻を娶り、一応スズ国とのパイプを持っていたり、そのうえで、その妻から来る情報と自国の情報をコッパ国の貴族であるブラス侯爵に流していたりしたのだ。
しかし、一応は、主要キャラクターであるはずのアーエンがこの場にいないのは不思議に思っていたが、シンシャさんの反応を見るに、他国とつながり情報を流しているのが判明して、断罪したのだろう。
このあたりは、シンシャさんが皇帝になっても同じか、それ以上にスムーズで安心した。これは、別にシュシャが劣っているとかではなく、杖で認められて皇帝になったシンシャさんと、皆から認められていない状況から成りあがったシュシャの違いだろう。
正直、邪魔者でしかないアーエンがいないのは、わたしとしては好都合。
「そうなると、その衝突を未然に防ぐということか?」
「ええ、まあ、そうなります」
正直、ブラスとかいうのはどうでもいいんだけど、ここでぶっ飛ばして、それがセードー派のしわざってことにされても面倒だし、穏便に物事が終わるように原因潰しを徹底する。
「露店で騒動を起こすというけれど、具体的には?」
「この時期の露店には、スズ国からの輸入品の中でも、みずみずしい果実類が並びますが、それを『ただで寄こせ』といったそうです」
どうしようもないやつというか、絵にかいたような貴族。設定上でしか知らないけれど、正直、こんな貴族を抱えていたら、その内激化することは目に見えていたというか、そのために放っておいたんじゃないだろうかと思う。だって、侯爵にそんな無能を据えるかと。
「つまり、そのブラス侯爵とやらに、きちんと金を出すように説得するということか?」
シンセイの言葉に、わたしは「いいえ」と答えた。当然だ。
「無理でしょう。そも、彼がわたくしの言葉を聞く義理などないですから」
いまの話に出ていたような性格の貴族が、わたしに何か言われたくらいで説得されるはずもない。わたしの身分を明かしたところで、別大陸の貴族など効果は薄いし、ミズカネ国の客人といったところでどうなるものでもなく、むしろミズカネ国に迷惑がかかりそうだし。
「じゃあ、スズ国に手を回して、果実類の輸出を止めるとか」
「それも不可能でしょう。というよりも、この時期の輸出が多いということですから、年単位ならいざ知らず、もうすでに多くの果実は露店に並んでいるでしょう」
それこそ、騒動が起きる日に輸出が始まるわけではない。時期的なものなのだから、当然、今日も、昨日も、そして明日も明後日も、商人たちはスズ国からコッパ国に果実を持って行っている。
「じゃあ、いったい?」
「簡単な話ですよ」




