207話:海原と船上の狂騒・その1
ミズカネ国に向かうために、わたしたちは、まず王都を出立し、ジョーカー公爵領で一泊した後に、迂回路を通って銀嶺山脈を避けるように、クロム王国に入国した。
クロム王国。王権交代によって治世が変わってから、そこまで時間が経っていないため、国内は慌ただしく、しかし、活気もある。正直、そこまで多く情報を持っているわけではないので、わたしもこの国に関しては詳しいわけではない。
されど、国土自体は、ディアマンデ王国よりも小さく、北側には海があるものの、銀嶺山脈に近いということもあり、南側はなだらかな丘陵地帯になっているうえ、気温が年間を通してそこまで高くないという特徴がある。
また、山から吹き下ろす風と海から流れてくる風がぶつかり、全体的にあまり風がなく、過ごしやすい気候でもある。ただ、雨が降りにくい。
クロム王国で長期的に過ごすわけでもないので、そこまで詳しくは調べていない。
ここで一泊をし、そして、北部の港町から、わたしたちは海へ出て、そこからアルミニア王国を経て、大海へと出るのだ。ただの通過点。
ただ、すでにここを通ったことのあるシュシャは落ち着いているものの、わたしはその肌で、目で、耳で感じるすべてに新鮮さを感じていた。もっとも、恥ずかしげもなくはしゃぐようなことはさすがになかったけれど。
そして、宿で一夜を明かし、港町で目に入るのは、海と船。
並ぶ船たちは帆柱と、いまは畳まれているが帆のある帆船と呼ばれるもの。……この世界では、いまだにこういった風を受けて推進力とする帆船が主流になっている。汽船は普及していない。一応、外輪船などは考えられたこともあったらしいけど。
中でも、わたしたちが乗るのはひときわ大きな船だった。まあ、大陸間を移動するのだし積載量を考えたら、こんな感じか。
「どうも、オレぁ、この船を任されてるアルフレッド。人呼んで波乗りアルフレッドってもんだ。どうにも真面目な言葉は難しくてな。無礼だとかそんなことを思うようだったらアッチのやつと話してくれ」
船長のアルフレッドという男は、いかにもといった立派な髭を蓄えた海の男という風情の人物だった。彼が視線で示す先にいるのは、彼に比べると痩せているが十分に海の男と思えるほどに焼けた肌をしているが、どこか気品も感じさせる男性だった。
「いえ、構いません。しかし……」
ふと思う。――アルフレッド。前世においては「エルフの助言者」、「エルフを導くもの」というような意味の名前。それ自体は、まあどうでもいい。いや、「この世界にもエルフという言葉あるのか?」とか「別の語源ならどんな言葉が?」とか思うところはいろいろあるけれど、そんなことは今更な気もする。
だけれど、それ以前に気になるのは、ディアマンデ王国の命名の法則でも、ミズカネ国の命名の法則でも、どちらでもない。もちろん、わたしが知っている法則がすべてというわけではないし、法則に則っていない人もいるのかもしれないけれど、それにしても普通の名前過ぎて違和感があった。
「どうかしたか?」
そんなふうにあっけらかんと聞いてくるアルフレッドに対して、わたしは、少しばかり考えてから、もしかして、と思ったことを話す。
「アルフレッドさんはクロム王国の出身ですか?」
考えてみれば、ミズカネ国はともかく、ディアマンデ王国の船乗りがクロム王国を拠点に船長をやっているのはおかしいし、そう考えると、クロム王国出身の船乗りのほうがしっくりくる。
「おう。この船は大体がミズカネの人間だが、操舵や指針なんかはクロムだ。まあ、あとほんのちょっとディアマンデの人間もいるがな」
肯定と補足。ざっと聞く限り、8割ほどがミズカネ国の人間で、1割がクロム王国、残りの1割がディアマンデ王国の人間らしい。もともと、船の技術に関してはクロム王国やアルミニア王国のほうがミズカネ国よりも優れているらしく、特にこの方式の帆船を扱う技術の関係で、重要な部分はクロム王国出身の船乗りたちが担っているらしい。
先ほど、アルフレッドが言っていた人物はクロム王国の貴族出身のサング・リーンという人物で、窓口的な役割を担っているのだとか。他にもブルームやラングレイというアルフレッドの信頼する仲間がいるとか。
その名前を聞いて、どうやらクロム王国……かどうかは分からないけれど、少なくともここにいるクロム王国の人間の命名法則は理解できた。色。アルフ「レッド」、「ブルー」ム、サン「グ・リーン」、ラン「グレイ」。これで、大体、この船に乗っている間は、どの国の人かの判別はできるでしょう。
「それにしても嬢ちゃん。今回は積み荷に保存食とかがいつもよりも多いんだが、なんか知ってるか?」
いつもと違う積み荷、いつもと違う乗客。だからか、あえてアルフレッドはわたしに聞いてきた。そう、今回は保存食を少し……、いや割合で言えば結構、多めに積んでもらっている。なぜかといえば……
「保険です。ああ、もちろん、あなた方の航海に対するものではありません、ミズカネ国でこれからやろうとしていることが失敗してしまったときの保険です」
これから起ころうとしていることがわたしの推測通りで、やろうとしていることがもし失敗した場合、非常に重要になるだろう。まあ、もし、推測が外れていた場合や成功した場合でも、保存食ならあって損はない。
「ふうん、まあ、オレら、船乗りにゃわからねえことを、頭のいい人は考えてんだろうな」
などとよくわからなさそうな顔をしている彼だけれど、わたしは船乗りのこと、操舵、天気を読む、風を読む、波を読む、そういったことがわからない。だから、お互い様だ。頭の良し悪しじゃなくて、領分の違いというか……。
「わたくしには船を動かせません。でも、あなたにはそれができる。それと同じですよ」
「そんなもんかい」
肩をすくめるアルフレッド。彼は、「じゃ、その嬢ちゃんにはできないことをやりに行くとするさ」といって、ラングレイと呼ばれた人を連れてどっかに言ってしまった。
手持無沙汰になったわたしは、甲板を見て回る。慌ただしく積み荷を搬入している人たちを見て、手伝おうとしたけど断られた。まあ、よく考えたら、わたしに任せて積み荷ぶちまけたときに処置はどうするんだって話なので、当たり前といえば当たり前なのだけど。
マストは高く、一応、登れるようにはなっているし、わたしでも登ろうと思えば行けるとは思うけれど、さすがにその勇気はなかった。なので、下から眺めるだけで済ませる。居並ぶ帆柱は壮観で、ここに帆が貼ったらもっと凄いのだろうなと思った。
船の形式や形状には詳しくないし、そもそも前世に同じものがあったのかも定かではないけれど、マストが3本もあるような船には乗ったことがない。なんて言うか「ザ・船」って感じがしていい。
「帆が気になりますかい?」
そう声をかけてきたのはブルームとアルフレッドが読んでいた男だった。バンダナを頭に巻き、頬に大きな傷のある彼もまた、海の男という風情……というか、どちらかというと海賊という見た目をしているが。
「ええ、まあ」
見た目は海賊だが、いい人なのだろう。おそらく手持無沙汰なわたしに声をかけてくれたのだと思う。
「船にどうして帆があるかわかりますかい?」
「風を受けて進むためですよね」
一応、ほとんどの知識がないわたしでもそのくらいは知っている。彼は「そうでさぁ」といい、畳まれた帆を指さす。
「じゃあ、どうして一枚の帆じゃなくて、何枚もの帆を使うかはわかりますかい?」
確かに、巨大な帆がドーンとあるのではなく、何枚にも分割されている。いや、まあ、理屈としてはわかる。船が大きくなればなるほど、比例して帆も大きくなるが、一枚の帆では調整が効かない。順風、逆風、強い風、弱い風、一口に風といっても様々だ。それを一枚ですべて制御するのと、分割で制御するのでは、難易度も変わるだろう。
もちろん、船が小さくて、帆の大きさもそこまで大きくないのなら、また話は変わってくるでしょうけど。
わたしの沈黙をわからないと捉えたのか、ブルームは話を続けた。
「風を見て、受けたり、流したり、それをやりやすくするためでさぁ。そして、その風を見るのが仕事なんです」
風を見る。口で言うのは簡単だ。でも、風が弱ければ進まず、強すぎたら転覆の恐れすらある。それを肌で感じ、経験則か、あるいは予報か。とにかく、いまの風とこれからの風を読み、船を御するというのは、帆船において非常に重要な役割だ。もちろん、波を読む人も同様に。
アルフレッドの言っていた通り、船の重要な部分はクロム王国組が担っているのだろう。
「ちなみに、お嬢さんは、お貴族様だったりしますかい?」
「ええ」
何で聞かれたのだろうかと一瞬思ってから、会話の前後を考えて理解する。風を読む彼がそれを問う理由はわかる。
「風の魔法と水の魔法は使うことができますよ」
「みだりに使わんでくださいね」
ブルームは風を読む。しかし、わたしが風の魔法を彼のあずかり知らない場所で使えば、この船が転覆する可能性だってある。だから、彼はわたしに貴族なのか、つまり、魔法が使えるのかと聞いたのだ。
「まあ、でも、お嬢さんが風や水の魔法が使えるなら、有事には大助かりでさぁ……」
ブルームいわく、サング・リーンも風の魔法を使えるらしい。リーンは、無風状態や危機的な状況での風のアシストをする役割もあるらしいが、常に魔法を使えるわけでもないし、船に乗る貴族もそうそういないので、そういうときにだけ魔法を頼る。
もちろん、有事の際だ。乗客だろうと、転覆して死ぬよりは、魔法を使って手助けくらいはするし、何なら常に微風を吹かせるくらいならできなくはないのだけれど、それはそれで面倒ごとになりそうではある。
あと、水魔法が有事に大助かりなのは、波に関することだけではなく、火事の火消しから、飲み水の確保などに関することでしょう。
「おっと、そろそろ出航が近いようなんで、これで失礼しやす」




