199話:記憶の残滓・その4
蛇。あるいは、蛇の弟子と呼ぶべきか。その人物のねぐらは、薄暗いボロ小屋という風情の場所だった。いかにも過ぎて、一周回って怪しくないというか、「こんな露骨なところにいないだろう」という心理を抱くような場所に、――いた。
心理を逆手にとったというには、あまりにも杜撰な場所。さりとて、いままでに、この場所にたどり着いた人が少ないこともまた事実。「わたし」としては、非常に奇妙な感覚だった。
「初めまして、情報屋さん」
こちらからの呼びかけに、彼はあまりうれしくなさそうに反応を示した。うんざりしているとでも言いたげな表情。それを露骨に出して、隠しもしないのは、「あえて」そうしているのか、それとも、本心からそうしているのかはつかめないけれど、「わたし」の直感で言えば前者であると思う。
「何を知りたい。代金はそれによって変動する」
それは、「知りたいことならなんでも情報を出せる」という自信の表れか、まあ、実際のところ、そんなことは「わたし」にとってはどうでもいいことであった。でも、だからこそ、あえて、問いかけなくてはならない。
「『何でも』依頼していいのかしら」
少し沈黙があってから、男は相変わらずの顔で言う。
「ああ、たとえ存在しないものであっても、存在しないという情報を突き付けるまでだ。何でも調べる、それがモットーでね」
この文言は、「蛇」に接触したという人物からも聞き出していた。つまり、それが「蛇」のモットーであり、この男も受け継いでいるのだろう。そして、その言葉を聞くことが、「わたし」の目的でもあった。
「では、『蛇』の居場所を教えて欲しいわ」
もちろん、生物的なものではないのはわかるでしょうし、ここでそんなボケをかますようであったら、その情報屋の信頼は地の底に落ちることもわかるだろう。
「お前は私が『蛇』だと認識して、ここに来たのではないのか?」
この発言。彼が「蛇」であるのなら、「私が蛇だ」と名乗ればいいだけの話。それなのに、「わたし」が、この男を「蛇」と知ってきたのかという問いかけをする。
「『わたし』は、あなたのことを『情報屋さん』としか呼んでいませんよ。そして、あなたもまた、自分が『蛇』であるとは名乗っていませんよね」
これは意図的な誘導ではあるけれど、ある程度は、向こうがそうなるように、あるいは、そうであるようにしていると予想していた。
「そして、あなたは『何でも調べる』のがモットーだという。それとも、流儀に反して断りますか?」
言質は取った。まあ、取れるようになっていたとも言うべきか。おそらく、彼は、そう言うように決められていたのだろう。
「……初めて客が来たな。驚いた」
この場合の「客」というのは、本物の「蛇」に対する客という意味だろう。あるいは、自分を弟子だと見抜けない程度の存在は客ではないとでも言いたいか。……いや、どちらの意味合いも含まれているような気がした。
「驚くことではないでしょ。そちらがそういう意図で待ち構えているのだから」
その言葉に、彼は一瞬だけ目を丸めて、そうして、笑った。「それもそうか」と納得するように、ケタケタと笑う。
「案内しよう。あの人からはそうするように言われている」
そうして、そのボロ小屋の地下に隠された通路の入り口が開かれて、歩みを進めようとしたときに、ふと思い出したように彼は「わたし」に問う。
「そういえば、お前の名前を聞いていなかったな」
名乗っていないし、顔もまともには見せていない。「わたし」の顔や名前を知らない情報屋なんてもぐりみたいなものだから、どちらもわからないようにはしていた。
まあ、情報屋に頼むような人は、表立ってはできないような何かがあることも多いから、顔を隠しているなんて言うのは珍しいことではない。もちろん、情報屋と信頼を築いて、情報のやり取りを頻繁にするのなら別の話だけれど、情報屋にとっては顧客の「情報」も場合によっては商品だ。もちろん、売り払えば信頼はガタ落ちだけれど、それが絶対にないとは言い切れない以上、自分の情報を晒さないという人も多いのは事実。
だから、情報屋からこちらの情報を聞いてくるなんて言うのは、普通で考えたらあり得ないことなんだけれど、彼はそれでも「わたし」にそう聞いてきたのだから、苦笑しながら答えた。
「ああ、『わたし』はエラキス。どこにでもいるような小娘よ」
その反応は、驚くほどあっさりしていた。
エラキスというほうの「わたし」の名前を知らないのか、それとも、その名前を騙る偽物だと思ったのか、あるいは、ただの同名だと思ったのか。まあ、どうとられても問題はないのだけれど。
地下通路を進むと、そこには小さな部屋があった。お世辞にも広いとは言えないけど、地下ならそんなものでしょう。
「ほう、客人が訪ねてくるか……」
そうつぶやいた声が、「わたし」に届いたのは、地下で、窓もない部屋ゆえに、声が反射しやすかったためだろうか。
「初めまして、オーゴンより流れ着いた『蛇』。『わたし』はエラキス。どこにでもいるような小娘風情が、あなたの客人では不満かしら」
そこにいたのは、青年といっても差し支えないくらいの男だった。仮面で表情は見えないけれど、「わたし」の言葉を聞いて、何かを言おうと口を二度、三度開こうとしてから、彼の口をついて出たのは言葉ではなく、笑い声だった。
「はっ、ははは……、これは光栄なことだ。エラキス嬢、いや、あえてこう呼ぼう。グラナトゥム様」
さすがに本物の「蛇」は、「わたし」の顔か、名前か、両方か、それを知ればわかるらしい。「オーゴン」の名前を出した意趣返しか、そんな呼び方をされた。
そして、弟子の男は、苦虫をかみつぶしたような顔で「わたし」を見ていたけれど。
「それで、どんな情報を欲している。早さと精度に違いがあるとはいえ、国が抱えている情報網に頼らず、『蛇』を頼る……という必要はあるまい」
当然の問いかけに「わたし」は、顔を真面目に切り替える。まあ、いまのいままでもふざけていたわけではないのだけれど、村娘ではなく、真面目な聖女の顔に。
「欲しいのは情報ではありません。あなたの持つ『顔』……。つまり、その仮面です」
仮面越しでも、その顔が歪んだのが見て取れた。当然でしょう。何せ、彼がこうなった経緯を考えれば、王が……、王族が仮面を欲するという行為に嫌悪を抱くことは。
「もちろん、ただその仮面の煌めきに魅入られたからなどという戯言を言うつもりはありません。あなたの過去に、その仮面を欲するものに対するいかな感情があるかも『わたし』にわかり切ることはできずとも、カケラくらいは理解しているつもりです」
ここで重要なのは、ただ欲しいというだけではないことを理解させること。だからこそ、「わたし」の持つ情報はすべて出す。情報屋に情報を渡すということがどれだけの危険をともなくかも理解したうえで開示しているのだ。
「これは『聖女』としての天啓であり、願いです」
それに対して、彼は……、いや、彼らは何とも言えないという顔をしていた。
「それは、まさか神が必要だと言ったから欲しているとでもいうのか?」
冗談を言っている人を見るような目を向けるけど、「わたし」の表情は揺らがない。みじんもウソはない。
「はい」
「その言葉を信じ、仮面を渡せと?」
まるで「不老不死にでもなりたいということか」なんて思っているような目が、「わたし」に突き刺さるけれど、揺るぎはない。
ただのわたしが、聖女である「わたし」になったときから、その程度で揺らぐほどの心は持ち合わせていないのだから。
「もちろん、ただで渡せなどというつもりはありません」
「そうではない。……そこの問題ではない。では、神の声が本当だったとして、どこのだれが、その言葉をあなたが書き換えていないと証明するのだ」
そんなことは何度も、何度も何度も、言われ続けてきた言葉だ。でも、だからこそ、「わたし」が崩れることはない。
「では、何のためにその仮面を欲すると。つけていれば年齢を取らないから欲しいとでも?」
「違わないか。為政者は不死を望むものだ」
確かに、そういう話は聞く。かのメタル王国の三代目だか何だかも求めたというし。まあ、初代の建国女王は求めなかったというので、全員が全員そうだというわけではない。そも、「わたし」は為政者ではないのだけれども。
「『わたし』には不要です。なぜなら、『わたし』があり続けることは『あってはならないこと』なのだから」
この国において「聖女」というものは、建国を導いてきたという意味では、祀りたてようとするほどに偉くなってしまっている。だけれど、だからこそ、「あり続ける」ということはあってはならない。
「わたし」たちで作り上げた国は、いつか独り立ちしなくてはならないのだから。いつまでも、支えが、導きが、あり続けるべきではないのだから。
「……わかった、事情は聞こう。いや、神託というべきか」
「では、話しましょう。これから、この国……、いえ、この世界に起こるかもしれないことについて」




