185話:遠き過去からのメッセージ・その3
「そもそも、『旧き神』とは何なのかしら」
ラミー夫人のつぶやいた言葉に、わたしは何とも言えない顔をしていたことだろう。この世界における神々とは、わたしたちの信仰する七柱の神々のことを指す。北斗七星の神々、古くはグランシャリオとも称された方々。
「おそらくですが、本当に『旧き』神なのだと思います。『旧神』あるいは『前神』とでも言いますか、それこそ、わたくしたちの信仰する神々が生まれる前に神さまだった存在だと思います」
太陽神ミザール様、月の神ベネトナシュ様。この二柱の神は、主神争いをしていた。つまり同じ時代の神のはず。一応、「前の主神」という意味では、月の神ベネトナシュ様から切り離された何かという可能性もあるけれど、「旧き」ということを考えれば、北極星の名前を持つ前神ポラリスの残滓なのだと思う。
もっとも、それよりも前の主神たちの残滓という可能性も十分にあるけれど。
「神々の前の神々。何だかややこしいわね。まあ、いいわ。そうだったとして、残滓、品の無い言い方をすれば『残りかす』ね」
そう「旧き神」そのものではなく、半分でもなく、残滓でしかないのだ。
「残りかすでそれなのだとしたら、そのものが落ちてきていたら世界は滅んでいたのかしらね」
ラミー夫人はつまらなさそうに唇を尖らせる。自分の常識の埒外のものに、理不尽に世界が滅ぼされるかもしれないということが、快くないのでしょう。まあ、それが快いと思う人とはお近づきになりたくないけれど。
「いえ、……もしかすると、残滓だからこそあのようなことになったのかもしれません」
これに関しては、推測の域を出ない話だし、事実だろうとそうでなかろうと何の意味もない話なのだけれども。
「どういうことかしら。本物よりも、残りかすのほうが強力だと?」
そんな単純な話ではなく、いえ、まあ、もっと単純な話ともいえるのだけれど。しかして、まったくなんの根拠もないというわけではない。
「本来、滅ぼそうと思えば世界そのものを滅ぼすことなど造作もないのかもしれませんが、それでも、こうして滅んでいないのは、神々にも意思があり、理性……という人間の言葉でくくってよいのかはわかりませんが、そう言ったものが存在しているのだと思います」
「なるほど、そう言ったものが削ぎ落ちて、ただの『災害』や『災厄』と呼ばれるものになってしまったからこそ、世界が滅ぶ危機に瀕したと」
それこそ、おそらく神格と呼べるものすらも失った、つまり神の輪郭を失い、ただの災害と化したものが、「旧き神の残滓」なのだと思う。
「一応、そう考えた理由といいますか、閃くきっかけは、先ほどの解読した文中にありました」
まあ、口に出していて、そう思ったというか、ただ、ウルフバート・スパーダの主観表現も多いので、それが事実という根拠もないのだけれど。
「ああ、なるほど、『与えた』ね」
ラミー夫人も少しだけ考えてから、そこに思い当たったらしい。そう、フェリチータに封印するくだりの「我が剣で映しとり与えた災害という名の塊を『固定する金色に輝く顔』にて封ずることに成功する」という部分。
「その旧き神とやらに、意思というか魂、神格と呼ばれるものがあるのならば、『映しとる』だけでいいはず。しかし、あえて、『映しとり与えた』ということは、空っぽだったものに便宜上の格を与えて、そうしてできた『災害という名の塊』を封印したということかしら」
もちろん、わたしたちは「魂を映す虹色の剣」の能力だか権能だかを十全に把握しているわけではないので、あくまで推論の域を出ない。それに何より……。
「まあ、旧き神が残滓でなければ世界が滅んでいたかどうかなど、実際に、すでに旧き神が残滓として顕現して封印されているいまとなっては、何の意味もないのですがね」
もちろん、今後に、別の「旧き神」とやらの残滓だか本物だかが顕現することが絶対にないとは言いきれないのだけれど。でも、もし、顕現しただけで世界を滅ぼせるような存在がいたとして、顕れた時点でどうしようもないので、やっぱり考えるだけ無駄だ。
「確かに、身も蓋もない話をすればそうなのだけれどね」
ラミー夫人が肩をすくめる。まあ、情報を整理するという意味でも、話していて無駄だったとは思わないけれども。
「それよりもいま考えるべきは『魂を消滅させる暗き鏡』の所在についてだと思いますけれど」
アーリア侯爵家の目的が何にせよ、目覚めるかもしれない「旧き神の残滓」とやらを消滅させるには「魂を消滅させる暗き鏡」が必要なのは間違いない。あるいは、再び「魂を固定しうる金色に輝く顔」で封印をするかだけれど。
「いまのところ考えられるのは、すでにアーリア侯爵家が保持している、入手可能な場所に存在している、いまの時代では入手できないの3つの可能性だと思うわ」
わたしの考えもおおむね同じ。少なくとも「たちとる」の時代では手にすることのできなかった、あるいは手にしても意味のない状況にあったというのは間違いない。そして、神々によれば、神託を受けたものか、あるいは、それ以外の要因で暗号を読み解けるものが現れた時代。
……わたしは少なくとも神託を受けたわけではない。だけれど、それ以外の要因で暗号を読み解ける。ただ、こんなイレギュラー……いえ、神々からすれば改変者として呼んでいるわけだから、イレギュラーではないのかもしれないけれど、それをまともにカウントしていいのかは判断しかねる部分だ。
「少なくとも、アーリア侯爵家が保持していた場合、取り返すほかの方法はありませんし、保持しているかどうかもわからないので、一旦、置いておきましょう」
だから、考えるべきは残りの2つの可能性に関してだろう。そう考えると、建国当時において不可能だった理由を考えるべきでしょうけど。
「どうして、当時は得ることができなかったのでしょうか」
そこさえ紐解ければ、何かわかる気がするのだけれど、まあ、そんなに簡単にわかれば苦労はない。
「単純に考えるのなら、物理的に不可能だったということではないのかしら。以前、あなたも知識があっても『秘匿研究室』への行き方がわからなかったように、神託を受けたとしても物理的に行くことができない場所にあったとか」
確かに、単純だけど、一番わかりやすい答えだと思う。でも物理的に不可能となると、どういう場所だろう。ただただ遠いとか。
「ただ遠いだけ……なら、時間がかかっても物理的に不可能ではないですから、どうしても行けない場所」
「それこそ、別の大陸でしょう。当時の航海技術を正確に把握しているわけではないけれど、いまの時代ですら不安定な長距離航海を考えれば物理的に不可能といっても過言ではないでしょう」
それは確かにそうかもしれないけれど、そうなると異境から流れ着いたという「蛇」が……いえ、「流れ着いた」。
「ああ、そうですね。『蛇』が異境から流れ着いたというのは『流れ者』とかそういう意味ではなく、文字通り流れ着いたのかもしれません。そう考えれば、別の大陸との移動は不可能だった可能性は十分にある」
まあ、そもそも異境というのが別大陸というのも仮定に過ぎないのだけれど、そういう前提で話を進めるとして、「魂を固定しうる金色に輝く顔」の能力というか権能というかがどのようなものかは知らないけれど、魂を固定するとかいうのだから、不老不死……とまではいわないけれど、それに近い何かがあってもおかしくはない。
別の大陸から、海を渡ってこの大陸に流れ着くこともできるのかもしれない。狙っては無理でしょうけれど。
「別大陸……、鏡……、あっ」
なんでこんな単純なことに気が付かなかったのか……。
多分、同じ世界ではあるにも関わらず、どこか乖離して考えていたのでしょう。いえ、そんな言い訳よりも、いま思いついたある推論を構築すべきだ。
「……なるほど、いまなら可能という意味は、何となくつながりましたが、いえ、そうなるとあのときの言葉の意味は」
目まぐるしく頭の中を回る考えに、何となくの形が出てきた。まったくもって、これが答えだというのなら、あの言葉にもつながってくるでしょう。
「何かわかったのかしら?」
ラミー夫人の問いかけに、わたしは苦々しい顔をしながら答える。
「ええ、『魂を消滅させる暗き鏡』がどこにあるのか、その予想は立ちました。というよりも、知っていたのに結びついていなかったものが、ようやく結びついたとでも言うべきでしょうか」
しかし、こうなると、わたしの選択しだいでは、このタイミングで解決しなかった可能性もあるのか。まあ、その辺りは結果論に過ぎないのだし、考えるのはやめておこう。
「つまり、関連性のない別のものだと認識していたものが、実は『魂を消滅させる暗き鏡』だったということに気が付いたという意味かしら」
「はい、その通りです。いえ、これに関してはもっと早く気が付くべきでした。少なくとも最初から気が付いていてもおかしくないですし、その後も気が付くべきところは何度もあったのに」
あれだけ類似点があるのだから、どれだけ抜けていたのか……。
「『魂を消滅させる暗き鏡』とは、ミズカネ国に伝わる黄昏の鏡と同一のものでしょう」
シュシャと鏡に関する話をした時点で気が付くべきだった。そこで気が付かなかったとしても、「魂を映す虹色の剣」がウルフバートという形で後世に伝わっている時点で、それらの神器がそのままの名前で伝わっているわけではないというところから気が付くべきだった。




