160話:水銀女帝と黄昏の鏡・その1
王城と話をつけるのをすべてラミー夫人に投げたわたしは、お兄様への説明をどうするか考えながらも、普段通りの生活を送っていた。
魔法学園に通い、学び、家に帰って仕事をするという、きわめていつも通りの日常だ。別にお兄様への説明を後回しにしているわけではないが、お兄様は現在、領地にいるらしく、もし、お兄様が決行日に間に合わなかった場合の代理も考えないとなあなんてことを思っていた。
そんなタイミングで、シュシャが話しかけてきたのだ。
「カメリア、少しいいでしょうか」
その瞳の真剣さに、わたしは何を聞かれるのだろうかと内心でドキドキしつつも、快くうなずいて、話を待つ。
「あなたは、この髪飾りが、母からもらったものであることを知っていましたが、わたしはこの髪飾りについて、少し疑問に思っていたことがあるのです」
どんな話をされるのかと思えば、わたしの考えていた方向とは異なり、少し拍子抜けしたような気分ではあったものの、「水銀女帝記」のことを考えると、何か疑問に思っていたような描写があったっけなあと考えを巡らせた。
「わたしは平民として育ちました。出自がどうであれ、いまもその感覚は変わりません。ですが、同じよう平民であったはずの母が、これをわたしにくれたときに少し疑問を抱いたのです。『こんな高価そうなものをどうやって』と」
ああ、思い出した。なるほど、それの話か。
シュシャは髪飾り……というかかんざしをつけているけれど、それは、実は父である前皇帝から贈られたものであって、共通パートの最後に、それが明らかになる。これはその話だろう。
「ですが、カメリアは、この疑問の答えを知っているのではありませんか?」
その問いかけにどう答えたものかと思うが、あのときのシーンを思い返しつつ、わたしは言葉を返す。
「その疑問の答えは、シュシャ自身がすでに導いているのではありませんか。いえ、まあ、確認がしたいということなのでしょうけれど」
疑問に思っていたということは、そのことについて考えていたということである。共通パートの最後では、いろいろとあって、かんざしの送り主が判明するのだけれど、シュシャの反応としては、驚愕というよりも「やっぱりな」という感じであった。
つまり、もう、彼女の中での答えは出ていて、その答え合わせがしたいだけなのだろう。
「では、やはり、これは父がわたしに送ったものなのですね」
「はい。その髪飾りは、あなたの父上であった皇帝陛下……いえ、いまですと、前皇帝陛下と呼ぶべきでしょうか。かのお方が、あなたに贈ったものです」
その確認をできたシュシャの反応は、どうにもいまだに疑問がわだかまっているようであった。スッキリしないというか、浮かない表情。
「なぜ、父はこれをわたしに送ったのでしょう。自分の痕跡を残したかったのか、それとも、せめてもの親心のつもりだったのか……」
本人の感覚としては会ったこともない父親からの贈りものである。そこにどういった意味が込められていたのか、それが気になるのだろう。
「……わたくしとしては、あなたに後継の兆しを見ていたからこそ、その髪飾りを贈ったのだと思います」
そう、これはただのかんざしではない。高価という意味ではそうなのかもしれない、歴史的価値があるという意味でもそうなのかもしれない。ただ、それだけではない、特別な意味のあるものだ。
「後継の兆し……?」
「ええ、そうです。なぜならば、その髪飾りには、ミズカネ国の秘宝の在りかが隠されているのですから」
ミズカネ国には、いくつかの宝がある。とは言っても、金銭的な意味での「お宝」ではなく、歴史的、文化的意味での受け継がれてきたものというべき代物であるけども。
その1つが、「神の声を聞く杖」である。
ただ、その宝の多くは、「神の声を聞く杖」が流出したときに、同じように国外に流出してしまっている。
それでも残っている宝、まさに「秘宝」と呼ぶにふさわしいものがいくつかあった。そのうちの1つを指し示すのが、このかんざしに隠されたメッセージである。
「秘宝……。そのようなものが、この髪飾りに……?」
「ええ、『黄昏の鏡』と呼ばれるものですね。伝来の頃は、『神の声を聞く杖』と同じくらいの時代だったかと」
黄昏の鏡、それは「水銀女帝記」におけるキーアイテムの1つであるのだけれど、それ自体は、伝承の産物、おとぎ話のような存在でしかない。「黄昏の鏡」、「死鏡」、「閻魔鏡」、「黄泉鏡」など、呼ばれ方はさまざまあったようだけれど、どれもあまり縁起のいい呼び名ではない。
古くは、「その鏡に映したものをむさぼり食らう」であったり、「幽世へと幽閉する」であったり、少しばかりおどろおどろしい伝承が残っていたらしいけれど、神々の話……特に、魂などに関係するドゥベー様、ミズカネ国で言うところの貪狼様の転生の概念などとも重なり、しだいに伝承は別の形へと変わっていったらしい。
わたしの暮らしていた前世の世界では、よく知らないけれど、「水銀女帝記」の考察をしていた人たちの間では、元ネタというものが考察されていて、クゥトルー神話の昔のエジプトの女性ファラオが使っていた鏡がどうとかと言われていた。
実際のところ、それとの関連性はわからないけれども。
「おとぎ話の一種ですね。『悪いことをしたら鏡に閉じ込められちゃうぞ』という子供をしつけるための戒めの類だと思っていました」
なまはげとかそういう類のものだと思われていたのだろう。まあ、事実としてそんな感じなのかもしれないけれど。
「鏡にそう言った力があるかどうかはともかくとして、事実として『黄昏の鏡』自体が存在しているは間違いありません。とはいえ、価値として素材的に高価というわけでもないようですし、どちらかというと、引き継がれる遺産というものでしょうかね」
そう考えると、もしかして、この鏡もまた、魔力を込められる宝石……、いや、祈りを込める石によってつくられたものだったのかもしれない。それならば、そうした力が祈りによって発現したような可能性はあるし。
でも……、それだと、何か少し引っかかるような気もするけど……。
「つまり、髪飾りをわたしに託したということは、その引き継がれるものを、わたしに託したかったと……」
「それは、前皇帝陛下自身の考えですから、わたくしにはわかりませんが、やはり言ったように『後継の兆し』を見たからだと思います」
ようするに、シュシャの発現を肯定しているだけなのだけれども。かんざしは、後の皇帝に託すためのものだと、そう思いたい。もっとも、作中で明確に明言されたわけではないので、皇帝がシュシャに贈ったということ以上の情報はないから、願望でしかないのだけれども。
「では、わたしは皇帝になったほうがよかったと?」
「それはわたくしが判断すべきことではありません。ただ、わたくしが持つ知識では、シュシャが皇帝となった未来の知識もわずかながらあります。それゆえに、わたくしはあなたが皇帝にふさわしい器を持っていると断言できるのですけれども」
というか、皇帝になるはずだった未来を変えてしまったのはわたしなので、そのあたりは、少しばかり思うところがないわけではないのだけれど。
「わたしが皇帝となった未来……。まったく想像はできませんが、それは具体的に聞かないほうがいい気がします。その未来は、あくまでその未来のわたしのものですからね」
こうした判断ができるあたり、本当に皇帝の器だと思うのだけれど……。
「正しい選択だと思います。ただ、1つ言えるのは、どの世界であったとしても、あなたはあなたであるということも、また事実です」
確かに「こうはならなかった未来」というのは、あまり知るべきことではないと思う。知っているわたしが言うのだから間違いない。ただ、どの未来を歩んでも、シュシャはシュシャである。まあ、わたしの場合は、わたしではない未来だったので……。
「わたしが歩むかも知れなかった未来はともかくとして、この髪飾りについての疑問が解けたのはよかったです」
謎が解けたというより、確証が得られてスッキリしたというべきだろうけれども、そこはどうでもいいか。
「まあ、もしかすると、わたくしの知らないような秘密や事情がもっと隠されているという可能性は十分にありますけれどもね」
「もしそうだったとしても、それは、あなたが知らないのでしたら、この世界で知っているのは、それこそ神々くらいでしょう」
そうとは限らないけれど、それでも、実際、そのくらい知る人のいないことなのは間違いないと思う。何せ、わたしの知っている多くは、ミズカネ国で皇帝となったシュシャが知る事実なのであるのだから。
「確かに、神々ならば知っているでしょうけれども……」
予測という形で、わたし以上にほかの結末を幾多も知っているであろう神様たちならば、それを知っているのは間違いないとは思うけれど、それを話してくれるかどうかは、また別の話だろう。そもそも、どうやって話すのかという疑問もあるし。
「ですから、これ以上のことはわからなくてもいいのです。もし、何かの機会にわかることがあったのなら、そのときはそのときですが、ひとまずは、わたしが納得できたなら、それでいいのですよ」
それでいいのかもしれない。何が真実かなんて、絶対に断言できることのほうが少ないのだから。真実だと思っていても、別の側面から見たら違ったなんてこともあり得る。だからこそ、自分が、それでいいと納得することが大事なのかもしれない。ときに、それで真実を見落とすことがあったとしても……。




