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157話:楼の姫と白い刃・その6

 少なくともこの世界線では、研究が軍事方向にシフトすることがなかったので、頓挫するとか注力できないということはなかっただろう。


「あくまで、可能性の話です。すでに形だけでも完成しているのなら、ひょっとすると、恐ろしい実験が行われる可能性すらもある。そのため、わたくしとしては、いち早く実験を中止させるために、こうして話に来たというわけです」


 証拠さえあれば、わたし個人が乗り込んでいってもさして変わらないのだけれど、一応、公爵という立場になった以上、独断専行で秘匿研究室を吹っ飛ばすより、人手を借りて、現場をきちんと押さえたほうがいいだろう。


「そうね。中止……。いえ、ひとまず、非人道的な行為が行われているという証拠自体はあるのだから、それに関与した伯爵や研究員は排除したほうがいいでしょうね。ただ、研究自体は、有用な部分もあるでしょうから、すべてを無に帰すとはならないでしょう」


 確かに、人から無理やり魔力を抽出するという実験、それ自体が「研究の悪用」であり、非人道的な行為であって、魔力を抽出するという技術自体は否定されるものではないのかもしれない。


 それこそ、ツァボライト王国にあった「緑に輝く紅榴石(グリーン・ガーネット)」のようなもの、あれは呪いであったけれど、表向きに言われていた魔力増幅器……ではないにしても、魔力の外付け供給源ができるのだから。


 ただ、現状、人から抽出する以外に方法がないというのが問題でもある。人や物から魔力を吸い出す計画と「ルイン計画」は説明されているものの、現状、魔力のこもっているものというのは、ごく一部しか存在していない。それこそ、神代の遺産であるフォルトゥナや例外的に呪のこもった「緑に輝く紅榴石(グリーン・ガーネット)」、ミザール様とつながるミズカネ国の杖など、特殊なものである。

 それらを入手して魔力を抽出するという非現実的なことよりも、そこらへんにいる人間から魔力を抽出するほうが余程現実的かつ手軽なものだ。


「人道に反さない範囲で実験を続けるのはかまいませんが、それこそ、志願者から魔力を募るとかそういった形でしか魔力は抽出できないでしょうね」


 それこそ、その一線を越えてしまえば、やっていることはいまの秘匿研究室と変わらない。ただ、そうなれば、大量に魔力を抽出するということはできないし、非効率的で、意味のある研究になるかは疑問なところだ。


 魔法の充実性を考えるなら、その研究資金を貴族に回して、子供の生まれやすい環境にするほうがよっぽど国のためであり、現実的かつ人道的だ。


「それでいいわよ。というよりも、人によって扱える魔力の量が異なる以上、どこまで抽出できるかなんていう明確な基準は誰にもわからないのだから、安全面を考慮すればそれすらも危ういでしょうし」


 確かに、魔力値や魔力変換は人それぞれだ。一見、同じくらいの魔力値に見えても、その実、魔力値が低くて魔力変換が高いだけとか、その逆もしかり。それを考えると、一律の線引きはできない。


 この人からはこのくらい魔力を抽出できて、この人はこのくらい……だなんてことがわかるのなら、それは魔力値や魔力変換がわかるということだ。そっちのほうが革新的な新技術だろう。


「まあ、研究自体をどうするかは、わたくしの管轄ではありませんし、そちらにお任せします」


 わたしとしては、そう言う人体実験がほぼ必須な研究も禁止にすべきだとは思うけど、そのあたりは、ラミー夫人や陛下などの判断に委ねよう。


 ただ、1つ懸念点があるとするなら、ものに魔力を貯蔵するというのは、いわば、その昔、神々が、魔法が未熟だった人間のために用意した救済であるところの魔力を……祈りを込められる宝石たちと同じことをするということ。

 それを善しとするのかどうかは微妙なラインだけれど、それこそ、わたしが神の代弁として語るのも違うし、そもそも、神々がどう考えているのかなんて、知らないから何とも言えない。


「ええ、そのあたりは、貴族全体を通じて、是非を問うべき課題なのかもしれないわね。

 ……でも、少し気になることもあるのよ」


 ラミー夫人は、やはり腑に落ちないという顔をしていた。でも、それは先ほどまでのわたしに対するものではなくて、この事件全体に対して、何か思うところがあるようだ。


「気になることですか?」


 言い出しが、お兄様の言葉と少し似ていたので、さらなるイベントでも起こるのではないかと一瞬思ってしまったけれど、それはないでしょう。本当にただ、「少し気になった」だけなのだろう。


「この研究。伯爵たちが思いつくようなものかしら。……いいえ、思いつくならだれでもあり得るでしょうけれど、それを実行できる形まで持っていけるかしら」


 確かに、魔力をどこかに貯蔵できたらなあというのは、魔法を使える人間なら、だれもが一度は考えてもおかしくないこと。

 それ自体は何の変哲もない、ありふれた思想。ただ、そこから先、それを形に持っていけるのかは、また別の話だ。


 実際問題、その理論であったり、理屈であったりを考えるのは研究者の仕事ではあるのだけれど、その理論も理屈もへったくれもない段階で、多額の投資をするだけの価値が見いだせるとも思えない。

 つまり、この計画が始動した段階で、ある程度、研究の下地がないとおかしいのだ。そうでもなければ、できるかどうかもわからない計画に投資するバカでしかない。


 しかも、その計画は、十数年前の時点で、ある程度は形になっているのだ。そうでなくてはクオーレ伯爵が悪用したというでっち上げすらも出来ないのだから。


「確かに、ただの伯爵たちが、このような計画を実現できる段階になったのは、少し疑問が残りますが……。それを教唆した人物がいるとなっても、わたくしもそこまで把握できていないので、結局、彼らから聞き出すしかないでしょう」


 何者かがアドバイスなり、裏から操っているなりしているとしても、わたしの持っている「知り得ない知識」にはその情報がない。

 お兄様ルートでは、この事件のあと、本格的に恋愛を深めていく段階にあり、この事件のことはほとんど触れられない。いや、正確には、「事件のときあんなことがあって、そこが素敵だ」とか、「事件のときのああいう姿勢が心に残っている」とか、そういう描写こそあれ、事件の顛末だの、事件の裏側だのは、アリスちゃんの視点には入ってこないのだ。


 ビジュアルファンブックでも、あくまで本計画を示唆されているだけで、せいぜい関わっていた伯爵たちの名前が載っているだけ。


「結局はそうなるのよね。あなたが知ってくれていたら早いと思ったのだけれど、まあ、あなたの『知識』ばかりに頼っていられないでしょうし、さっそく動きましょうか」


 そういうラミー夫人に、とりあえず証拠である資料を渡す。具体的に、この証拠でどこまで動けるのかを見極めてもらうためだ。


「なるほど、これが証拠の資料。それに、ああ、なるほど。昔からの記録のような形式なのね。こんなものをわざわざ残しておくなんて、見つからない自信があったのかしら」


「それもあるとは思いますが、もし、裏で操っている人物なり、伯爵たちのさらに上の供給源がいるなりする場合、その人物に見せるためにも記録はしっかりと残しておかないといけなかったのかもしれませんね」


 当然、できる限り証拠は残さないほうがいいに決まっているけど、今回行われているのは、あくまで研究だ。研究資料もなしに、結果だけ提示したところで意味はない。過程と結果、再現性が伴わなくてはならないのだから。


 そうした、過程の部分に、だれがどう関与したかというのも含まれるのだろう。

 まあ、いざというときには処分されるのだろうけども……。


「少なくとも、この研究自体が始まったのが、十数年前。それから数年で、基礎ができて、クオーレ伯爵を追放、そこからは、研究をより効率的になるようにという感じで進んでいるのね」


 ちなみに、その資料に、黒幕的存在のことは一切載っていない。出てくる名前もナリーチェ伯爵、ゴーラ伯爵、トラケア伯爵、ポルモーネ伯爵、クオーレ伯爵、そして各研究員の名前くらいだ。


「……そうね。これなら」


 ラミー夫人がにやりと不敵な笑みを浮かべたような気がした。何やらよからぬことを企んでいるような……。いや、でも、クオーレ伯爵の冤罪を晴らすことはしてくれるだろうから、変なことはしないと思うのだけれど。


「サングエ侯爵にも声をかけましょう。彼もクオーレ伯爵の件に関しては思うところがあったようで、あの事件から十数年経ったいまでは、少し隠居気味で、実質、仕事はご子息が回している形になってしまっているし」


 サングエ侯爵か。娘の嫁ぎ先があのようなことになってしまったことに、何か思うところがあってもおかしくはないでしょうけど。わたしも数度、パーティで顔を拝見したことがあるくらいで、交流はほとんどないからなあ……。


「ついでというわけではないけれど、リリオ・クオーレさんだったかしら。彼女をサングエ侯爵に会わせてあげましょう。孫とはいえ、ほとんど会えずに離れ離れになってしまったのだから」


 確かに、彼女が生まれてすぐのころに追放されたので、サングエ侯爵がアスセーナさんとあったことがあったとしても生まれてすぐのころに数度というくらいだろう。


「あまり彼女を移動させる危険を冒したくはないですが、まあ、公爵と侯爵の集まる場所においそれと手出しはできないでしょう」


 おそらく、国立魔法学研究棟の研究員と伯爵たちの手のものが、血眼になって彼女を探しているだろう。


 ただ、指名手配のようなことができないので、自分たちの手を使うしかないのが救いか。もし、指名手配のような形になれば、彼女が持っているであろう研究資料は、その捕まえた人物たちに見られることになり、研究のことが明るみになってしまうからだ。


「それじゃあ、サングエ侯爵にはわたしから話をつけておくわ。できるだけ早く会えるようにするけれど、都合がつくかどうか」


 そうはいっているものの、ラミー夫人の顔はおそらく簡単につくだろうと思っているようだった。まあ、半隠居状態という話だし、その分、アポは簡単に取れるのかもしれない。


「それでは、サングエ侯爵と話しをつける前に、詳しいこちら側の動き方について決めておきましょうか」


「そうね。サングエ侯爵からは人員を少し借りるくらいでいいでしょう。別に恨みを晴らすというわけではないけれど、けじめとしてね」


 まあ、サングエ侯爵がどこまでクオーレ伯爵の……ピヴワヌさんの件を引きずっているのかはわからないけれど、ある意味では、それが筋なのかもしれない。




 この日、わたしとラミー夫人は、日が暮れるころまで、策を練りあった。

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