153話:楼の姫と白い刃・その2
「なるほど。これで、わたしの知る『知り得ない知識』との違いに納得がいきました」
わたしの言葉に、お兄様が何かに気が付いたように、わたしのほうを見た。おそらく、「昨日、今日こうなるとわかった」という言葉に引っかかっていたのだろう。
「知り……得ない?」
「ああ、気にしないでいい。カメリアは、少しばかり他人が知らないようなことを知っているというだけだよ」
困惑するアスセーナに、お兄様が苦笑しながら説明をする。しかし、まあ、まったく知らない人が聞けば「何言ってんだ」という反応だろう。
「それでは、本当にあたしの事情を知っているんですか……?」
さて、なにを答えたら納得するだろうか。いや、まあ、手っ取り早いのは個人情報を明かすことだろうか。
「知っていますよ、アスセーナさん……。いえ、リリオ・クオーレさん。あなたの目的が家の……いえ、あなたのお父様にかけられた冤罪を晴らすためのものであるということも」
アスセーナと名乗る彼女の本名は、リリオ・クオーレ。お兄様ルートの登場人物ということもあり、「花」と「体の部位」という、わたしやお兄様、パンジーちゃんなどのロックハート家に強い関係を持つ人間に近しい名付け。リリオは「百合」で、クオーレは「心臓」。
ハート……「心臓」でもあるわたしたちロックハート家とも近しい名付けで、お兄様ルート以外では名前や存在すら確認できない。
彼女の家、クオーレ伯爵家は、わたしが生まれたころか、その前くらいに爵位をはく奪、領地も没収された。ちなみに、その元クオーレ領は、現在、ロックハート領に併合されている。
罪状は魔法研究の悪用というもので、当時、クオーレ伯爵を含めた数人の伯爵が、国立魔法学研究棟で、研究者たちとともにある魔法の活用について研究していたらしい。
もちろん、研究しているのは研究者たちであって、伯爵たちはパトロンになっていただけだけれども。そんなときに、ほかの伯爵たちが揃ってクオーレ伯爵が研究の成果を悪用して、危険な実験を行ったそれぞれが告発した。
その結果、クオーレ伯爵領のとある施設から、その悪用したと思われる痕跡が見つかり、クオーレ伯爵は爵位はく奪、領地没収となったわけだ。
ただし、それは、ただ1人研究の悪用に反対していたクオーレ伯爵を鬱陶しく思ったほかの伯爵たちがでっち上げた冤罪であった。
だから、リリオ・クオーレ……、アスセーナさんは、その冤罪を告発する証拠を見つけるために、魔法学研究棟に手伝いとして潜り込んだ。
そしてようやく証拠を見つけたものの、それがバレて、帰り道も分からず、とっさに逃げ込んだ先が地下通路であり、あのような状況につながる。
「本当に知っているんですね……」
正直、驚きすぎて言葉にもならないという様子のアスセーナさん。それとは別に、お兄様から視線が飛んできている。
その視線に込められた感情がどういうものかわからないはずもない。
だから、できるだけ彼女に聞こえないように、小声でお兄様に話す。あまり聞かせるべきではない話だろうし。
「お兄様、わたくしが知っていて、なぜ、今日、このときまでそのことを明かさずにいたのかという疑問を抱いていらっしゃるようですね。その理由は2つほどあります」
そう、何も放置していたわけではないのだ。王子ルートに進むからどうでもいいと思っていたとかそう言うことではない。何せ、王子ルートに進んで、もし、アスセーナさんが魔法学研究棟に潜り込めていなかったとしても、この国のどこかにいまにも潜り込もうとしている彼女が存在しているのは変わらないのだから。
「まず1つは、わたくしも国立魔法学研究棟の地下にある秘匿研究室の場所がわからないのです。そこにある証拠の資料を持ち出すというのは非常に難しかったのですよ」
そう、わたしは「国立魔法学研究棟」の地下に、伯爵たちからの出資を元に作った秘匿研究室の入り方を知らない。
「カメリアでも知らないなんてことがあるのかい?」
本当は知っていて隠しているのではないかというような疑いの言葉。だけれども、これに関してはウソでも何でもなく、本当に知らないのだ。
「わたくしの『知り得ない知識』というのは万能ではありません。特に、本来、昨年の入学から建国祭までの間に起こる可能性のある出来事に関しては、ほとんどがアリスさんの主観での知識しかないのです」
そう、実は、このイベントにおいて、終盤に、お兄様とアリスちゃんは、この秘匿研究室に侵入するのだが、そのルートは、図書室の書架を動かして、扉から入り、地下通路を経由したものだ。
つまり、わたしが知る唯一の侵入ルートはあの扉の向こうだけ。でも、そこから侵入することはできない。
イベントでは、アスセーナさんが封鎖を解除して、無理やり突破したあとだからこそ、お兄様もアリスちゃんも自由に魔法学研究棟側に出ることができたけれど、それ以前だと、封鎖されていて、容易には侵入することができない。
魔法でぶっ飛ばすという手もなくはないけれど、そんなことをして証拠を処分されてしまっては、結果、わたしが犯罪者になるというだけだ。
それでもどうにかルートが見つからないかと、魔法学研究棟に行くたびに確認はしていたけれど、魔法面ではそこまで評価と成果があるわけでもないので、そこにたどり着くことはできなかった。
「ですから、彼女は本当に凄いのですよ。信念によって成せた技とでも言いますか、秘匿研究室までたどり着き、こうして資料を奪取してくることができたのですから」
ほとんどの人に秘匿されている場所にたどり着くというのは、ゲームとしてプレイしたときから思っていたけれど、かなり凄いことをやってのけている。
「そして、もう1つの理由は、戦争の回避のほうが優先すべきことだったからです。あのタイミングで、国を混乱させる秘匿されていた魔法研究や冤罪事件などを持ち出してしまったら戦争の回避に影響が出るかもしれない。どちらが国にとって優先すべきことかを考えた結果、わたくしは戦争の回避を選んだのです」
これに関しては、いいように言ったけれど、結局のところ、戦争回避ができず死ぬ可能性をできるだけ排除するために、不要なことをしたくなかったという、きわめて自分本位な理由であり、そのことで、アスセーナさんに罪悪感を抱いている部分はある。
「貴族としては極めて正しい判断だけれど、人としては非情な選択だよ、それは……」
お兄様が悲しげな声でそうつぶやいた。でも、そこには、そう判断せざるを得なかったと思うだけの理由があったからこそ、理解はしているのだろう。
「でも、……その資料があれば、告発はできるということでいいのかい?」
救うことが遅くなった理由にばかり目をやっていても仕方ないと意識を切り替えたようで、お兄様はそのように聞いてくる。
「ええ、この資料があれば十分に告発できるでしょう。ですが、相手も十数年にわたって隠し通しているほどの周到です。これを公表するには、こちらもある程度の用意が必要でしょう」
あの陛下やラミー夫人を相手に、十数年にわたって、その研究の存在を隠しているのだから、かなりのやり手だ。もちろん、ラミー夫人も常に王都にいるわけではなく、北方との行き来もしているが、あの「黄金の蛇」を相手に隠せているというのだから驚きだろう。陛下も実際に目で見て回る機会が少ないとはいえ、かなり良く見ている方だから、それをやり過ごせるのも相当だ。
……いや、あの2人のことだから、薄々何かに気付いてはいるけれど証拠はつかめていないというような状況の可能性は十分にあるけれど。
「でも、いまは、アスセーナが逃げ回っていると判断しているかもしれないけど、そのうちどこかに資料が渡ったのではないかと思って、こちらが用意している間に逃げられたらどうするんだい?」
「そもそも、逃げることはないでしょう。己の権利と地位を何よりも大事だと思っているような人でもなければ、ほかの貴族に罪を擦り付けるようなことはしないでしょう。少なくとも研究が終わるまでは、パトロンであり続けるためにも金銭は重要ですしね」
ただ、逃げないにしても、だれかに罪を擦り付けるようなことは、再びしてくるかもしれない。いまある証拠の資料を例えば「ねつ造だ」と言って、本物の資料としてねつ造した資料を提示する。
貴族と元貴族の娘のどちらを信じるのかという話になれば、常識的な判断をするなら前者になるだろう。
まあ、そんなねつ造でラミー夫人を騙せるとは思えないけれど、あくまで可能性としてそう言うことはしてくる可能性が十分にあり得る。
「だとしても、何らかの強硬手段に出る可能性はあるよね。どうするんだい?」
お兄様がどのようなことを想定したのかはわからないけれど、確かに先に挙げたねつ造を含め、直接的にしろ間接的にしろ、いろいろな手段をとって罪を逃れようとするだろう。
「それならそれでいいのです。いえ、むしろ、そのほうがありがたいというべきでしょうか」
そう、何かしらの手段を取ろうとするのなら、そのほうがありがたい。
「幸いにも、わたくしは『知り得ない知識』で、その場所への行き方は知らずとも、どの伯爵が関わっているのかということは知っているのです。ラミー様かファルシオン公爵に話を持って行って監視をつければ、動くほど証拠が見つかりやすいでしょう」
現実的に考えて、相談するならファルシオン様ではなく、ラミー夫人だろうけど。そもそも、騎士を動かすと、相手に察知されやすいので、気づかれずに動きやすいラミー夫人のほうに頼むべきだろう。
そして、何らかの強硬手段に出るならば、その分、証拠が出やすくなる。普段はほとんど顔を出さない秘匿研究室のほうにも行ってくれるかもしれない。そうなれば、ルートも確立できる。
まあ、その前に、アスセーナさんからルートを聞くこともできるだろうけど、ゲーム内の描写では、とにかくこっそりあとをつけたので、方向感覚も失い、自分がどこにいるのかもわからずに、帰り方もわからなかったのと、来た道を戻っても待ち伏せされている可能性を考えて地下通路に逃げ込んだので、おそらく、彼女の証言からは、ぼんやりとした「この辺」というのはわかっても、明確なルートはわからないと思う。
「わかった。じゃあ、進展があったらボクにも連絡をくれるかい?」
「ええ。それから彼女はわたくしの屋敷で預かりましょう。お父様やお母様には説明をすれば受け入れてもらえるとは思いますが、そうした手順を抜かすことができるわたくしのほうがスムーズでしょう」
未だに混乱して、呆けている彼女。そして、彼女の持つ資料。それらを守るなら、ロックハート家よりは、向いている。
そうして、わたしは一時的に、彼女を預かることになったのだった。




