151話:プロローグ
ある日、目を覚ましたわたし、柄原椿姫は、前世で大好きだった乙女ゲーム、「銀嶺光明記~王子たちと学ぶ恋の魔法~」の悪役令嬢、カメリア・ロックハートに転生していた。
このままゲーム通りに進めば、王子によって処刑されるか、戦争で王子を庇って死ぬことになる。どうにかして死を回避して「生き延びる」には、王子との好感度を上げるしかない。そして、戦争を回避するためには、王子と主人公をくっつける必要があった。
わたしが知っている戦争の知識は、王子ルートの先にある「たちとぶ2」から得たものだから、そうじゃないと、戦争が止められない可能性があったから。
そうして、わたしは、カメリアとして王子やほかの攻略対象たちとの好感度を上げながら、「たちとぶ」の本編である魔法学園への入学を待った。
魔法学園に入学したあとは、主人公であるアリスちゃんと交流を持ち、彼女の抱えるさまざまな問題を、わたしなりに対処しながら、王子とアリスちゃんの仲が深まるようにアプローチをしていき、その結果、なぜかわたしになつかれてしまったのだけれど、それでもどうにかこうにか、王子ルートまで持ち込むことに成功するのだった。
その後、誘拐事件を解決しつつ、隣国からの密偵を捕らえて、相手の策略を崩し、そして、自ら王子に処刑されたことにして、王子との婚約関係をなかったことにしたうえ、戦争回避のために裏で動きやすくなるという一石二鳥な作戦を決行。
陛下を巻き込み、無事、戦争を回避して、隣国、ファルム王国との同盟を結ばせるに至り、晴れて「生き延びる」ことに成功したのだった。
まあ、なんやかんやあって、「自由に生きられる」と思っていたわたしだったけど、別作品の舞台であるミズカネ国の皇族の相手をしたり、太陽神ミザール様に会って、祖母が本物のカメリア・ロックハートであったことやわたしが「改変者」なる存在であることを明かされたりして、気が付けばこの国で5番目の公爵位が与えられ、「カメリア・ロックハート・スペクレシオン」となっていた。
ミズカネ国から「水銀女帝記」の主人公、シュシャが留学してきて、大変ながらも自由な2年生としての生活が送れると思っていた矢先、わたしのお兄様、ベゴニア・ロックハートからあらぬ言葉が飛び出した。
「図書室で少し気になるものを見かけたんだけれど」
それは、「たちとぶ」におけるお兄様のルートへの入ったあとに起こるあるイベントへの導入の言葉だった。
どうやら、わたしが「自由に生きる」ことができるのは、まだ先なようだ。
――それでも、……それでもわたしは、悪役令嬢に転生したけどビジュアルファンブックの力で自由に生きたい!
ベゴニア・ロックハートのルートで起こる事件の1つに、図書室が絡むイベントがある。王子ルートにおける誘拐事件のような立ち位置のイベントと考えればわかりやすいか。
お兄様……いや、ベゴニアのルートに入ると、主人公の「アリス」は、ベゴニアと図書室で逢瀬を繰り返すことになる。もっぱら、読書に勤しむだけなのだけれど、その穏やかな時間が、2人にとっては何よりもかけがえのない時間となっていた。
そんなある日、ベゴニアは、ふとつぶやく。
「図書室で少し気になるものを見かけたんだけれど」
当然、アリスは小首をかしげて、それが何なのかを問う。ベゴニアが書架を指さし、……いや、正確には、書架の間からかろうじて見える扉を指さして言う。
「あの扉なんだけど……」
と。確かに、そこに扉はあった。書架で隠れていて、よく見なければわかりづらいが、間違いなくそこに扉はあった。
まあ、メタな話をすると、ゲームに表示されている背景には写っていないので、プレイヤーからすれば知りようのないことなんだけれど。
ミザール様の言っていた「予測」がゲームとして出力されているものだとするなら、主人公であるアリスは、そのときになるまでその扉には気が付いていなかったということなのかもしれない。
ともかく、そこに扉はあったものの、ベゴニアとアリスの力では書架を移動させることもままならないし、そのときはそれで終わるのだった。そう、そのときは……。
そして、いま、お兄様はその言葉をアリスちゃんではなく、わたし、カメリア・ロックハートに向かって投げかけた。
それはすなわち、わたしがお兄様とともに、あのイベントを攻略する必要があるということ。確かに、内容を考えれば、アリスちゃんじゃなければいけない道理もないのだけれども……。
「図書室で少し気になるものを見かけたんだけれど」
その問いかけに、ぞっとしながらも、わたしは確認の意味も込めて「それは扉ですか?」と返した。
「ああ、やっぱり知っているのかい。あれはいったい」
お兄様のその言葉に、返す言葉は持ち合わせていなかった。いや、正確には、返すべき言葉はいくらでもあったのだろうけれど、この場でそれをどう繕うか思い浮かばなかったというべきか。
「図書室なんて普段いかない俺が言うのもなんだが、普通は扉くらいあってもおかしくないだろ?」
シャムロックがそんなふうに話に割って入ってくる。当然の疑問だ。図書室に扉があったからおかしいという発想にはならないだろう。蔵書の点検用かもしれないし、新しい蔵書の運搬口かもしれない。あるいは管理人用の部屋か、蔵書の資料が置かれている部屋があるのかもしれない。
図書室に扉があれば、そんなことを思うのは当然のことでしょう。
むしろ、扉があることに対して、なぜ疑問を抱くのかというほうが普通だ。
「おそらくお兄様が気にしていらっしゃる扉は、書架で隠れてしまっている……、つまり、開けることのできなくなってしまっている扉のことだと思います」
別に扉を開けても通れないということ自体はおかしなことではない。隙間から何かをやり取りすることはできる。
ただ、図書室に付けられている扉はすべて、内開きだ。
内開き、つまり、図書室側に開くということ。搬入に際して、そのまま直進的に運び込めるからそうなっているのかもしれない。あくまでわたしは専門家じゃないから、本当はどういう理由なのか、全然知らないけど。
どうあれ、図書室側に開くのに、その図書室側に書架があるのであれば、開くことができない。書架をどけない限り、図書室からも、反対側からも開くことはできないのだ。
「それは奇妙な扉だが、何らかの事情で不要になって封鎖しているだけではないのか?」
王子……、アンドラダイト・ディアマンデ殿下の意見はもっともだ。
むしろ、そこにあえて疑問を抱くほうが無理筋である。せいぜい、どこにつながっているんだろうとか、どんな部屋につながっているんだろうくらいのところだ。
「ええ、まあ、不要になってかどうかはともかくとして、使われなくなったから書架で覆い隠したというのは、おそらくそうでしょう」
使われなくなったことと、不要になったのは同じ意味だろうと思われるかもしれないが、正確に表現すれば使えなくなったから使われなくなったというべきかも知れない。
というか、まあ、事情を知っているわたしだからこそ、こんな言い方になっただけなのだけれども……。
「ボクもそうだと思うんだけど……、あの扉の奥から風が吹き込んでくるのを感じた気がしたんだよね」
お兄様は風の魔法使い。風に対して鋭敏であってもおかしくはない。そして、風が吹き込んでくるということは、その向こうの部屋に窓でもあるか、ともかくとして、風が入り込む開口部があるはずなのだ。
だが、図書室のあるあたりを外から見たところで、その先にあるであろう場所にはそうしたものは見られない。どちらかといえば、ただの壁。
まあ、蔵書が日に焼けないように、資料などが多い空間で窓が少ないというのはおかしいことではないかもしれない。でも、だとするなら、風が入り込む余地はないのだ。
「まあ、気のせいかな。ボクも3年生になったばかりだというのに、そんなことに気を取られている場合じゃないのかもしれないなあ」
そう、ここにいる中で、お兄様だけは、皆と違い、2年生ではなく、1つ上の3年生だ。……何でここにいるのか、などという野暮なことは言わない。
「じゃあ、ボクはそろそろ戻るよ」
そう言って、別の講義室に移動しようとしているお兄様に、すれ違いざまに、わたしは小さな声で伝える。
「明日、図書室に来てください」
と。
イベントの進行が、ゲームの日程と同じように進むのであれば、お兄様がわたしに話した今日というのが、ベゴニアとアリスの会話があったのと同じ日ということになる。そうであるならば、明日、図書室にいかないと意味がない。
お兄様は、わたしが声をひそめたことを理解し、小さくうなずいてから講義室を出ていった。これが同じ家で暮らしていたころなら、あとでいくらでも家で言えたのだけれど、いまは、わたしがスペクレシオンの屋敷で暮らしているからそうもいかない。
ゲームの知識通りにいけばよかった去年とは違い、日程や予定を合わせるのも難しい。だからこそ、このあと、今日中に会えるかもわからないのでこのように伝えるしかなかった。
「それで、お前、扉のことを知っているんじゃないのか?」
王子の呆れるような声に、わたしは苦笑する。まあ、話してしまっても問題はないだろう。その扉のつながる先自体に、何もおかしなところはないし、隠すことでもない。
「あの扉は、国立魔法学研究棟とつながる地下通路への扉ですね。昔は、研究資料のスムーズな持ち運びに使われていましたが、いまは国立魔法学研究棟側の地下通路への入り口が使えなくなってしまったので、こちら側も塞いだというだけですね」
そう扉自体は謎でも何でもない。いま、説明したことがすべてだ。実は……というような裏話もない。
「地下通路か。そんなものがあったのだな」
そう、図書室の扉には本当にその「地下通路の扉」以上の意味はない。だが……。




