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148話:スペクレシオン公爵・その3

 その日、わたしは、夢を見た。


 懐かしい夢。




 むせるような悪い空気、排気ガスにまみれ、汚れたビルの群れ。


 一目で夢だとわかる。薄れた前世の記憶の街並み。


 だけど、その街並みには覚えがあった。祖母の病院がある場所で、わたしは、よく、祖母の見舞いに、この街を訪れていた。


 だから、何ともなしに、記憶をたどるように、わたしは病院のほうへと歩いていた。


 街には人の姿はなく、行き交う車にも搭乗者の姿はない。まるで、人の姿だけがすべて焼失したかのような異質な世界。でも、何もおかしくない。夢なのだから。


 病院に入る。電気はきちんと通っているのか、自動ドアが開く。


 中に人の姿はなく、受付にもだれもいない。わたしは、そのまま、エレベータに向かう。この分なら、祖母もそこにいるはずないのにも関わらず、なぜか、この足は、そこへ向かっていたのだ。


 エレベータに入り、設置された鏡に映った姿を見て、ふと気づく。


 わたしの姿が、前世の「わたし」ではなく、カメリアの姿をしていることに。


 いや、まあ、夢なのだからと言われてしまえばそうなのだけれど、それでも妙な気分だなと思いながら、わたしは、最上階で降りる。


 そして、祖母の病室の前に立つ。


 ドアはなぜか半開きであった。だから、恐る恐る、わたしはそのドアを開く。


 そこには、同い年くらいの少女がベッドに入っていた。深窓の令嬢などという表現が似合う、気品あふれる雰囲気をまとい、なんとも触れがたい感じがした。


「ああ、……そう。ミザール様が、いつか、だれかがやってくるといっていたけれど、それがよりにもよってあなたなのね、椿姫」


 物憂げにつぶやく彼女の言葉で、ようやく、彼女が祖母であるのだという確信を持つ。しかし、ミザール様が言っていた……?

 これはただの夢ではないということか。


「ここは夢ともいえるし、そうでないともいえる。夢と記憶のはざまのようなもの」


 よくわからないことがわかったけれど、まあ、深く考える必要はないのかもしれない。というか、考えたところで多分明確な答えはわからないと思う。


「それに、わたしはあなたの知る『姫椿心愛』というわけでもないの。あくまで記憶の残滓のようなものというべきかしら。あるいは、魂の破片とでも」


 つまり、目の前にいる彼女は、あくまで祖母自身ではなくて、祖母の記憶から零れ落ちたものということだろうか。


「それにしても、そう……。あなたなら、まあ、納得できるわ。わたしによく似たあなたなら。カメリア・ロックハートを任せられる」


 任せられても困……りはしないけれど、というか、おそらく、祖母が「カメリア」として生きた以上に、わたしはカメリアとして生きてしまっているけれど。


「そんなに似てるかなあ」


 わたしは、普段のカメリアとしての口調ではなく、久しく話していない砕けた口調で、そのように言う。それに対して、祖母はくすくすと笑う。


「ええ、似ているわ。だから、わたしは、あなたを甘やかさなかった。いいえ、あなたからすれば甘やかされていたと思っていたのかもしれないけれどね」


 確かに、祖母は優しかった。だけれど、優しいことと甘やかすことは違う。それでも十分に甘い部類ではあったと思うけれど、それでも、祖母はできるだけそうしようと心掛けていたのでしょう。


「正直、春菜(はるな)に子供ができたと聞いたときは、困ったのよ。だって、わたしには子育ての経験なんてなかったし、赤ちゃんを身近であまり見てこなかったから」


 確かに、カメリアとしての境遇を考えれば、そこで幼い子と関わることは少ないと思う。祖母として転生してからはどうだったのか知らないけれど、この言い分からすると、そう言う機会がなかったのでしょう。


「春菜はわたしと違って、いえ、わたしを反面教師にして、少し堅い子に育ってしまったけれど、あなたは、どちらかというとわたしに似た子に育ってしまったわね」


 それは、別に母の生き方を否定しているわけではないのだと思う。祖母自身、自由な生き方という道を歩んでいたけれど、それだけが正解であるとは思っていないのだと思うし、母のように生きるのもある種の正解であると。わたし自身、そう思う。


 わたしは祖母のような生き方にあこがれ、目指しているけれど、それが必ずしも正しい道なのかと言われたら、また違う。あるいは、生き方に正しいも間違っているもないのかもしれない。ようは、向き不向きだ。

 もちろん、やってはいけないこと、やるべきではないこともある。だから、生き方にいい悪いはあるのかもしれない。


 いっていて自分で何を言っているのか分からなくなってきた……。


「それで、あなたはカメリアになって、楽しくやれている?」


 祖母の問いかけに、わたしは苦笑する。正直、生きるために必死だった。だから、確かったかとかそういうのは、あとから思うことになるけれど、楽しくないわけがなかった。もちろん、楽しくなかったことや嫌なこともあった。だけれど、何だって楽しいだけではない。だから、楽しいだけかと聞かれたら違うけど、「楽しくやれているか」であるのなら、楽しくやれているでしょう。


「楽しいよ。いろいろと面倒なことや、面白くないこともあるけどね」


 その言葉に、祖母は満足したように笑った。それと同時に、どこか寂し気な雰囲気もある。まあ、当然か。だって、祖母は「楽しくやれなかった」のだから。


「楽しくやれているのならそれでいいわ。でも、あなたはこれから、あの世界で生き続けるというのなら、そこにあることを知ったほうがいいのかもしれない。本当は見せるべきではないのかもしれないけれど」


 祖母が目で示す先は、わたしがよく腰を掛けていた見舞客用のいすだった。そこに何があるのだろうか、そう思って、病室内へ足を進める。


「見ると後悔するかもしれない。それでも見る?」


 祖母にそう言われても、わたしの思いは決まっていた。だから、躊躇なく、足を進めて、そのいすのところまで進む。


「わたしは、カメリアになってしまったから。だから、そうである以上、迷うことはないよ。だって、これが必要なのかもしれないんでしょう?」


 わたしの言葉に、祖母は笑う。半ば呆れを含んだような、それでも満足げな笑み。そして、わたしは、いすに置かれたそれに目をやる。


 それは1本のゲームソフトだった。


――「銀嶺光明記0~王子たちと造る恋の国~」。


 そうだ……。思い出した……。


 わたしは、あの日、このゲームを……。


 このゲームを買って、そのあとに、駅の階段で足を滑らせて……、死んだのだ。


 そう、このゲーム、「たちとぶ0」などとネット上では呼ばれていたけれど、サブタイトルが異なるので、正確には「たちとる」である。


 これはいわゆる建国の話であり、「たちとぶ」でも名前は出ていたウルフバート・スパーダなどがいた時代の物語だったはずだ。

 そう、何せ、わたしはプレイする前に死んでいるので、この内容を知らない。だから、あくまでも「だったはず」としか言えないのである。


「でも、ソフトだけあってもなあ」


 確かに必要かもしれないけれど、ソフトだけ渡されても、これではどうにもできない。最近のゲームは説明書とかもついてないし。パッケージ裏だけでどうにかすべてを理解しろというのは無理な話だ。


「ここは夢と記憶のはざまと言ったでしょう。そのゲームソフトのパッケージはあくまで記憶のかけらがその形になっているだけ。そこに込められているのは、ミザール様たち七柱の神々が予測したあなたの記憶。もし、そのゲームを遊んでいたら覚えたであろう記憶が入っているわ」


 おお、なるほど。しかし、このゲーム自体も神様たちのシミュレートしたものなのだから、シミュレートしたものを見たものを見た人の記憶をシミュレートしたものとか言う非常にややこしいものになっている。まあ、予測そのものをすべて見せると人の脳が耐えきれないとかそんなところだろうか。


「つまり、ミザール様はこれが必要になると思って、ここに用意をしていたと?」


「さあ、ここに人が来るかどうかも、かなりあいまいな感じだったから、それはわからないわ。もしかすると必要ないのかもしれない。だけれど、あなたがやりたいように生きるためにいると思ったのなら、持っていきなさい」


 まあ、持って行かないという選択肢はないでしょう。




 でも、まだ、そのパッケージを開かない。


 きっと、これを開いたら、わたしはここにいないだろうから。


 だから、わたしは、昔のように、見舞客用のいすに腰を掛ける。


「少し話そうか」


 わたしの言葉に、祖母は「仕方ないなあ」と言いたげに笑う。でも、興味があったのだろう、わたしのカメリアとしての物語に。




 それからしばらく、わたしは祖母と話した。


 いろんな話をした。


 攻略対象たちのこと、アリスちゃんのこと、パンジーちゃんのこと、ラミー夫人のこと、入学したときのこと、ロードナ・ハンドの一件のこと、誘拐事件のこと、建国祭でのこと、戦争を回避したときのこと、ウィリディスさんに子供ができたこと。


 あったことをたくさんたくさん話した。


「そう、スペクレシオン……。新しい公爵だなんて、妙なものね。でもスペキュレーションが語源なのだとしたら、意味は『思索』や『投機』、『空想』。椿姫にピッタリなのかもしれないわね」


 ようはとにかく考えるって意味なのだろう。まあ、それなら確かに、「知識」があるわたしにはピッタリなのかもしれない。


「楽しい話がいっぱい聞けたわ。わたしの知らなかったこと、知れなかったことを含めてね」


 祖母はそう言ってから、わたしの背中を押すように微笑む。


 そろそろ時間だということだろう。


 わたしは祖母に笑い返しながら、パッケージを開ける。

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