144話:五番目の公爵家・その2
スペクレシオン。
その単語を聞いても、わたしはまったくピンときていなかった。
おそらく、トランプに関連する単語であることは間違いないはずなのだ。
ハート、スペード、クローバー、ジョーカーがいまの公爵家の名前のゆらいだったはず。ダイヤモンドは王家が該当するので、スートはすべて埋まっているので、ジョーカーとかに近い名前で「エース」とか、「キング」や「クイーン」はないにしても「ジャック」あたりから取られるものだとばかり思っていた。
だけれども、「スペクレシオン」。
おそらく、ほかのと同じように崩してあったり、英語以外の言語であったりするのかもしれないけれど、スペクレシオン。
それとも、先ほど挙げた候補と関係が……。
エース。数字で言えば「1」を示すけれど、その中でも、確か日本では「スペードのエース」を、なぜか「スペキュレーション」と呼ぶことがあったはず。
スペキュレーション。スペクレシオン。なるほど。
ただ、1つだけ言うのなら、「スペードのエース」は「位の高いカード」であると同時に、古くから「死のカード」としても扱われている。
めちゃくちゃ縁起悪い……。
しかし、スペキュレーションって英単語の意味は何だっけか……。こっちも縁起が悪い……ということはないと思う。
「スペクレシオン。あまり好ましくはありませんが、同時に、わたくしに合っている名前なのかもしれませんね」
縁起は最悪。だけれども、こちとら、その死を乗り越えたんだから、それはそれで、わたしにお似合いの名前なのかもしれない。というか、そうとでも思わないと気分が暗くなるだけだ。
「一応、陛下が昔の言葉を探して、それにあやかってつけたらしいけれど、まあそれは置いておいて、スペクレシオン公爵の正式な屋敷も、もうじきでき上るそうよ」
わたしが断っていたらどうするつもりだったのか。いや、その場合は、別の施設なりなんなり好きに使うのでしょうけれど。
「では、この仮の屋敷にそう長く住むことはないというのは、わたくしが公爵位を賜り、そちらに住まうことが決まっていたからということでしょうか」
ラミー夫人はあのとき、わたしの思う理由とは違うかもしれないといっていたのがこのことを指しているのだろう。
「ええ。本来は、もう少し早く屋敷が完成する予定で、そちらを仮の屋敷として渡して、爵位を授与されたら正式にあなたのものということにする予定だったのだけれど、そううまくいかなくてね」
さすがに屋敷を建てるのを、そう手早くというのは無理でしょう。というか、よく考えてみれば、期間だけを考えても、別の施設として作っていたものを、屋敷として仕様変更して建てたのだろうか。さすがに、魔法があるとはいえ、数か月で竣工できるはずもない。
「しかし、屋敷ができ、仕事もするとなると、さすがにカナスタさんだけでは人手不足ですね」
現状、スペクレシオン公爵のもとにいる人員は、カナスタさん1人。とてもではないけれど、それで回すのは不可能だろう。カナスタさんの負担も大きすぎるでしょうし。そうなってくると、どこかから人材を雇わないといけないわけだ。
「そうね。それこそ、ただ雇うだけならどこからでも雇えばいいのだけれど、あなたの場合そうもいかないでしょう?」
「ええ、まあ。できる限り信頼のおける人しか置きたくないので」
おそらく、わたしが公爵になったとして、その後も、ラミー夫人や陛下はわたしに「情報」を求めるでしょう。それこそ「知り得ない知識」というものを持っているわたしをそばに置く以上、利用しない手はないのだから。
そうした、超極秘の情報が万一にも漏れてしまうというのは避けたい。だからこそ、できる限り、わたしは信用できる人しか置きたくはないのだ。
こと使用人に関しては、ファルム王国の密偵の件もあって余計に。
「うちから貸してもいいけれど」
「いえ、ジョーカー公爵家が安定して回っているのは、その信頼できる使用人あっての部分もあるでしょう。それを割かれても、わたくしとしても御しきれる自信はありませんし、できれば、ジョーカー公爵家はできる限り現状を維持していただきたいです」
そも、ラミー夫人は、「北方」に出ずっぱりのユーカー様の代わりを務めながらも「黄金の蛇」としての役割もある。それでもあの家が回っているのは、アリュエット君の頑張りもあるだろうけど、それ以上に使用人たちによるところも大きい。
それが機能しなくなると、それはそれで困るのだ。
というか、現状の4家の公爵家はできる限り、いまのままであってもらわないと困る。だからこそ、そこから人員を借りるというのはできる限り避けたほうがいいと思う。
「まあ、この間までの状況を見ていると、この2人だけでもどうにか回せそうな気もしてしまうけれどね」
思い出したくもない書類の山を一瞬、机の上に幻視するくらいにはトラウマなのだからその話はやめて欲しい。
「あれは、わたくしがこの状態だからこそできたものであって、来客であったり、ほかの生活のことをしていたりした場合には、とてもではありませんが不可能です」
引きこもりかつ、だれも訪ねてこないような、そんな状況だからこそ、ずっと書類に没頭して、それでも成り立っていたけれど、普通に公爵としての立場があって、来客もあり、仕事を回して、なんてやっていたら、わたしもカナスタさんもパンクする。
「わかっているわよ。さすがに冗談」
小さく笑いながら、そんなふうに言うラミー夫人。しかし、どうしたものか。あまり、そう言うコネクションはないけれど、いまから一から信用を築いていくなんて、そんなことをして、まともに成り立つまでどれだけかかるか。
「仕方がありません。こういうときは友人の手を借りるものです」
しかし、わたしの友人はというと、王子や公爵子息は無理、パンジーちゃんも無理、そうなるとアリスちゃんくらいしかいない。けれど、アリスちゃん本人を働かせるわけにはいかないし、でもアリスちゃんの伝手で雇える人材もいない。
……あれ、友人もダメ?
「友人ね。アリスさんを働かせるのはいいと思うわよ」
「ですが、学友を使用人にするわけにもいきませんし、かといってアリスさんが公爵家の仕事についてこられるのかというと……」
これは別に、アリスちゃんを馬鹿にしているわけではなくて、基礎教養と魔法学園の知識だけのアリスちゃんには難しいというだけの話で、ようは向き不向きだ。
「庭師として雇うとか?」
「庭師くらいはロックハート家で雇っている庭師に頼めばいいので……」
さすがに、庭師くらいは実家のコネで雇ったって問題あるまい。知っている人なら安心できるし。
「そうね……。ああ、使用人としての経験が浅くてもいいのなら、最近、教育を終えたての子たちがいるから、そうね、あの子たちと経験がそれなりのを1人か2人なら、うちにも影響はないから、それでもいいなら貸すけれど」
なるほど、最近、新たに教育した子たちがいるというのなら、その子たちでいいかもしれないけれど、いくつくらいなのだろうか。
「それはありがたいですが、その教育が終わった方たちはおいくつくらいなのでしょうか」
さすがに、若すぎるとそれはそれでビジュアル的にどうかと思う。公爵が若い女で、その周りの使用人たちはもっと若いとかになると、子供のお遊びに見えてしまうだろう。意外と見た目というのは大事な要素であり、それだけであらぬうわさをたてられてしまうこともあるものだ。
「そうね……、あなたと同い年くらいのはずよ。まあ、若いけれど、そのくらいならなくはないでしょう?」
ああ、まあ、それくらいなら、おかしくはないでしょう。まあ、わたしが公爵な時点でおかしいのだからそこまで気にしてもあれなのだけれど。
「では、お借りしてもよろしいでしょうか」
「ええ、ただ、貸すとなると、貸す上での最低限の仕込みがあるから、屋敷とほぼ同じくらいのタイミングになってしまうでしょうけど」
「それで構いませんよ」
しかし、最低限の仕込みってなんだろうか……。まあ、知らなくていいこともあるでしょう。くわばらくわばら。
「しかし、ここまで公爵になるていで話してきたけれど、あなたの口から明確に聞いていなかったわね。本当に公爵位を受けてくれるかしら」
「本当に、ここまで話していまさらですね。ええ、陛下より賜りたいと思います。もっとも、わたくしの動きが、あなた方の望むものとまったく同じではないと思いますが」
そう言えば、ここまで明確に「じゃあ、受けます」とは言っていなかった。でも、まあ、受けたような感じでここまで話しているのだから、そう言ったも同然だと思っていた。
「まあ、自由に動くのはかまわないわよ。国に害がない限りは」
呆れた顔で、そんなふうに苦笑いするラミー夫人。
実際、どう動くかなんて一切考えていない。だって、公爵になるなんて思っていなかったし。でも、その位置だからこそ、やれることというのもあるでしょう。せっかくなるんだったら、そのくらいは楽しまないと損でしょう。
「なるべく、大事などにはしないように動きますが、何せミザール様に言われてしまっていますからね。わたくしの行動は、いずれ大きな変革につながる……かもしれないと」
その大きな変革で国に害が出ないかどうかは、ちょっとわたしには判断できないので、絶対に国に害を与えないと断言することはできない。なるべく与えないようにするというのがせいぜいだ。
「太陽神直々に世界を引っ掻き回すといわれているのだから、あなたも大変ね」
「あくまで、ミザール様の予測でしかありませんから、予測を超えた何かをした結果、そんなことは起きなかったとなる可能性もありますし、わたくしはわたくしの自由を求めて生きますよ」
互いにケタケタと笑いながら、そんなことを言いつつも、時間は過ぎていく。




