134話:ミズカネ国の王杖・その3
南にあるムスケル子爵領からミズカネ国の皇族が戻ってきたという一報を受けたのは、しばらく経ってのことだった。
出発から約2週間。まあ、その大半は移動時間だろうけれど、この短い時間で終わったのは案内に付けたカナスタさんと、持たせた書状のおかげだと思う。そうじゃなかったらどのくらいかかったかわからない。
そういうわけで、目標を達成したのに、わざわざ王城に顔を出したのは、そう言った意味での恩義を感じてなのか、それとも別の思惑があってか。
……あるいは、ムスケル子爵領には杖が存在しなかったという可能性もなくはないけど、それならここまで早くないだろう。
そういう経緯で、わたしは、ラミー夫人に呼び出され、再び、陛下の執務室に来ていた。そこにはシンシャさんもいる。もちろん、探していた杖を持って。
「こうして、この杖を手にすることができたのは、君のおかげだ」
シンシャさんは真剣な顔で頭を下げる。しかし、わたしとしては、知っていることを伝えただけだから、特にお礼を言われるようなことはしてない。
「いえ、お役に立てたのなら光栄です」
でも、まあ、場を考えて、そんな感じのことを言って、こちらも頭を下げた。これでミズカネ国との関係が良好になるのなら、この程度安いものだ。
「いや、本当に礼を言う。助かった。ありがとう。これで、あの子も救われるだろう」
……「あの子」というシンシャさんの言葉に、「まさか」という気持ちを抱く。その「あの子」とは彼女のことではないだろうか、と。
「シュシャという少女のことですか?」
だから、わたしはあえて、その名前を出してみた。違うのならそれでいい。だけれど、そうだった場合……。
「……もう驚きはしない。だが、よくもまあ、知っているものだ」
シュシャ・ニ・ミズカネ。「水銀女帝記~恋する乙女の帝位継承戦~」の主人公で、皇帝の妾の子。漢字で書くのなら「朱砂」。
硫化水銀からなる鉱石、「辰砂」。その別名の1つが「朱砂」。古くは「丹」。シンシャさんもシュシャも、どちらもこの鉱石から名前が取られているらしい。
「もしかすると、彼女に関してはわたくしのほうがよく知っているという可能性はありますが……。彼女は強い子ですよ」
シュシャは、「たちとぶ」でいうアリスちゃんのポジションであるけれど、決定的に異なるのは、アリスちゃんはあくまで平民として接する存在であるが、シュシャは皇族として、そして、政敵として接する存在となる。
その敵だらけの環境の中、女帝になる物語の主人公なのだから、とても強い「心」の持ち主というのがわたしの感想だ。
「だが、無理をさせるものでもあるまい。あの子に無理をして国を継がせるような、そんな悪習を断つためにここまで杖を探し来たのだから」
まあ、確かに、分家から継承者を出せないのなら、無理やり本家の血統を探し出すなどというのは因習と言えるものだろう。そもそも、どういう経緯で杖がクロム王国まで流れ着いたのかは知らないから何とも言えないけれど。
「それで彼女が救われるといいのですが……。なるべく、彼女のことは、知られないようにしたほうがいいでしょう。本家の血統、妾の子などというものは、いろいろな意味で厄介なことになりかねませんから」
政治利用されたり、逆に邪魔だからと始末されたり、そんなことをわたしのせいでされてしまったら、最悪だ。シンシャさん自身は、シュシャに思うところはあるみたいだけれど、周りも同じ思いとは限らない。
「そうだな。……もし、何かあったら、君を頼ることになるかもしれない」
「わたくしを、ですか?
ですが、わたくしができることなどたかが知れています」
そもそも、他国のことでわたしが手を貸せるようなことはほとんどない。別大陸ともなればなおさら。
「あくまで、『何かあったら』の話だ。その『何か』を起こさないようにするのがこちらの仕事なのだがな」
何もなければ頼るも何もないということだろう。ぜひともその「何か」を起こさないで欲しいものだ。
ここまで、わたしとシンシャさんとの会話をほぼ傍で聞いているだけの陛下とラミー夫人だけれど、おそらく、話に入ってこられないからだろう。いつまでも2人のまったくわからない話をし続けているわけにもいかないので、シュシャの話はこのあたりで適当に切り上げた。
「しかし、神の声を聞くことのできる杖というのは、どの程度聞くことができるものなのだ」
陛下の質問に、シンシャさんは苦笑する。わたしの知る限りにおいても、なんか認められるなら光る程度のもので、言葉として何か具体的にあるものではないと記憶している。
「いえ、これは武曲様……、えっと、こちらでは……」
「太陽神ミザール様ですね」
ミズカネ国では、神様たちの呼び方も、こちらの大陸とは異なる文化として継承されているようで、天使アルコルが名乗るときにいう「輔星」というのが該当する。
土の神ドゥベー様が「貪狼」、火の神メラク様が「巨門」、水の神メグレズ様が「文曲」、風の神アリオト様が「廉貞」、木の神フェクダ様が「禄存」、太陽神ミザール様が「武曲」、月の神ベネトナシュ様が「破軍」と呼ばれている。
アルコルは言ったように「輔星」、死神アルカイドは「剣先」。
「そのミザール様の『声』というか『意思』を確認するものと言われていて、このように、資格があるものには光を示す」
そう言って、杖を持つと、その杖の先端からは、明かりのついた室内でもわかる程度には発光していた。
「それが継承の証ということか」
実際、何をもって資格を確認しているのかなどということは、まったくわからないのだけれど、代々、それで継承してきたのだから、それ自体を否定するつもりはまったくない。ただ、また紛失したときに、何か基準がわかっていれば、それを根拠にやっていくこともできるのではないかと思うけれど。
それでどうにかするのはミズカネ国の人たちの仕事だろう。わたしが口を出すことでも、調べてみることでもないでしょう。
「これで、晴れて、皇帝として認められるというわけだ」
しかし、こうして思うと、「資格」のある継承というのはずいぶんと面倒なことも起こりそうな気がする。
シンシャさんは違うと思うけど、実際のところ「神に選ばれた」というのは免罪符になりやすい言葉だと思う。要するに「神に選ばれた」から、あるいは「神に認められた」から、何をやってもいいと。
まあ、そう思ってしまうような人には、さすがの神様も資格を与えないとは思うのだけれど、天使アルコルの言うようなシステム的なものが作用していると考えると、この杖による選別も機械的にやっているような可能性がありそうで、そう言う意味で不安になる部分はある。
「ただ光るというわけではなく、何らかの選別するための杖ということは、私たちが触っても光らないのでしょうか」
ラミー夫人が敬語で問いかける。しかし、確かにそれは気になる部分だ。王族や皇族にふさわしいかどうかを選別するのなら陛下が触れても光るのだろうか。あるいは、人に指示を出すようなカリスマ性で言うのならラミー夫人が触れても光るだろう。
「少なくとも、ムスケル子爵が触れても光らなかったのと、そのほか、同行していたものが触れても光る様子は一切なかった」
つまり、だれでも光るというわけではないことは間違いないようだ。そうは言っても、わたしたちも実際に触れてみたいと思う。
光るところを見てしまうと、なんというか試してみたい。
「どうぞ、持ってみるといい」
そう言って、シンシャさんはラミー夫人に杖を渡す。杖は、光らなかった。なんというか、光らないかもと思っていても、光らないと何か思うところがあるのだろう。ラミー夫人はひどく微妙な顔をしていた。
そして、そのまま杖は、陛下に渡される。陛下が持つと、シンシャさんのときとは異なる淡い青白い輝きが見えた。
……まさか、王族や皇族だけを判別することができるのだろうか。それとも、本当にミザール様とつながっている端末的な扱いで、ミザール様自身が選別しているのか。
でも、これまでにムスケル子爵領に同行していたもののほとんどは触れているようだし、そのすべてを神様が直接判断するというのも考えづらい。
何らかの基準があるのだろうか。まあ、少なくとも、ラミー夫人が光らないのだから、わたしが触れたところで光ることはないでしょう。
「なるほど、これは認められたということでいいのだろうかな」
陛下の小さなつぶやきは安堵と優越感のようなものが入り混じったようなものだったけれど、それは光らなかったラミー夫人に対する個人的な感情が混じっているがゆえだろう。
「さて、次は……」
陛下が、その杖をわたしに差し出す。
わたしはそれを受け取るまでの間に、もし王子が触れたらどうなるのだろうかというようなことを考えていた。やはり光るのだろうか。
そんなことを考えながら、わたしは、陛下の差し出すその杖へと手を伸ばした。
陛下から直接渡されるのだから拒否するわけにもいかない。
そして、わたしがその杖を受け取った瞬間、わたしの視界をまばゆい白い光が埋め尽くす。まるで、世界を飲み込むかのように……。




