133話:カメリアとアンドラダイト・その2
「しかし、お前の語る『もしも』が本当だったとして、どうして、『お前』はそのような『知識』をもって生まれるに至ったのだろうな」
この場合は、先ほど語った「もしも」のカメリアとは違い、なぜわたしは、その知識を持つに至ったのかということだろう。
……そんなものこっちが聞きたい。
天使ですら知らなかったのだから、あとはもう知っているとしたら神様くらいのものだろう。ドゥベー様だろうか、それとも主神格である太陽神ミザール様か月の神ベネトナシュ様か。
「さて、わたくしにはわかりかねます。神々に直接うかがうことができれば、もしかしたら判明するのかもしれませんが……」
わたしの物言いから、アルコルですら知らないというのは王子にも伝わっただろう。
「そういうものか。しかし、意味もなく、そのようなことが起こるとは思えない。だからこそ、何か意味があって、オレもお前も『いま』を過ごしているのかもしれんな」
むしろ、意味なく、このようなことになったのだったら、わたしはどうすればいいのだろうか。しかして、意味があったとして、それはそれで、「自由に生きたい」という思いを果たせないかもしれない。
「それこそ、神々にしかわからない話でしょう」
まあ、神々が知っているのかは知らないけれど。それでも、人が生きる意味など知っているとしたら神様くらいのものだ。
「それもそうだな……」
王子はそう言いながら、窓の外を見る。大きく広がる空。手が届かない遠く、高く広がるそれを見ていると、そんなことを考えるのも馬鹿らしくなるのは、いまも前世も同じか……。
「もし、オレがお前を処刑していた場合、その世界では、どのように進んでいたのだ。戦争でお前が死ぬということはあるまい」
「実質、敗戦の引き分けですね。まあ、ファルム王国も目的を達成できなかったという意味では負けのようなものなので、本当に引き分けともいえますが」
それでも、負けて不平等な条約で、属国化した以上、ディアマンデ王国の負けであろう。ファルム王国は勝っていないだけであるし。
「それでも、孫の代まで王家とロックハート家で確執が生まれるくらいには貴族や王族も機能していたのだろう?」
「有望な貴族の子供は、ほとんどがファルム王国に取り上げられて、ディアマンデ王国の国力の低下は著しくなります。王家もかろうじて続いているだけで、ほぼ主導権はファルム王国に握られていましたし」
ディアマンデ王国は本当に、傀儡国家というか、属国となっていたようなもので、王子も1人。いまと変わらない……、ウィリディスさんのお子さんが産まれれば2人になるけれど、「たちとぶ」の時空の1人と変わらないけれど、「たちとぶ2」で王子が1人なのは、管理するために、王族の子供の数をファルム王国が制限したせいだ。
「オレが私情でお前を処刑しただけで、そのような未来があったのだな……」
空を見上げ、つぶやく王子は、なぜか罪を自戒するかのように、口をつぐんだ。まあ、確かに、王子が処刑さえしなければ、属国化することはなく、わたしが死ぬだけであったのだけれど、しかし、それで「いま」の王子が何かを感じる必要もないとは思う。
何せ、「たちとぶ」のアンドラダイトといま目の前にいる王子は、同じ容姿、同じ名前、同じ存在ではあっても、違う人間なのだから。
「あくまで『もしも』のお話です。殿下がそうなさらなかったのは存じていますし、現に、こうして生きる『いま』があるではありませんか」
その言葉に、王子は首を横に振った。何に対する否定か、わたしにはわからなかったから、王子の言葉を待つ。
「オレ自身のことはどうでもいい。だが、問題はお前だ」
ますますどういう意味かがわからない。わたしに問題があると?
いまの話の流れで?
「『いま』を生きていることは問題ではないが、お前は、ここに至るまで、オレに処刑されるかもしれない、戦争で死ぬかもしれないと、ずっとそういう思いを抱きながら生きていたのだろう?」
その通りで、そして、だからこそ、それを回避するために全力で生きてきたのだ。
「だからこそ、オレは『オレ自身』に憤っている。その不安を察すことも、払しょくすることもできなかった、愚かなオレにな」
自嘲するような言葉。でも、王子が気にする必要がない。何せ、わたしがそれを表に出すことなく、ここまで過ごしてきたのだから。
「過ぎたことはどうすることもできない。だから、これから先のことでしか、オレはお前に応えることができない。改めてそう思っただけだ」
そんなとき、吹いた一陣の風が、王子の部屋に、花びらを届ける。この冬の時期に何の花だろうと思ったけれど、まあ、植物に詳しくないわたしにはまったくわからなかった。アリスちゃんだったらわかったのだろうか。
それでも赤に近いピンク色の花弁。
「そういえば、オレもお前も、魔法学園には中途半端にしか通えなかったな」
花で春を思い出したのか、学園について思うところがあるようだ。
王子は来年度……、もう数か月後か、そこからきちんと通えばいい。もし単位が足りずとも、お金でどうにかなるのだから。
「殿下の場合は、わたくしの事情に巻き込んでしまったようで、申し訳ないとは思っていますが」
わたしの処刑の件で、表に出られなくなったようなものなので、王子が学園に通えていないのはわたしのせいだ。
「そこは了承した時点で自己責任だ。それよりも、来年度からどうしたものだろうな……」
王子の場合は、わたしを悪者にしてしまって、ちゃっちゃと復学することもできるのだけれど、それらの調整を陛下含めて、ラミー夫人やらなにやらいろいろと揉めている……とまではいわないものの、議論にはなっているらしい。
ラミー夫人は、わたしの意見を尊重する派……というよりも、お抱えの知恵袋として、抱え込みたいのだろうけど、そう言う主張らしい。それに対して、陛下は、そうするといろいろと問題になりそうなのでどうにかもっと穏便に落ち着けられないかという主張。
確かに、わたしが悪事を働いていたとなると、その事実関係の調査など、いろいろと慌ただしいことにはなるだろう。だから、陛下としては面倒を避けるためにも無難な結果に落ち着かせたいのはわかる話だ。
でも、処刑をなかったことにはできない以上、無難というのも難しい。王子が悪者になるか、わたしが悪者になるか、そうでないのなら、どうやって切り抜けるか。
「陛下は、ファルム王国との同盟関係もウィリディスさんの件も、キリのいいタイミングで発表をしたいでしょうし、そうなると、そのタイミングで、殿下のことにも決着をつけると思いますから、来年度からは普通に通うことができると思いますよ」
おそらく、いい発表はすべてそこで済ませてしまって、一気に盛り上げるだろう。そうすれば、マイナスイメージに勝る大量のプラスイメージで、「なんやかんやあったけどよかった」ということにできるだろうし。
「どうだろうな。父上の考えはともかく、現状、ロックハート公爵が抗議を思案しているだろうし、オレのことは早めに公表されるかもしれない」
……確かに、お父様は、おそらく、王家にすべてを公表するように抗議することを考えているだろう。お兄様が止めているでしょうけど、それもどこまで持つかはわからない。そうなったときに、明確な説明を求められた陛下がどう判断するか。
「オレとしては、いっそのことお前を『戦争回避の立役者』として祭り上げてもいいと思うのだがな」
「わたくしとしてはそうされると困りますし、そもそも『最初から戦争などなかったことになる』のです。『回避の立役者』など存在しませんよ」
もともと、同盟のために動いていて、それに反発した勢力の暴動があっただけだ。戦争なんて最初からファルム王国は考えていなかった。
そう言うことにこれからはなっていく。というか、頑張ってそう言うことにしたのだ。
「じゃあ、『同盟の立役者』でもいいが?」
「それこそ、このような小娘にそんなことができるはずないということで、いいわけか箔付けのプロパガンダだとでも思われて王家の心象を悪くするだけでしょう」
戦争回避の立役者なら、何かきっかけをつくったとか、三属性の魔法でどうにか切り開いたとか、そう言った力業的な解釈も可能だけれど、同盟に関しては政治的なものなのだから、こんな小娘の関与する余地はないだろう。
まあ、実際には、かなり口出しをしていたのだし、戦争を回避して、同盟につなげたという意味では、本当に立役者になってしまっているけれど。
「わかっている。お前としては、死んだことにしたいのだろう。まあ、これまで、必死に頑張って、生きるために生きたのだから、羽根を伸ばしたいという気持ちもわかるといえばわかる」
いま、十分に羽根を伸ばしているのだけれど。解放されたいというのはある。だからこそ、死んだことにしたのだし。
「ただ、どうなるかはオレにもお前にも決定権はないというのが問題だろう」
確かに、どう公表するかに口出しをすることはできても、最終的に公表するのは陛下だし、陛下も全面的にわたしの味方というわけではない。あくまで、ディアマンデ王国のために協力関係にあるというだけで、わたしの口出し通りにするよりも国のためになることがあるのなら、そちらを優先することもあるだろう。
「……思い通りにならなかったからと言って、国ごと亡ぼすとかはやめておけよ?」
そんな癇癪を起した子供みたいなことはしない。まあ、積み木と国じゃあ規模がだいぶ違うでしょうけれど。
「ならなかったらならなかったで、わたしの思う通りに……、納得のできるようになるように全力で行動して、それを勝ち取るまでですよ」
そう、これまでそうしてきたのと同じように、今度は「自由に生きる」ために全力でどうにかするまでだ。祖母に学んだように。
我を押し通すだけでは、「自由に生きる」とは言わない。「納得できるように進む」ことこそが「自由に生きる」ことである。その信条はいまでも変わっていない。
だから、全力で「自由に生きる」ために突き進むのだ。




