116話:国境線上の攻防戦・その7
「本当に逃がしてしまってよかったのですか?」
騎士がわたしに問う。しかし、わたしは逃がすほうが正解だと判断した。これが間違った選択だったとしたらわたしの責任だろう。
……責任だったとして、実際の行動としての責任の取りようはあるけど、社会的な意味での責任はとれない気もするけど。「黄金の蛇」に責任を問うのは無理でしょうし、わたし自身も処刑された死人。
いや、まあ、そこは深く考えなくていいか。とりあえずは、追い払ったとはいえ、予断は許されない状況。しかし、このままここに居座り続けてもどうしようもない。
そうなると、わたしが取れる行動は、王都に戻り、この件を利用して、上同士の話し合いに持ち込むこと。ラミー夫人のほうも、陽動が落ち着いた頃合いを見て王都に戻るでしょうし、そこから国王陛下にアポを取って、ファルム王国に書状を出して……と考えると、それなりに時間がかかる。
考えをまとめながらも、わたしは水の魔法を使う。フェロモリーが燃やした森林。最初の水魔法で大部分は鎮火したものの、その後、わたしも彼も燃やしまくったので、どこかでくすぶっていて、再燃したら大変なので、念のために再度水を撒いておく。
「現状では、あの方法が最適解だと判断しました。わたくしは、この件を陛下に報告する必要がありますので、しばらくしたらこの地を離れることになります」
「もし、やつが言っていたことを破り、再度、訪れるようなら王都に伝令を飛ばします」
わたしの言いたいことがくみ取れるようになっている。やはり、腑抜けていただけか。ようやく騎士っぽくなってきた。
「さて、本来ならここの緑も戻すべきなのでしょうが、『ファルム王国からの被害の証拠』として残しておかなくてはなりませんね」
戻すだけなら「自然」である程度、草木を生やすことはできるけど、そうすると客観的な証拠というか、視覚的に一目瞭然な証拠が消えてしまう。
まあ、塀のあたりとか、応急処置的にふさいだ塀とかも証拠としてあるけれど、わかりやすいものとなると、これが一番だろう。
「この一帯、しばらくは巡回の強化をお願いします。説明などについては任せましたよ」
わたしはそう言うと、しばらく、ほかの騎士を含め、指示を出してから、応援の騎士たちと入れ替わるようにリップスティークに戻る。
しかし、まあ、汗だくで、ローブの中は割とぐっしょりしているので早く着替えたい。あれだけ火の魔法を使ったり、動いたりしたら仕方ないと言えば仕方ないのだけど……。そんな状態で、どうにか宿の部屋に戻り、汗を拭って着替える。
カナスタさんはちょうど出ていたタイミングだったらしく、部屋に姿はなかった。
彼女が帰ってきたのは、わたしが着替えて、一息ついたくらいのタイミングだった。ちょうどいいタイミングといえばちょうどいいのかもしれない。
「お戻りになられていたのですね。……騎士の方々の様子が慌ただしく、また、衝撃や火柱が上がっていたことが確認されていますが、もしかして」
「ええ、少しばかり戦闘がありました。まあ、戦闘というよりは、向こうからの一方的な攻撃をひたすら防ぐだけでしたけれど」
最後に「複合魔法」で返したけども。
「戻られたということは、ひとまず落ち着いたと考えてもよろしいのでしょうか」
緊張状態が続いていたのなら、わたしは戻っていなかっただろうし、そう考えてのことだろう。わたしは、それにうなずいた。
「ええ、ひとまずは大丈夫でしょう。これから先に、どうなるかはわかりませんが。ですからそのどうにかなる前に、王都に戻らなければなりません」
わたしの言葉にカナスタさんは微笑み答える。まあ、そろそろこうなることはわかっていたのだろう。
「馬車の準備はできています。急ぎであれば、すぐにでも出せる状態です」
確かに急いでいるけれど、いまからいけば、夜道を馬車で走る必要が出てくる。暗い夜道では、危険度も増すし、リスクが大きい。
「急いでいるとはいえ、なにがなんでもいますぐに、というわけではありません。明日の朝、ここを出立すれば十分でしょう」
むしろ、夜道で馬車がぬかるみにはまったり、岩にぶつかってしまったりしたほうが厄介なことになる。馬の体調のことだってあるし、夜に無理をさせるほどではない。焦っているときほど落ち着いて行動するべきだ。
「かしこまりました。明日の朝には出発できるように準備を整えておきます」
整えておくと言っても、常日頃から馬車の整備はしていたようだし、荷物も大して持ってきていないので、こちらで買ったものをまとめるとか、宿の手続きをするとか、そのくらいだろう。
「お任せしました。わたくしは、少し休ませていただきます」
さすがに、ここ最近は、仮眠程度で、ぐっすり眠るというのもなかった。馬車の揺れでは寝られないかもしれないし、急ぐならなおさら揺れるでしょうし、いまのうちに睡眠をとっておきたい。
王都についてからどの程度休めるのかもわからないし、着いたら急ピッチでいろいろとやらなきゃいけないことがある可能性もあるし……。
「ええ、ゆっくりお休みください」
そんなカナスタさんの声を聞きながら、わたしはベッドでまどろみに身をゆだねた。
起きたときにはすでに、次の日の朝だった。いままでの疲れが出たのだろうか、途中で起きるようなこともなく、ぐっすりと寝てしまった。起きてすぐに、外の様子などを確認して、あれから特に変わったことが起きていないようであることを確認する。
ひとまずは、リップスティークに伝わるほどの大きな出来事はないようで安心した。
顔を洗って、着替えて、目深に帽子をかぶって準備完了。
そんなタイミングで、カナスタさんが部屋に入ってきた。おそらく、馬車の準備などをしておいてくれたのだろう。
「ご準備は……、できていらっしゃるようですね」
若干、残念そうなニュアンスが入っていたのは気のせいだろうか。使用人としては着付けとかをしたいみたいな願望があるのだろうか。……いや、使用人も主人がしっかりしてくれることに越したことはないと思っているような気もするけど。まあ、いいか。
「ええ。わたくしが寝ている間に、何かありましたか?」
「お伝えしなくてはならないようなことはありません。事件などに関しても、これと言った話はありませんでした」
まあ、実際に起きていたら、寝ているわたしを叩き起こして、事態の説明をしているでしょうし、なかったというのは本当だろう。
「では、出発の前に、朝食を済ませてしまいましょう。馬車の中となると食べられるものが限られてしまいますので」
と、カナスタさんは、てきぱきと朝ごはんの用意をしてくれた。朝ごはんといっても、簡単なサンドイッチとサラダみたいな感じ。……サンドイッチなら馬車の中でも食べられるのでは?
そんなことを思いながらも食べたサンドイッチはおいしくて、その程度のことはどうでもいいかと思えるものだった。
馬車に揺られ、わたしは王都へと向かう。カナスタさんが御者をしてくれているというか、もともと御者として、この仕事に選ばれたのだから当然なんだけど、それでもそのおかげでわたしはただ座っているだけだ。
「カメリア様……、少しだけお話しをしてもよろしいでしょうか」
馬車の中で、ただ座って、時間を潰していたわたしに、カナスタさんがはなしかけてきた。特に断る理由もない。
「かまいませんよ」
そういって、わたしは、カナスタさんの声が聞き取りやすい位置に移動する。しかし、何の話だろうか。まあ、暇つぶし的な世間話でも何でもいいんだけど。
「実は、1つだけ、カメリア様に秘密にしていたことがあるのです」
……ここでカナスタさんが「実はファルム王国からの密偵だったのだ」とか言って、ナイフを突きつけてきたら恐ろしいな、なんて馬鹿げたことを考えつつも、言葉の続きを待った。
「この仕事は、奥様より言いつけられたのではなく、立候補しました」
初耳だった。てっきり、わたしは御者兼サポート役として適任だったからラミー夫人が選んだものだとばかり。
「もともとは、奥様を『北方』にお送りする、いつも通りのお仕事を与えられるはずだったのですが、奥様に頼み込んで、こちらの役割にしていただいたのです」
まあ、いつも重用しているらしいし、妙なところで疑われないことを考えると、カナスタさんがラミー夫人のほうにつくほうが自然なのかもしれない。
「なぜ、そうまでして、わたくしの御者に立候補なさったのですか?」
特にメリットのような物がないと思うんだけど。使用にとしての立場を上げたいとか、そういう向上心があるようにも見えないし、御者として重用されている時点で、十分にいい待遇だろうし。
「……カメリア様が幼い頃から、奥様を訪ねていらっしゃる様子を何度か見たことがありました」
確かに、わたしは、ラミー夫にいろいろと明かしてからは、それなりの回数、ジョーカー家を訪ねていた。使用人なら、その様子を見ていてもおかしくはないだろう。
「その頃から、ずっと、……カメリア様に触れてみたかったのです」
触れたいというのは、直接的な話ではなく、比ゆ的な表現だろう。そもそも、宿で一緒に過ごしていたときでもべたべたと触られたようなこともなかったし。
「わたくしに惹かれるものがあったということでしょうか」
触れたいという言葉を、そう解釈するとして、だから、わたしについてきたと考えると、なんというか結構な執着というか、強い思いだったのだろう。
「申し訳ありません。重要な仕事だというのはわかっていました。それなのに、このような私情で……」
「そうですね。ですが、結果的にはあなたのおかげで成し得たことも多くありました。ですから、結果論だけで言えば、問題はないでしょう」
あくまで結果論だけで言えば、だけど。別に、カナスタさんの行動を容認したわけではなく、それでも結果的にうまくいったのは間違いない事実だ。それだけは間違いない。
「しかし、わたくしに、そのような思いを抱かれるだけの要素があるとは……」
そんなことを思いながら、王都への道を馬車で向かうのだった。




