112話:国境線上の攻防戦・その3
わたし、カメリア・ロックハートがリップス子爵領の関所の街にして交易の街であるリップスティークで過ごして、数日が過ぎた。どうにか塀を越えようとしていた輩を追い払ったあと、あれからしばらく、相手に主だった動きもなく、静かな状況が続いている。
北方のほうで何かあったのか、それとも別の理由か。そのあたりの詳しい事情は分からないものの、いまだ予断は許されない状況だ。
かといって、常に緊張した状態で待機していても、いざというときに疲弊しては意味がない。
と、いうわけで、わたしはいま、リップスティークの街中を歩いていた。交易の街というのはバカにならないもので、商人が多く、しかも、ディアマンデ王国とファルム王国、あとは遠方のアルミニア王国からの商人もいて、かなりにぎわっている。そうなるとそこには情報が集まる。
商人に国境は関係ない。
いや、正確にはあるのだけれど、商品を売り買いするうえで、いかに安く買い付け、いかに高く売るのかという商人にとって大事なのは利益であって、それゆえに、他国にもコネクションを持つ商人は多い。
そうしたときに、例えば、戦争を控えているのなら武器、鉄、火薬、そうしたものの需要も高まるし、食材で言えば、どちらかというとすぐ腐るようなものではなく、長持ちするほうが高くなる。
逆に平和な時期ならば、日用品などの需要の高まりがある。
その需要の高まりを把握する商人たちは、国の情勢をなんとなくではあるけど察していることが多い。というよりも察していなければ商売人として大成しないというべきか。
だからこそ、彼らの話、情報には、大きな価値がある。そして、そこから、現状のファルム王国の動きに関して、少しでも目新しい情報があればいいのだけれど……。
しばらく、商人たちの会話を、買い物をするふりをしながら盗み聞ぎしていたけれど、わかった情報はそこまで多くない。まあ、直接聞き込みをすれば、また、新しい情報は出てくるでしょうけど、そうなってくるとこちらが怪しまれる可能性もある。
そう言ったリスクはできるだけ避けるべきだと判断して、そこまでにとどめた。
わかったのは、ファルム王国内で慌ただしい動きがあることと軍が遠征だか何だかで西側……つまり、わたしたちのディアマンデ王国に面する側に複数展開していることくらいか。
まあ、攻め込む準備ができたら、それが一斉に攻め込んでくるのだろうけど……。
欲しい情報はそこではなく、もうちょっと具体的な部分なのだけど、そんなピンポイントで情報が入手できるはずなどなく……。
さて、どうしたものかと考えていたら、カナスタさんを発見した。何やら、買い物をしていたみたいだけど、何かを気にしているようにも見える。
「どうかなさいましたか?」
わからないものは聞くのが一番とばかりに、カナスタさんに問いかける。彼女はわたしに気付いていなかったようで、一瞬だけびっくりしたように目を見開いたものの、すぐに平静を装って、わたしの質問に答えてくれた。
「いえ、あちらで会話をしている2人の男性ですが、普通に話しているように見えて、声が周囲に伝わらないようにうまく話しているのが気になりまして」
そこには確かに2人の男が話している。普通の会話なら、多少漏れ聞こえてくるはずなのに、そういったものが一切ない。別に声を潜めている様子とかは一切ないのに。
注目してみればおかしいとは感じるけど、普通だったら特に気にせずスルーしてしまうだろう。
「ああいう手法は、密偵や諜報役が使うものなので、そういった類かと」
スパイの類というと、ロープを仕掛けに来ていた男たちの仲間ということだろうか。どのくらいの規模で潜入しているのかはわからないけど、調べることに時間を割いていると、向こうの警戒がおろそかになって、その間に、何かあったらと思うと、さすがに1人では手が回らないか。
さて、どうしたものか。優先度を考えるなら、放っておいていいような気もするけど……。でも、情報を入手できる可能性もある。難しい状況だ。
「僭越ながら、彼らの居場所や情報でしたら、こちらで調査しても構いませんか?」
カナスタさんからの申し出。ありがたい話だけど、カナスタさんにそう言った技能があるのならという話で、「リスクを冒してでも情報を絶対入手しなくては」とまでは思っていない。
「可能なのですか?」
わたしの問いに、カナスタさんは頷いた。どうやら自身があるようだ。無茶や使命感から来ているのではないということは何となくわかる。
「奥様より教育を受ける際に、全員が一定の水準になるまで、基礎的な教養、諜報技能、使用人としての技能などは学んでおります」
つまり、カナスタさんは御者としての才覚が高いから御者として重宝されているけれど、その実、諜報なども一定の水準で可能ということだろう。その一定の水準というのが……、ラミー夫人の考える水準だと思うとかなり高いのではなかろうか。
ジョーカー家の使用人たちは、そう考えると全員が諜報員、密偵になれるだけの技能を有しているということになる。まあ、ラミー夫人の動かせる人員というのもその中にいるのだろうけど、そう考えても恐ろしい。
「それでは、任せてもよろしいでしょうか。ただし、危険だと判断したのなら情報を得ることよりも撤退を優先することを厳にお願いします」
カナスタさんの身の安全を最優先だ。こんなことで危険にさらす必要はない。まあ、ラミー夫人が教えているのなら、そのくらいはわかっているでしょうけど。
「奥様からも生きて帰ることを最優先にするようにと、常に教えられてまいりましたので、そのようにいたします」
生きて情報を持ち帰るのに勝る成功はない。情報を持ち帰らなければ何の意味もないのだから。
そうして、カナスタさんは、情報収集のために、奔走してくれることになったのである。正直、御者として十分に働いてもらっているのに、これ以上、仕事を押し付けるような形、それも危険を伴うものに巻き込んでしまったのは非常に申し訳なく思っている。
そうして、わたしはファルム王国の出方をうかがいながら、郊外の森林へ、カナスタさんは密偵らしきものたちの調査へとそれぞれ動く。
……正直、こちらにあまり動きはないので、こちらをカナスタさんに任せたほうがよかったのかもしれないけど、わたし自身、諜報に対する訓練を受けたわけでもないし、こちらで大きな動きがあったときにカナスタさんには対処ができないので、妥当な分担か。
そう思いながら、今日も今日とて様子をうかがうけれど、一向に動きはない。小さな動きや嫌がらせのようなものすらないので、余計に不気味だ。
撤退したのでは、などと思ってしまうくらいには静かな時間が続いているけど、もしや「北方」のほうが押し切られたのか……。いや、ラミー夫人がいて、それはないだろうし、そこまで本格的に攻め込む段階になっているのなら、もっと、国内の情勢に動きがないとおかしい。
ここにやってくるディアマンデ王国内の商人たちがそれを知っていないはずがない。
だからこそ、「北方」は予定通りに進行していると考えていいはず。ラミー夫人がそんなヘマをするはずもないでしょうし。
でも、そう考えるとこちらで動きがないのが不自然。
……と、まあ、そんな堂々巡りみたいな思考の混乱をしてしまっている。カナスタさんのほうでは、何か情報はつかめただろうか。無茶をしてなければいいけれど。
そんな感じで、お互いに会うことなく、しかして、カナスタさんは定期的に宿に戻ってきているようで、同じ部屋で暮らしているにもかかわらず、なぜかメモでやり取りしている奇妙な状況が続いている。
まあ、行動時間がかみ合っていないというか、わたしのほうがおそらく原因なのだろうけど……。
メモの状況から察するに、あの男たちは花街、いわゆる大人のお店方面に拠点を置いているようで、しかし、定住というか、主になる拠点があるわけではなく、そういった場所を転々としているらしい。
それゆえに、規模がつかみづらく、情報も入手しづらいそうだ。しかし、それなりの人数、……十数人程度はいると思われる。
それ以上の情報はいまのところつかめていないらしい。
わりとここまででも十分な情報だと思うけど、まあ、あと目的と動向くらいがわかればもっと望ましい。でも、そこまで高望みはしない。
それだけの規模の密偵たちがこちら側で何かしようとしているということがわかっただけでも十分価値がある。
その趣旨を記したメモを置いて、わたしは再び森林に向かう。しかし、相手の目的は何だろうか。こちら側から塀を壊して、向こうが攻めようとしてきたとか難癖をつけようというのか、それともどこかで陽動させて騎士の注意を惹きつける……?
ただ、わたしのいままでの立ち回りから、こちら失敗が人為的に防いでいるとは思わせていない……と思うから、そんな陽動をする意味もないと思うんだけど……。
うーん、まったくわからない。
こちらの騎士の動きも、相手の動きも、全部まったくわからないというめちゃくちゃな状況だけに、カナスタさんが打開の情報を持ってきてくれると助かるけど……、無茶はさせられないしなあ……。
この日も結局、相手の主だった動きはなかった。




