109話:国境線上の攻防戦・その1
ファルム王国と面した領地、リップス子爵領。中でもとりわけ国境に近い関所の街、リップスティーク。関所からつながる交易の街でもあり、その特徴は、関所から一直線に伸びた大通りと、そこに並ぶ商店の数々。活気のある、人の行きかう商店街……という言い方も何か違うような気がするけど、市場とかそういうほうが合っているか。
とにかく、そんなリップスティーク。
人が多いということは、つまり宿なども充実している。大通りから少し入れば大きな宿がいくつもあって、客の取り合いではあるものの、慣れた商人たちは自分のひいきの宿があるので、どこもかしこもそれなりににぎわっているようだ。
わたしはその中でも、それなりに高級な宿に泊まることになった。宿泊の名義はラミー夫人であり、その代理人というていである。台帳を記したのも、身分の確認をしたのも御者であり、わたしはそこに関与していない。
なぜ高級な宿かといえば、安全性の確保とプライバシーを尊重してくれる部分にあると言える。宿というのは信頼が重要な商売だ。
例えば客の安全性を確保できないとか、客のプライバシーを考えないとか、従業員が盗みを働いたとか、そんなことがあっては、だれも客が来なくなる。特にここのように周囲に宿が多く、そのうえ、客は耳のいい商人ばかりともなれば余計に。
まあ、それから2人で泊まることも考慮したのだろう。安い宿では2人泊まれても窮屈だろうし。
御者。カナスタと名乗った彼女は、どうやら、わたしが役割を果たすまで馬車とともにこちらに残るように言われているようだ。ジョーカー家ゆらいの人物なので、おそらく彼女の名前の「カナスタ」もトランプのゲームか用語なのだろう。
「カナスタさん、ここでの行動には制限などを設けないので、休暇だと思って、しばらくは満喫してください」
ここまでの道中、馬車での時間を通して、わたしとカナスタさんは、それなりに交流を深めた。
カナスタさんは、ほかの使用人たちと同様に、もともとは孤児であり、貴族の子供と同じ教育を受けた1人。中でもとりわけ馬の扱いと礼儀に長けていたため、ラミー夫人も送迎の際に重用したそうだ。
そのことからラミー夫人からの信頼も厚く、こうして、今回の仕事を与えられたらしい。ただ、そうは言っても、国境付近のやり取りに付き合わせるわけにもいかない。かといって、ずっと部屋で待機していろというのも無理がある。
そもそも、わたしの使用人ではなく、ジョーカー家の使用人なのだし、わたしに命令する権利もないんだけど。
まあ、そんなわけで、「自由行動」としか指示を出せない。けど、休暇だと思って、自由にしてくれていれば、ほんとうにそれでいいのだけれど。
「かしこまりました。お食事の用意などはどういたしましょうか」
食事か……。状況しだいで帰ってくるかどうかも微妙なところだし、そのあたりは気にしないでいいんだけど……。
「わたくしが食事時に帰っていなければ、先に召し上がっていてください。もしかすると、戻らないこともあるかもしれませんから、就寝もわたくしを待たなくてかまいませんよ」
そもそも一緒に食事をという習慣があるのかはわからないけど、わたしが食べるまで食べないとか、わたしが帰ってくるまで寝ずに待っているとか、そんなことをされると、こちらとしても気にしてしまうから、もう一切そのへんは気にしないで欲しい。
「……かしこまりました。では、こちらを」
そういってカナスタさんはそこそこの額が入った袋を渡してきた。そこそこといっても、贅沢しなければ、1週間ほど過ごせるくらいの額というところか。
「奥様よりお預かりしている、こちらで過ごす間の費用の一部です。ご自由にお使いください」
ラミー夫人の心遣いか。しかし、わたしとしても、いくらか持ち出していたので、これをもらったところで使いようもない。節約は大事だけれど、買うものなど食事くらいだし、手持ちで十分に足りる。
「わかりました。では」
わたしはその袋を受け取り、そして、そのままカナスタさんに返す。きょとんとした様子のカナスタさんに、わたしは微笑む。
「カナスタさんのご自由にお使いください」
なぜ、一度受け取ってから返したのかといえば、受け取りを拒否した場合は、ラミー夫人のお金だから。一度、わたしが受け取り、わたしのお金となり、それをカナスタさんにあげたというやり取りをはさむ必要があったから。
「いえ、ですが……」
受け取れないと断ろうとするカナスタさんだけど、まあ、受け取らなかったら受け取らなかったで、使われないままラミー夫人に返却されるだけだろう。
「使うも使わないもご自由にどうぞ。なにも全部使いきれというわけではありません。わたくしとしては不要なのでカナスタさんに譲渡したというだけですから」
まあ、わたしから渡したとはいえ、使いづらいという気持ちもわかる。分配方式のほうが良かっただろうか。必要な分は取ったから残りは好きに……っていう。いや、どうでもいいか。
「それでは、わたくしは、周辺を見回ってきますから」
受け取った袋をどうすればいいのかと考えるカナスタさんに、そのように告げて、わたしは小さなカバン1つ持って、部屋を出た。
カバンにはもちろん、ローブと仮面が入っている。「黄金の蛇」となるための一式だ。街中でそんな格好をしていては怪しまれるので、あくまでいまは、深めの帽子で顔を見えづらくしているような状態だ。
宿を出て、大通りには向かわず、狭い街路を進む。もちろん、発見されるリスクを抑えるためだ。
狭い路地は怪しい人たちがいることもあるが、この街においては、そういった輩はもっと中心から外れたところにいるという情報はもらっていた。いわゆる花街、花柳のような場所がそちらにあるそうで、そういった怪しいものたちも基本的にはそちらに寄っている。
それからおそらく、ファルム王国から、あまりよくないことをしようと企んでやってきている輩もそちらに身を潜めるものだろう。まあ、近寄らないで済むのなら近寄らないのが一番だ。
そう思いながら、リップスティークの街を出る。大通りからつながる街の出口に、狭い道から進み、そのまま出た。そして、国境のほうへ向かって、人目を避けながら回りこむように進む。
街外の様子は、馬車に乗りながら観察していたけれど、ぽつぽつと家が建っていたり、村のようなものをまれに見たり、その程度だった。街の周外部は開かれて農耕地になっているものの、そこから先は、あまり手が付けられていない。
そんな郊外まで来たので、わたしはローブを羽織り、仮面をつけた。ここから先にいるような人物は、巡回の騎士か、それともよからぬことを企んでいるものくらいだろう。どちらにせよ、顔を見られるわけにはいかない。
少し進めば開拓も進んでいないような森。
国境には、リップスティークに近い位置からしばらくは塀のようなものが並んでいる。手をかけて乗り越えられないようにするためだろうか、それともコストの関係か、塀は特に模様や凹凸も少なく、簡素なものだ。
その塀の近くで何やらコソコソと怪しい動きをする影が2つ。
「おい、巡回が来る前にとっとと準備をするぞ」
「わかってるって、せかすなよ。予定まではまだ時間がある」
どうやら2人組の男のようだ。いや、周囲に仲間がいる可能性もあるから2人組と断定したのは早計か。
わたしは息を殺して、男たちの様子を見る。足元にはロープのようなものが転がっているけど、あんなものを塀の上に通していたら、バレバレだ。それに、男たちは塀のところで何かを探しているようにも見える。
「あったか?」
「ああ、これだこれ」
男たちは目当てのものを見つけることができたようだ。だけど、わたしにはまったく見えない。……しばらく、目を凝らしてみると、細い糸が塀の上を通って、こちら側に足れ提げられていたようだ。
なるほど、その先をロープと結んで、ロープは先っぽをどこかにくくりつけて茂みに隠しておく。使うときは糸を引き揚げて、手繰り寄せればロープを通すことができるというわけか。
まあ、あの糸なら、よく見ないと見落としてしまうだろうから巡回の騎士も仕方ないと言える部分はある。
男たちはロープを糸にくくりつけると、ロープを隠し、あたりを見回しながらコソコソと帰っていった。
わたしは、男たちの仲間が周囲にいないのを確認して、ロープを茂みから見えやすいところに移し、結んでいた糸を切って、糸を伝うように火の魔法を放つ。
糸は燃えたものの、それが通っていた場所には焦げ跡がついているので、何をしようとしていたのかくらいは巡回の騎士たちも気が付くだろう。
ほかにも似たような仕掛けがされていないか、国境線沿いにしばらく調べてみるとしよう。
結果的に言えば、あの仕掛けはほかに2か所ほどされていた。あの2人組がやったのか、それとも別に同じ命令を受けたものたちがいたのかはわからない。こちら側に来ているのがあの2人だけと断定することはできないし、ひとまずは様子見するしかないでしょう。
でも、あれはあくまで準備段階。こちらにやってくるための手段。次の動きはおそらく……。それなら、こちらも相応の準備をしておかないといけない。
そう思いながら、わたしは、ひとまずリップスティークへと戻ることにした。
動きが本格化するのはもう少し先だろうか。カナスタさんにはそれまで付き合わせることになると考えると申し訳ない。
と思ったけど、部屋に戻ると可愛い櫛をもっているカナスタさんがいたので休暇らしくショッピングでもしたのだろう。満喫しているのなら、まあいいか。




