108話:戦争回避に向けて・その5
わたし、カメリア・ロックハートは、現在、ジョーカー公爵家のラミー夫人の私室で生活をしていた。基本的には、この室内で過ごし、外に出る場合は、だれにも見つからないように隠密に。
最初は、使用人の服でも着ればごまかせるかと思ったけれど、よく考えれば、彼ら彼女らの雇われた経緯を考えるに、ほとんどが顔見知りであり、知らない顔なんていないでしょうから、そんなことをしていたら不審者として逆に目立つ。
というわけで結局、人のいない時間を見計らうという方法になるわけだ。
特にアリュエット君なんかに見つかると厄介なので、ラミー夫人もそのあたりがわかっているのか、ユーカー様がこちらにいらっしゃる間は、アリュエット君をそちらの担当にするということにして、私室にあまり近づかないようにしてくれている。
こういう隠れながらの生活は、なんというか、少しわくわくするものもあるけれど、そう長く続けるものではないと思う。というか、長く続くと面倒くささと飽きが上回る。
「カメリアさん、『北方』から、わずかだけど国境付近で不審な人物がチラホラ見かけられるようになってきたわ」
なるほど、ということはいよいよ、ファルム王国も動き出したということだろうか。しかし、これに関しては、本来、もっとこちらの初動は遅れるものだったはずなのだ。もともと、北方での陽動があると知っていたからこそ、そこに注意するように手配していたので、その分、こちらの動き出しは早くなっている。
「そうなると、そろそろこちらも動き出したほうが良いでしょう。わたくしも西側に向かおうと思います」
ラミー夫人たちがわざと北方の陽動に乗ってくれれば、ファルム王国も西側での動きを始めるはず。そうなったときに、それを潰していくのがわたしの役目。
「それにしても西側とは聞いていたけれど、どの辺りを想定しているのかしら。あのあたりには領地がいくつかあるでしょう。それこそ、ハンド男爵領も含めて」
確かにあのあたりには領地が複数あって、どの領地の付近から攻めてくるのかを考えづらい。しかし、旧ツァボライト王国側にあるブレイン男爵領やアイズ男爵領はおそらくない。というのも、あそこには大きな湖があって、湖を渡るか、湖を避けて通る必要があり、動きづらいことこの上ない。
わたしの知る「たちとぶ2」における事情も合わせると、ファルム王国が仕掛けてくるのはハンド男爵領の北側にあるリップス子爵領のはずだ。
あそこは、関所と大きな交易地もあり、しかもそのうえ、周辺は平原である。一応、国境を無視して渡ってくる人がいないように、巡回はあるが、仕掛けてくるのならあそこが一番向いている。
「リップス子爵領ですね。あそこが一番可能性の高い場所です」
それに、西側の領地群の中でもリップス子爵領は北寄りで、北方の陽動との連絡が取りやすいことから、余計に可能性は高いだろう。
「関所を通ってこちらに入っていれば、内側から工作するのは容易でしょうしね。なるほど、では、カメリアさんはそちらに向かうとして、私たちは『北方』に向かうことにするわ」
そう、あの場所ならば、下手に、関所を通らずに国境を超えるなんてリスクを冒さずに、普通に関所を通って、こちら側から工作して侵入経路や何らかの仕掛けをすることが容易だ。それも、通る人が少なく、荷物の検査が厳しいハンド男爵領の小さな関所とは違い、交易地として交易品を持ってくる人が多く、チェックが大雑把になりがちなリップス子爵領の利点と言えるだろう。
「それで、足はあるのかしら。何なら、馬車を貸すか、それとも、リップス子爵領経由で『北方』に行って、途中でおろしてもいいけれど」
確かに、王都からリップス子爵領まで徒歩で移動するのは難しい。わたしだと気付かれずにいかなくてはならないというも大きい。わたしはすでに死んだことになっているのに、生きているとばれたらまずいから。
でも、そうなると厄介なのは、王都とリップス子爵領を往復する商人なんかは、そういった情報に目ざといので、わたしの顔なんかも当然知っている。
何より、この髪の色が目立って仕方ないだろう。かといって、染髪するというのも難しい。
「商人の娘あたりに変装できればいいのですけれどね。変装というかごまかす程度のものですが……」
しかし、服を変えたところで、根本的にごまかせない部分が出てしまう。髪や手。これは髪色ではなくて、髪質だ。商人の娘とは言え、余程ではなければ、貴族の娘ほどきれいに手入れされた髪をしていない。手や肌もそうだ。手入れのきれいさと細かな傷などで、大体ばれてしまうものだ。
「まあ、ここは馬車を貸すわ。御者も信頼のできる人にしておくから、それで向かいなさい」
「お手間を取らせて申し訳ありません」
ここはお言葉に甘えて、大人しく馬車を借りるとしよう。変にこだわって時間をロスするほうが馬鹿らしい。肝心なのは向こうに行ってからなのだから、向こうに行く方法を気にしている場合ではない。
「それはいいけれど、国境付近で動くのならあなたも気を付けないといけないわ」
「それは心得ています。もっとも、相手が相手なので、少し派手なショーになってしまうかもしれませんが」
わたしの言葉に、ラミー夫人は眉をひそめる。おそらく「相手が相手」という部分が気になったのだと思う。
「だれが出てくると?
クロガネ・スチールとか?」
確かに彼が出てくる可能性はあるだろうけど、「たちとぶ2」で知った記録によれば、ここで出てくるのは別の人物。
「いえ、二属性魔法使いと公表されている三属性魔法使いという彼です。彼の指揮で、国境あたりで騒動を起こし、それを口実に攻め入ろうとしているのです」
「じゃあ、撃退したらそれこそ余計に攻め入る口実になるのではないかしら」
確かに、そうなる可能性はあるけれど、それはあくまで、撃退の方法によるだろう。こちらとしては基本的に向こうの策を潰すということに専念するべきだし、しびれを切らして向こうから大きく仕掛けてきたら、それこそ、こちらから向こうに攻める口実であって、向こうが攻めてくる口実ではない。
そのあたり、見回っている巡回の騎士なんかに上手く目撃させて証言させないといけないのは厄介なところだけど。
「まあ、うまく立ち回ります」
そもそも、彼らのやろうとしていることは、例えば、1人に国境を越えさせて、こちらの巡回に「そいつは犯罪者だ!」とか「捕らえてくれ!」って言って、捕らえさせたあとに、「犯罪者を保護された」とか「保護したということはそちらの国の人間だったのか」とか難癖付けて攻め入ろうという魂胆だ。
まあ、それが失敗すれば、ほかの方法でいくらでもどうにか難癖をつけようとしてくる。
とにかく、どんな小さなことでも攻め入る口実をつくるのが向こうの仕事。おそらく、それ以上の大事にするのはなるべく避けるように言われているのだろう。いまは、密偵を捕らえられて、こちらに警戒されている状況でもあるから、逆に攻め入る隙になるような状況をつくらないようにと、より厳命されているかもしれない。
「まあ、とにかく、先手先手で向こうの難癖を潰すしかないでしょうね。しびれを切らして直接的な手段に持ち込んで来たら叩き潰すので……、あー、あとは陛下に任せましょう。上手く巡回の騎士でも目撃者に仕立て上げます」
そこまで行ったのなら、こちらからの攻め入る口実を理由に、陛下にファルム王国との対談に持ち込んでもらえれば、こちらの持っている限りの情報を尽くして、徹底的に戦争を回避させてみせる。
向こうから攻め入る口実をつくられたら使えない、というか、向こうはこちらからの対談の要求を飲まずにそのまま攻めてくるでしょうから、ここから先は、いかに手段を潰しきって、撤退させるか直接的行動に出させるかをするという戦いになるでしょう。
「でも、こちらの騎士の目撃情報を偽装だと断定して、『攻めてこようとしている』と言って、対談などせずに攻めてきたらどうするの?」
確かに、その可能性もあるのか……。まあ、そうなってしまったらわたしの判断ミスということになるし。
「そうなったらわたくしが責任を取って、ファルム王国の足止めをしますよ。こちらの準備が整うまでの数日程度ですが」
「……それで向こうが壊滅しそうな気もするけれど、まあ、戦争になったら余計な火種を抱えるだけだものね。最初から壊滅させろとは言えないわ。あなたの命もかかっているでしょうし」
そう、おそらく、そうなったら、わたしは足止めの末に死ぬのだろう。戦争で死ぬという部分に則って。しかし、まあ、そうはならないというか、そうはできないというか……。
「まあ、そうならないようにせいぜい頑張りますよ」
「……まあ、こちらでも手を打っておくわ。和平の対談に持ち込めるようにと、戦争になったときのためにね」
しかし、失敗したときはどうしようか。国境付近全部を「樹林」で人の立ち入れない樹海にして、哀れ、ファルム王国の人はそこに立ち入り出られなくなってしまった、なんて……。
まあ、具体的な作戦のいくつかは決まっているけど、わざとラミー夫人に伏せた部分はある。向こうの具体的な行動のいくつかも、ね。
知ってしまうと「北方」の陽動のほうに対するラミー夫人の対応が変わってしまいかねないから伏せたのは仕方がないのだ。
さてはて、どこまでうまくいくかは、相手の愚かさとわたしの努力にかかっている。




