010話:カメリア・ロックハート08歳・その4
わたしは敷地内で軽くトレーニングをしていた。これは体形維持のためというのもあるけど、それだけじゃなく、好感度の上昇に関係があるから。
しかし、ウィリディスさんに彼女自身のことについて話してから数日が経つ。それなのに、一向に理由を問いただしに来るような人も監視も来ていない。もしかして、ウィリディスさんは陛下に話さなかったのだろうか。確か、月に2回ほどは陛下と会話しているとビジュアルファンブックに書いてあったはずなので、ペースを考えれば陛下に謁見していてもおかしくないはず。まあ、そのあたりは場合によるだろうし、タイミングがかみ合っていないだけかもしれない。
もしくは、ウィリディスさんが話さないという選択をしたか。それならそれでわたしとしては全然かまわないんだけど。
そんなことを考えながら走り込みをしていると、屋敷の表の方から騒がしい声が聞こえてきた。どうやらわたしのお客さんのようだ。
「申し訳ありません、唐突に。娘が王都に来たついでにどうしてもカメリア様にお会いしたいというもので」
お父様にそうやって頭を下げる様子は、あまり貴族らしくない雰囲気だった。わたしも設定上はその人物を知っていても会うのは初めてだし、立ち絵のような設定画もなかったから本当に始めてみる。
「いえ、それは構わないのですが、えっと……」
お父様も彼がどこの誰なのかすら分からないのだろう。無理もない。貴族なんてごまんといるし、その中でも公爵と男爵なんて天と地ほど分かれている存在だ。
「初めまして、ブレイン男爵。遠路はるばるお疲れ様です。このような場所で立ち話もなんですのでどうぞこちらに」
わたしはそう言って挨拶を交わした。ブレイン男爵。実のところ、わたしはその名前を知らない。でも、娘の名前は知っている。機嫌悪そうに髪を弄っている彼女は、パンジー・ブレイン。この国で4人しかいない二属性の魔法使いの1人。
「ああ、いやいや、申し訳ない」
ブレイン男爵とパンジーちゃんは応接間に通した。まあ、対応としては無難な対応だろう。2人が応接間に入ったところでお父様がわたしに小声で聞いてきた。
「知っているのか?」
まあ、普通は知らない。王都から出ないわたしが辺境の男爵なんて普通は知るはずがない。でも、この辺りの言い訳はきちんと考えている。
「ブレイン男爵です。南西の辺境の……」
南西、旧ツァボライト王国との国境である湖畔に面した辺境からさらに南にいったところにある海に面した秘境、ブレイン男爵領。漁業で生計を立てている領地だ。
「ああ、あの辺境の……、しかし、なんだって当家に……」
媚びを売るにしても他の家々があるのに、わざわざ足掛かりもなく公爵家に来る理由はない。もっと下の爵位の貴族から順に仲良くなっていって、上へのコネクションを作っていくものだ。
「あまり触れ回ってはいませんが、ご息女、パンジー様は二属性の魔法使いだそうで」
その言葉でお父様は理解できるだろう。どういう理由でわたしに会いに来たのかということを。
「なるほど、それでか。しかしよく知っていたな」
確かに、お父様でも知らないようなことを知っているのは不自然だ。だけど、わたしにはとっておきの理由がある。
「登城する機会も増えましたから。城ほど噂の回るのが早い場所はありません」
城には様々な人が絶えずやってきていて、その分、情報が回るのも早い。あまり知られていないブレイン男爵の息女、パンジーちゃんのことも城では誰かしらが知っているはず。情報源としてお父様を納得させるのにこれほどのものはない。
それにお父様はロックハート領のことに目を向けなくてはならなくて、さすがに辺境の情報を常に収集するわけにもいかない。特に、隣国と接しているロックハート領は周辺との関係がとても大事になるから、ブレイン男爵家の事情なんて正直知らなくても当然ね。
「しかし、あのブレイン男爵、特に狙っていたというわけでもないようだが、わざわざ来たからには何かあるのか……」
「どちらかというとブレイン男爵夫人の方でしょう」
この場にはいない人のことをとやかく言う趣味はないけど、小心者の男爵がわざわざ公爵家に乗り込んでくる気概なんてあるはずもない。
「ブレイン男爵夫人……、どのような人物なのだ?」
「あくまで噂で伝え聞いたものですから絶対ではありませんが、フィート男爵の三女で、ブレイン男爵に嫁いだようで野心もあり、また長女、次女ともに子爵に嫁いだことで、ご息女をどうしてもそれ以上の爵位の家に嫁がせたがっているみたいです」
これもビジュアルファンブックのパンジーちゃんの説明にあった部分。負けず嫌いで傲慢な母親に仕込まれたパンジーちゃんはどうあってもカメリアの上を目指そうとして、幼少期のカメリアに突っかかったそう。それが8歳のこと。つまり、今。
「ということは、つまり、狙いはカメリアと殿下の間に割って入るか、できなければ第二夫人ということか」
そういう狙いだろうけど、それは敵わない。わたしと王子がどうこう以前に、我の強いオレ様王子と我の強いワガママ娘という絶対に対立する組み合わせだから王子がパンジーちゃんになびくことはないだろう。
それに、そもそもパンジーちゃんというキャラクターは「たちとぶ」においては、そういう立ち位置で登場しているわけではないし。
「まあ、難しいでしょう。二属性とはいえ男爵家ですから」
この国における貴族の爵位は公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵、騎士爵となっていて、確かに二属性というのは貴重で、王族に入れたいという思いもあるかもしれないけど、男爵であれば、今後の交流を考えても侯爵家などから第二夫人を迎えた方がいいはず。
「分かっていても望みを捨てきれないのか、それとも分かっていないのか。まあ、どちらにせよ、ご息女の相手はカメリアがすることになるだろうが、大丈夫か?」
「ええ、いずれ会うことになるだろうとは思っていましたので」
そう、いずれ会うだろうとは思っていた。なんたって彼女はカメリアの取り巻きなのだから。
悪役令嬢という存在には取り巻きがつきもの。まあ、要するに令嬢を持ち上げ、はやし立てる存在がいることが多い。周りに知人のいない主人公との対比でもあるのだろうか。
このカメリア・ロックハートにもそうした取り巻きともいえる友人がいた。それがパンジー・ブレイン。ハートが心臓、ブレインが脳という対比で姓がつけられたとされるキャラクター。
本編では主人公との絡みがほとんどなかったので名前ありのモブキャラクター程度の扱い。立ち絵も無いので、その顔が分かるのはイベントスチルに描かれていたシーンでのみだけど、間違いないはず。
「そうか、それではいつまでも待たせるわけにはいかない。ブレイン男爵と話をするとしよう」
「お待たせしました、ブレイン男爵」
「いえ、こちらこそ急に押し掛けたのに申し訳ない」
頭を下げるお父様に合わせてわたしも頭を下げたけど、パンジーちゃんは微塵もその気はないようだ。まあ、頭を下げて回る父親に合わせて頭を下げたいと思うような子供はそうそういないか。
「それで今日はどのようなご用件でしょうか」
お父様の問いかけに、ブレイン男爵は何とも言えないような顔をしていた。まあ、妻に言われた手前どうにかこうにかやってきたけど、この先どうすればいいのか迷っているというところか。
「最初に言ったように、本当に、カメリア様に会いたいというので一目合わせていただきたかっただけなのです」
それは間違いなく事実なのだろう。知己を作っておきたかったという部分もあるし、男爵個人としては、コネクションはともかくとして、娘が学園に入るにあたり知り合いを作っておきたいというのもあるだろうし。
「パンジー様は確か、風と水の二属性を使えるのでしたね」
話の切り出しに困っているであろう大人たちに見かねて、わたしはパンジーちゃんに話しかけた。
「ええ、そうよ」
「こ、こらパンジー!」
パンジーちゃんの態度はどう考えても公爵令嬢に対して適したものとは言えなかったけど、まあ、この程度を気にして声を荒げるようなことはしない。というよりも、その場では何事もなかったかのように流して、裏で情報を回し除け者にするようなことも往々にして貴族社会ではよくあること。まあ、わたしはしないけど。
「構いませんわ。それにしても、環境……、いえ、風土でしょうか。やはりそうしたものは人の無意識に働きかけて、信仰につながるのですね」
訳知り顔でうなずくわたしに、お父様を含め、皆、きょとんとした顔をした。まあ、話につながりが見えてこないから当然でしょう。
「ブレイン男爵領は南の海に面した土地。漁業が盛んで、農業はあまり盛んではない土地、でしたよね?」
「え、ああ、そうです。よくご存じですね。王都からも遠いのに」
まあ、言ったこともないし、実際にどうなっているのかは全く知らないけど、「たちとぶ」のパンジーちゃんの発言やビジュアルファンブックに載っていたことを総合するとそのくらいは分かる。
「あくまで噂で伝え聞いた程度。実際に赴いて見聞を広めたいとは思っているのですが、まだ難しいのですが……。まあ、そのような漁業が盛んということは海に漁へ出る方も多いのでしょう?」
「ええ、正直、それがないととてもじゃないですが当領土は成り立ちませんから。アルミニアが大海への航路を管理していますから遠漁はできませんが……」
わたしたちの国の南にある海は大陸同士に挟まれた内海で、外洋……大海にでるにはどうしてもアルミニア王国の海域を抜けなくてはならない。だから、この国では近海で漁業をするしかないのだ。
「海に出て漁をするということは、自然と祈りは海……、水の神であらせられるメグレズ様や漁船の航行に関わる風の神であらせられるアリオト様に捧げられるもの。そうした地域の土壌があるからこそ、パンジー様は水と風という二属性に目覚められたのかもしれませんね」
もちろん、こんなものはこじつけにも近いもので、それに近い地域で火の魔法を使える人も当然いる。根拠のある話じゃない。
「当然、風土にあったからといってその属性の魔法が使えるとは限りません。ですが、もしかするとパンジー様はそれだけ自身の領に愛着があるのかもしれませんね」
7歳になるまでに信仰を高めていくうえで、自然と信仰する神を選んでいくのかもしれない。そうした中で、漁に行く人たちの安全を祈願して、パンジーちゃんは二属性に目覚めた、なんてね。




