Day.5-2 逃走劇、惨劇、あるいは反撃の始まり
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城内は、静まり返っている。
少なくとも、こちらの棟は。
北と南、サンロメリア城は二つの棟に分かれているようだ。
こちらは南棟。
この時間、兵士達の寝床になるのは北棟だ。
地下牢からマリグナント、通称マリさんと共に出、廊下を進む。
どこがどこなのか、さっぱりわからない複雑な構造をしている。
俺のような新参者には目的地にたどり着くことはおろか、現在地を把握することすら困難だ。
アルコール・コーリングを展開、イリヤさんの様子を探る。
あちらには動きがあるようだ。
しかも、結構激しい。
先ほど二体の兵士を斬り捨てたばかりの女剣士は、中庭から恐らく北棟へ入り、そちらで剣を振るっていた。
あのイカ達が、次から次へと湧いて出てイリヤさんへ襲い掛かっている。
数が、多い。
イリヤさんは冷静に触手を回避し首を刎ねていく。
敵の攻撃方法は単純だった。触手を伸ばしそれで体を刺し貫こうとする、その動きだけだ。殴ったり蹴ったり、武器を使ったりはしてこない。
人に寄生する魔物、なのか。
だとするなら、もうあちらの棟ではかなりの兵士が罹患していることになる。
パンデミック、というやつか。
こっちの棟にほとんど動きが無いのは、単純に人があまりいないからか。
今のうちに、できれば城の外へマリさんを連れ出しておきたい。
だが出口はどっちだ?
少し、悪いニュースが俺にはある。
酒が手元に無いのだ。
荷物はイリヤさんが持っていて、俺の酒も全部そっちに入れてもらっていた。
まさか引き離されるとは。
マリさんに話を聞くくらいならそこまで深酒することもあるまいと考えていた。
けど現状、俺達の置かれている状況はかなりマズい。
俺達の命の危険があるというのはもちろんの事、更にはあの未知の魔物を放置すればすぐに城から外部へ、王都ロメリア一帯へ拡がるだろうという懸念もある。
アルコール・コーリングの精度が落ちてきているのを感じる。
イリヤさんを基点として周囲へもっと広くアンテナを張りたいのだが、うまくいかない。
あの聴覚が研ぎ澄まされる感覚がやってこない。
度数低めの飲みやすいやつをいったから、アルコールが抜けるのも早かったか。
むしろ、どこかで酒を補給することを考えるべきだな。
食堂とか調理場の場所がわかれば、酒くらい置いてあるか。もしくは兵士の部屋なんかもいいかもしれない。
ううむ……北棟は危険度が高すぎるか。こっちの南棟で探すか。
ん、いや、待てよ。
誰か人に知らせる手もあるか。
てかホマスだ。
ジュークにかければいいか。
あまりにアルコール・コーリングに頼りすぎて俺はホマスの通話機能のことを忘却していた。
せっかくの便利アイテム、使わない手はないな。
さっそく腕に装着したホマスをタップしてジュークの番号を呼び出し、かける。
……繋がらない。寝ているのか。
ならアルコール・コーリングだ。
ジュークに聴覚を。
豪華なベッドにふかふかの布団で、ぐっすりお休み中だった。
静かで規則正しい寝息が聴こえてくる。
そりゃそうか、深夜だもんな。
ジュークが事態を把握すれば即座に動いてくれるはずなのだが。
イリヤさんは手一杯だろうし、他に番号が登録されてて俺の正体を知ってて俺の事情もある程度わかっている人間なんて……一人しかいないな。
「ねぇ」
傍らのマリさんが俺の腕をそっと掴んだ。
「え?」
ちょっと気が逸れていた。アルコール・コーリングを周囲に展開するのが、遅れた。
廊下の角を折れた先からズルズルという足を引きずる音。
そして触手がうねる音もする。
俺のスキルは音の反響からそいつらが既に寄生されている事をはっきりと告げる。
「どこかに、隠れましょう」
小声で囁き、周囲を見回す。
殺風景な石造りの廊下だ。
部屋は、一つだけ。
その扉に近寄りノブを握る。
回しても、ビクともしない。
鍵がかかっていた。
「チッ」
「ねぇ、どうする?」
俺はマリさんを見、その心境を想う。
この人は、多分怪我をすることを厭わないだろう。敵が何人いようがどんな危険な武器を持っていようが意にも介さないに違いない。
ただ自分を攻撃させて、それが終わった後で回復してその場を去る、という事が出来る。
だが、俺はそんなの見ちゃいられない。この人をダシにして俺だけ逃げようとも思わない。
一緒に、脱出する。
敵の倒し方を調べなければ。そしてその為の準備をしなくては。
ここの部屋に隠れられないなら、どこか違う場所を。
廊下の先、足音はすぐそこに。
ここで通話をすれば音で勘付かれる。
今はまだ、奴らとやり合うのは避けたいところだ。
その時、俺は廊下の不自然な窪みに気付く。
窪み……確かジュークは、
通路には所々窪みが設けられていて、ここにこっそりと魔導師が座り術を使って風景を歪めている
というような事を言っていた。あの窪みはサンロメリア城の防衛システムの要、魔導師による幻術の為の、空間だ。
普段なら見えていないはず、そこに魔導師がいれば。
さすがにこの深夜、幻術担当の魔導師も就寝中か。
あの窪みに隠れてやり過ごせないか。
俺は無言でマリさんの手を引いてそこを目指す。
せいぜいが一畳くらいの空間だが、じっと息を潜めていれば見つからないかもしれない。
マリさんを奥へ、俺がその前をカバーするように隠れる。二人してこんな狭い窪みに体を押し込めば必然、皮膚の接触は免れない。
さすがに対面で抱き合うのは気が引けたので、俺が背を向けて廊下側を見、後ろからマリさんが抱き付く様な形になった。非常にラッキーな状況だと普段なら鼻の下を伸ばそうものだが、そうも言ってられない。
いよいよ角を折れ、二人の寄生された兵士がこっちへ歩いてくる。
アルコール・コーリング。
この距離なら具体的にどのような姿をしているのかが理解できる。
兜は、着けていない。
全身を覆うアーマーでもない。人体の各所ごとに分けられたプレートを革で繋ぎ合わせたような装備だ。
顔が剥き出しになっていることで、こいつらの容姿がくっきり見えた。
思わず俺は嘔吐きそうになった。あまりにも気色悪い様だ。顔面の皮膚が変形して、まるでハリセンボンみたいに触手が飛び出しまくっている。その一つ一つがぞわぞわと揺れていて、しかも粘液を垂らしている。
これはもう……お嫁に行けないね。
とまぁふざけている場合じゃないな。俺も下手すりゃあれになるわけだ。ぞっとする。
さぁて、うまく通り過ぎてくれよ。
鼓動が速くなる。それは生理現象だ、抑えられない。それだけ緊張している。
ゆったりとした、兵士の足取り。
頼むぞ頼むぞ……。
俺の背中にマリさんの体温を感じる。この人は、俺ほど緊張はしていないみたいだ。さすがの年の功である。
もう、あと数歩で俺達の前を横切るだろう。
呼吸を、止める。
こっちを見るなよ、こっちを。
シュルシュル、という空気の漏れるような音。
触手が絡み合ってこすれて、粘液が床へ滴る音。
遂に、二人の兵士は窪みの位置へ到達。
カッ
そこで足を、止めた。
……嘘だろ!?
「フシュル……」
口元からだらりと舌が垂れた。それは一気に臍のあたりまで伸びてから、縮んだ。
兵士達は、顔を、俺の方へ向けた。
……ッ!?
勘付かれた!!
ゆらりと上半身を揺らしながら、少しずつ、少しずつ、近づいてくる。
逃げ場など、どこにもない。
やはり隠れるにはここは適切ではなかったのか!
俺は後退した。後退しようにも凹ではそれ以上下がれない。自然に壁に向かって背中を押しつける形になる。
「ちょ、ちょっと待とう、な!
鏡、鏡を見た方がいいよ、キミたち!
顔に変なのついてるから!
ちょちょちょ、来ないで!
あ!後ろだ!!
……引っ掛からないか。
いやマジ、おいしくないから!
ケミカルな食品で汚染されてるからぁ!!」
何をどう叫んでも全く反応なし!
これは、いよいよ年貢の納め時か!?
と、思いきや
背後で壁が、ズルリと音を立てた。
そして、動いたのである。
「!?」
俺とマリさんは単なる壁としてカモフラージュされた回転扉を偶然にも押し開けて、隠された空間へと転がり込んだのだった。




