8ララとダイヤの星
本日二回目の投稿です。
想いが通じ合った翌朝、ジルの腕の中で目覚めた。カーテンから透ける朝一番の陽光が、ジルの肌や茜色の髪を照らしていて、とても綺麗でため息が出た。長いまつげをふっと息を吹きかけると、ぴくりとまぶたが動く。
おはようジル。
声には出さずに眠っているジルのダイヤに唇を寄せた。そしてふっと天啓が降りた。ぱっと閃いたのだ。あの淡いブルーを表現するために必要な色を。
私はベッドを抜け出して、作業場へまっすぐ向かった。私が作った青のインクはぼんやりしていて、優しい色ではあった。でも深みが足りない。引き締まっていない。そこにほんの数滴、反対色をいれた。
「……できたっ!」
彩度は下がったが、まったく色の印象が違う。この青だ。深くて悲しく、そして恋が秘められた色。情熱の赤とも違う激しさをひっそりと持つ色。
「頭にある色だけ……作ればいいってわけじゃないんだ……」
絵が描かれた意図があるように、色に載せられた想いがあるように。私はそれらをすくいあげなければならなかった。単純で美しい世界だと思っていたのに、色彩はもっと複雑で。今まで気づくことができなかった。
ジルを好きだと自覚して、世界の色が鮮やかに変わった。きっと、私の心持ひとつで、見える色は変わっていくのかもしれない。もしかすると灰色の世界を歩くことになるかもしれない。それでも完成したインクを目の前にする喜びは、私も芸術家のはしくれだと気づかせる。
「ララ、できたんだね」
振り返るとジルがやわらかな笑みを浮かべて立っていた。そしてやっぱり彼は天才なんだと改めて思った。
「ジルの絵に描かれている情熱が、ようやくわかったんだよ」
だから彼の絵は人々の心を揺り動かして魅了するんだ。ただ美しいだけの世界じゃない。隠された激しさと悩ましさと羨望を、希望が包み込んでいる。そう言うとジルはちょっと目を泳がせた。
照れているのだろうか。ほんのり耳が赤い。
「そりゃ、そうだよ……だってララがモデルなんだから」
「わたしが……モデル……?」
豊満なボディを持つ、魅惑的な女性たちが? この甘い笑みを浮かべる女神もかくやの美女たちが?
言いたいことがわかったのだろう。ジルは困ったように眉をさげる。
「本当にね、ララに参ってるんだよ」
もちろん女優を描くときは女優をモデルにする。でもそれ以外は、どうしてもララになるんだ。そう言ったジルだけど、私にこんなに胸はない。はっきり言えば「それは違う」と首を横にふられた。
「姿形は違うけど、ララはとても綺麗だよ」
「……ジル」
「照れたの?」
そりゃ照れるに決まっている。師匠にインクを見せなきゃと誤魔化すと、ジルはそうだねと頷いた。
「でも師匠のところに行く前に、おはようのキスをしてよ、ララ」
「……まったく甘えただなぁ、ジルは」
「ララが甘やかすからね」
本当はもうキスはしたんだけど。二回目でもいいじゃないか。小さいころからは隙あらば、キスをしていたのだから。
そっとダイヤのほくろにキスをした。私の大のお気にいりで、かわいいお星さま。今度はジルが額にキスをくれるのだろう。そう思って大人しく待っていたら、両頬をぺったり挟まれた。するすると頬をなでる指の腹に首を傾げる。
「おはよう、ぼくのララ」
淡い唇が落とされたのは額じゃなくて、同じく私の唇だった。ちゅっと軽い音がして微熱が離れる。
「これからはここにして」
「……しょうがないなぁ」
ジルのおねだりに、私からもキスをおくった。
「でも、そのお星さまにもキスをさせてよ」
「ララがキスをしてくれるなら喜んで」
それから私たちは師匠とミレーヌさん、タンタン、バネットに、恋人同士になったことを報告した。すると四人はあらかじめわかっていたように驚くことなく祝福してくれた。またジルから結婚を申し込まれたことも話した。
「でもよ、お前ら、結婚してもしなくても変わらないだろ」
「そうよね、いつでもいちゃついていたじゃない」
「そろそろアパルトマンを借りたらどうだいって思っていたところだよ」
「おめでとうジル。ララ。あなた達が幸せだと嬉しいわ」
四人の言葉にジルとお互い笑いあう。やがて和やかな空気の中、師匠が「マノンを呼ばなきゃねぇ」とほほえんだ。
「マノン?」
「ララの母親だよ。そういえば君たちは見たことがないかもねぇ。マノンはお忍びで行動するのが得意だから」
タンタンがマノンという名前に反応するが、師匠はマイペースに受け流した。ミレーヌさんが聖母のような顔で、綺麗な人なのよと母を説明する。
「みんなも知っているでしょう。美貌の女優マノン・ララ。妊娠をきっかけに引退したんだけど、今はお化粧品を扱っているわね。貴族のサロンで引っ張りだこなのよ」
「は? マノン・ララ?」
「そう、マノン・ララ。母親だね」
目をむいたタンタンに肯定してやる。バネットもジルもぽかんと口を開けている。
「じゃあ、ララのお母さまにご挨拶しなきゃね。えっと、マノン・ララ……ララ?」
ジルが柳眉を寄せてそれから「まさか」という顔で私を見つめる。
「ララ……もしかして……ララって……なまえ……」
「ああ、本名はマリエル・ララだよ」
「は!?」
言わなかった? 小首を傾げればジルが怖い顔になって、それから呻きながらよろめいた。支えてやると小さな声で「ありがとう」と聞こえる。かわいい。
「ララはファミリーネームでもあり愛称でもあるんだ。小さいころよくラララで歌っていたからな」
「……っ! そんなこと、知らなかった!」
「ごめん」
「ぼく、ララはララだって、マリエルって呼んでいい?」
「もちろん」
「なんでそんなに、淡泊なのかな……ぼくはひっくり返りそうなのに」
だって。
言う機会がなかったとか、たぶん、初めに自己紹介したとか。そんな理由はたくさんある。だけど、ララという名前は愛称でもあって、その響きは私のお気に入りだった。ううん、そんなことじゃないな。
ぎゅっと眉根を寄せるジルにそっと寄り添う。ジルが考えているよりずっと単純な理由なんだ。
「ジルにララって呼ばれるのが好きだったから」
「……何回でも呼ぶよ……ララが、マリエルが何度も呼んでくれたんだから」
そう言ってジルは笑ってみせたけど、そのあとの落ち込みようはすさまじかった。拗ねたジルのご機嫌取りに何度もダイヤのほくろにキスをする。かわいいお星さまをくっつけた、綺麗で、ちゃんと男の子で、そして私を一番に思ってくれているジルが、大好きだよ。そんな思いをたっぷり込めて。
完結しました。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!!




