第13話 一体何を企んでやがる! ~カインの胸倉を掴んだ男・ジェイス視点~
「人聞き悪いなぁ。俺はただ、本当にあのパンが美味しかったから、これはパングルメを豪語している君にも伝えないとと思っただけだよ? まぁ、その話を聞いたお前が気になってあの店に行くだろうとは思ったし、そこでサラと面識を持つだろうなとも思ってたけどね」
なんせサラはあの店の看板娘だから。
彼はそう言い「食べなよ」と、自分の向かい側のソファー席を勧めてくる。
こいつの言うとおりにするのは癪だが、こうしてずっとパンの入った紙袋を抱えてきて、さっきからずっと焼けたパンのいい匂いが鼻孔をくすぐり続けている。
食べたくはあるので仕方がなく、ドカッと座り紙袋を開けた。
中には六つのパンが入っている。
さぁ、どれから食べるか。
いや、やっぱりまずは『新しいパン』かな。
「それにしても、よくサラが昨日の子だって分かったね。昨日は認識疎外で隠してたのに」
「あいつが自分でペロッと白状してたぞ」
「あぁ、なる程。サラなら普通にやっちゃいそう」
カインがクスクスと可笑しそうに笑った。
見れば心底楽しそうに、妹の身元バレを笑っている。
「本当にお前ら実の兄妹かよ」
「ん?」
「正反対過ぎんだろ、性格が」
この男は、人を信用しない。
俺たちに何かを任せる時には決まって最後に「信じている」という言葉で送り出すが、あれは絶対に嘘だ。
この男は、俺たちを信じている訳じゃない。
俺たちを評価している自分の目を信じているのである。
だからあれは、どちらかというと脅しに近い言葉なのだろう。
――俺を失望させないでね。
そんな意味が籠っている。
対してあの女はどうだろう。
自分しか信用していないからいつでも抜け目がないこの男と違い、あの女は初手から自分の正体をバラすような下手を踏んだ。
俺がパングルメだと知った瞬間に、ミジンコ程しかなかった警戒心も、完全にポイ捨てしやがった。
たとえそれに『生きる世界の違い』が影響しているのだとしても、俺たちの世界を垣間見た翌日に、正にその場にいた俺と鉢合わせて、あの反応。
それだけじゃあ説明がつかない。
「稀有な存在だろ? あの子は人を色眼鏡で見るっていう事を知らない。それはとても美しい物で、でもあまりの純白さ故に心の汚れた人間にとっては眩しい存在で、自分と同じ場所まで思わず堕としてやりたくなる」
「お前」
「俺はやらないよ? だってそんなのつまらないじゃないか。サラは、今のサラだからいいんだよ。だから、いつまでもあのままでいてほしいんだ。でもサラは『世界』を知らなければならない」
「お前が前に言っていた『一族の掟』っていうやつか」
言いながら、『新しいパン』とやらにパクつく。
瞬間、ふわりと爽やかな香りが鼻を抜けた。
程よい甘さと酸味とが、俺の味覚を刺激してくる。
何だ、これ。
パン生地自体もふんわりしっとりで美味しいが、この甘さと酸味は……梅?
夢中になって咀嚼する。
甘すぎず、酸っぱすぎず、食が進む。
気付けばもう手にパンはない。
「美味しかったみたいだね」
ほら、俺嘘ついてなかったでしょ?
目の前の男にそう言われ、俺はハッと我に返った。
たしかに俺好みでもあり、好みに関わらず美味かった。
が、それは後で噛み締めよう。
今は横に置いておく。
「ん? あぁ、そうだよ『一族の掟』がらみ」
返答を待つ俺に、思い出したようにカインが言う。
一族の掟。
俺が知っているのはこの言葉だけで、それが一体何なのか、こいつにとってその掟が何を意味しているのか、何も知らない。
クシーなら知っていそうなものだが、俺自身別に他人の事情なんざ知りたくもない。
そもそも裏社会にいるような奴らは、みんな揃って脛に傷を抱えて生きている。
どれだけ仲良くなったとしてもそれぞれの事情を話す義理はないし、話した事で不都合が起きる事だってある。
俺にだって、脛に傷がある。
それを探られたくないから、他人の秘密も別に詮索しな――。
「実は俺たち、『裏王族』なんだ」
「は?」
「あれ? 知らない? 裏王族。昔から実しやかに囁かれている、『実はこの国を裏から牛耳っている、王座に座っている今の王族より権力の強い一族がいる』っていう話。あれ、本当に存在してさ。それが俺たち一族っていう訳」
「ちょっ」
「より分かりやすく言えば、大昔に世界を救った後にこの国を建国した英雄の末裔なんだけど、今の統治者に見つかったら、どう考えても根絶やしにされるから、普段はこうして隠れてる。ただ最近代替わりがあってね――」
「ちょっと待て!」
慌てて立ち上がりながら言った。
「なんか今ものすごく秘匿性の高い話してるだろ!」
「え? そうだけど」
「そんな話、いきなり俺に聞かせんな! クシー、てめぇも止めろ!」
「問題ない。防音・目隠しの魔法を掛けた。声はおろか、外からじゃあ唇さえ読めない」
「お前は何で、そっちの方向に補佐能力を発揮するんだよ!」
「カイン様のしたい事が滞りなく成せるように補佐するのが、私のやるべき事だもの。カイン様が今ここで貴方にこの話をしたいんだから、私にできるのは他との謝絶」
俺が繰り出したツッコミも、クシーはすまし顔で簡単に往なしてきた。
カインが「ありがとう、クシー」と言い、クシーは少し嬉しそうな声色で「当然の事をしたまでです」と答える。
そんな主従の関係に、俺は腹の中の空気をすべて吐き出す勢いで、深い深ーいため息を吐いた。
「っていうか、何でこんな話、俺にしたんだよ」
座り直しながら改めて聞く。
知られたら殺される。
それはつまり、カインにとってこの話が大きな生命線の一つだという事だ。
そんな弱みとも言えるものをわざわざ曝け出して、何を企んでいるのか。
睨み付けるようにして彼を観察する。
すると、カインはニコッと、いかにも愛想のよさそうな笑みを浮かべた。
「最近、代替わりの儀式……っていうと少し大仰すぎるけど、そんな感じの事が始まったんだ」
「それを手伝えっていうのかよ」
「厳密には俺の手伝いじゃない。俺は『“裏”女王』にはならないしね」
「ちょっと待て、裏《《女王》》って」
まさか。
そう思ったのと、彼が「うん」と頷いたのは正に同時だった。
「俺たちの一族、ひいてはこの国を真に背負う次代は、サラなんだ。だからお前にそれとなく、サラの護衛をやってもらおうと思って」
美味しいパン屋さんの看板娘だもん。
堂々と通い詰められると思えば、お前にとってもいい事じゃない?
カインはまるで「ちょっと隣の商店に買いものに行ってきてよ」とお願いするような気軽さで、俺にそんな事を言ってきた。
「俺が?! あの女の護衛?!」
「うん」
「俺は誰かを守るとか、そんな性分じゃねえよ! お前だってよく知ってんだろ!」
「うん、でもお願い」
「ふざけんな! 第一俺がこの話を誰かに喋ったら」
「喋らないでしょ、ジェイスは。俺はお前を《《信じてる》》」
「ぐっ……!」
ほら、やっぱりいつものこれだ。
俺がコイツからの期待に応えざるを得ない事を分かった上で、そうなるように育てて仕向けた上でのコレなんだから、極悪の性悪だ。
元々カインが俺に『新しいパン』の話をしようと思った時から、俺に拒否権はなかったのだ。
そして、すべてはこの男の手のひらの上。
コロコロと転がされて、遊ばれて――。
「サラってば、昨日のあいつらが他国の貧民街出身だっていう話を聞いて、王都を始めとする国内すべての貧民街に『普通』の生活をする機会をあげられないかって。国中の裏社会に繋がりがある俺になら、そういう根回しができるんじゃないかって言ってきてさぁ。ついこの前まで“裏”女王になるのにかなり消極的だったっていうのに、たった一度のきっかけでそんな事を考えて、実際にやろうと最も実現可能な人選を頼るとか。我ながらいい自覚と気づきのいい機会を与える事ができたと思わない?」
俺も、こんなにすぐにサラが前向きになるとは思ってもみなかったよ。
これだからサラは面白い。
聞いてもないのにそんな事を言ってくるカインは、ものすごく上機嫌である。
そんな男を半ば無視して、俺はガサガサとパン入りの紙袋の中を漁った。
パンを頬張れば美味しくて、面倒事を押し付けられて沈んだ心が消し飛んだ。
どうせ考えたところで、どうにもならない事なのだ。
どうにもならない事ならば、諦めた方が早いのである。
たしかにパンは美味しいし、いい香りがするあの店も嫌いではなかった。
すこぶる性には合わないが、やれと言われたらもうやる他ない。
それ以上は考えない事にした。
考える事を半ば放棄して、やけくそな気持ちを美味さで無理やりに上書いた。
そんな俺を、カインは頬杖をついて見ている。
見て、微笑を浮かべて、それからクシーに「お茶入れてあげて、喉に詰まらせそう」と、小さな善意を見せてきたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
本作はカクヨムにて同タイトルで連載中の作品を、順次移行掲載しております。
第三章以降のなろうでの投稿・更新は、諸般の事情により9月中旬頃を予定しています。
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