第10話 普通、舐めんな!
声色だけでそうと分かるのに、無力な状態でその声の主に見下ろされている男は何を思うのか。
私だって、怖い。
兄様なのに。
知っている人なのに、まるで知らない人みたい。
そう思わずにはいられなくて。
「馬鹿は見せしめにするのが、最大限の活用法だと思うんだ。そうだなぁ、まず手始めに、拷問をする。あちらの国の内情を知る限りすべて吐かせたら、魔法薬で治療してあげるよ。実は秘密裏に、ものすごぉーくよく効く治癒薬の開発に成功してるんだ。ただそれには副作用があってね、爛れるように痛い。痛みは傷が治っても尚続く上に、蓄積された余剰効果が切れるまで何度も何度も再生する。今のところ、最高記録は……どのくらいだっけ? クシー」
「千二十四回です、しかしその記録は今も尚伸び続けています」
「だって。つまり、君はどんな痛みを与えられても、当分の間は死なない体になるっていう訳だ。おめでとう」
王族でさえまだ手の届いていない、不死領域への到達だよ。
そんなふうに笑う兄様が立ち上がると、絶望に青ざめる男たちの顔がある。
「半不死状態になったお前たちの事は、他国も招く裏社会の会合での見世物にするのもちょうどいいし、加虐を楽しむ趣味を持つ富裕層に売るのもいいかもしれない。そうすれば、富裕層は金でちょっとやそっとじゃ《《壊れない》》遊び相手を買う事ができるし、望まずそういう対象にされてしまう不幸な人も減るよね」
「そんなの、人間のする事じゃない」
奥歯を噛み締め恐怖に耐えて、噛みつくように男が言う。
すると兄様が「え?」とまた嗤った。
「あれ? この国で人を攫い他に売るなんていう非人道的な事をしておいて、そんな事を言っちゃうんだぁ? 俺はてっきり、自分がそうして他人の幸せを奪うんだから、自分もそうなる覚悟があるものだと思ってたんだけど」
「あっ、あいつらは俺たちとは違う! 当たり前のように普通の生活を与えられて、何の努力もせずに毎日ヘラヘラと笑って生きてるじゃないか! 俺たちが寒い場所で泥水を啜っている間に、あいつらは暖かい家で毎日眠ってる! 俺たちにないものを持っていて、その事に感謝の一つもしていない! 俺たちを助けようともしなかった!」
まるで堰を切ったかのように、男が声高に主張し始めた。
まだ言葉は続いている。
が、そんな事はどうでもいい。
――当たり前のように与えられて?
――何の努力もせず?
何も分かっていない目の前の男に、今の今まで知らない顔で話す兄様の事もこの男の事もこの状況の事も、何もかもが怖くて泣きそうになっていた自分が、消え失せる。
代わりに私の心を満たしたのは、言いようのない怒りだった。
この男は、『だから攫っていいんだ』と言いたいの?
他の誰かをどん底に突き落とし、そのお金でいい物を食べて、綺麗な服を着て、嗤っていいんだって。
だとしたら、そんなの。
胸に抱くクマのぬいぐるみを、抱きしめる手にギュッと力が入った。
気が付けば、一歩足を踏み出していた。
着ている甲冑が、ガシャンという派手な音を立てる。
その音に、兄様が振り返った。
多分他の人の視線も集めている。
しかしそんなのも、どうでもよくて。
男の前で、足を止めた。
そして見下ろす。
「な、何だよ」
男の声が震えているのは、フリフリスカートの上から甲冑なんて着ているからか。
だとしても、私には全く関係ない。
「貴方は努力をしたんですか」
「……は?」
「貴方は『普通の人たちは当たり前のように普通の生活を与えられて、何の努力もせずに毎日ヘラヘラと笑って生きてる』って言ったけど、そんな事ない。誰だって、毎日ちゃんと頑張ってるよ。眠たくてもいつも早くに起きて、ご飯を自分で作って食べて、仕込みをして掃除をして店を開けて、中には変ないちゃもんを付けてくるお客さんもいるけど、それでも笑顔で応対するの。腰が痛くても頭が痛くても、毎日休まずに頑張ってるの」
私自身もそうだけど、それ以上にパン屋のノス爺とエラ婆がどれだけ長く続けている事か。
経営だって簡単ではなくて、いつだって美味しい物をたくさん食べてほしい気持ちと店の採算との間で、金額に気を使って売っている。
丁寧に一つ一つパンを焼いて、一番美味しい状態でお客さんの口に入るように努力して。
私はそういう二人の姿を、ずっとこの目で見てきたのだ。
他の人たちだって皆、何かしら頑張っているだろう。
だから。
「貴方たちは、そういう努力をした事があるの? そういう努力を続けてきた事は? 地道に働いて頑張って手に入れたお金で平穏な暮らしをして、一体何が悪いっていうの?」
そういう暮らしを、この男に貶されたような気がしていた。
汚されたような、踏みにじられたように感じて、何だか無性に腹が立った。
「欲しいなら、貴方たちもそういう生活をすればよかったじゃない。地道な努力よりも悪い事をして人を傷つけてお金を稼ぐ方を選んだくせに、『だから攫ってもいいし奪ってもいい』?」
口が回る。
言いたい事が、たくさんある。
苛立ちが頭の中から溢れて、口から出て段々何を言っているのか分からなくなってきたけれど、そうあっても尚言いたい事は、一つ。
「あんたたちに奪われていい日常なんて、一つもない! 普通、舐めんな! きちんと真っ当に努力してから物を言え!!」
大声で言い切って、肩でハァハァと息をする。
思えば途中から、息継ぎを忘れていたような気がする。
疲れた。
でも言い切った。
言い切ったところでスッキリした訳ではないけれど、それでも私のやるべき事はやり終わったような気持ちになった。
思い切り叫んだ時にギュッと瞑っていた目をゆっくりと開放する。
そこにはポカンとしたような、毒気を抜かれたような放心した顔があって、私は若干「あれ?」と思った。
言いたい事を言って、それなりに満足はした。
でもこの後の事はまったく考えていない。
喧嘩を売るような事を言って、もしこの後報復でもされたら。
私なんてひ弱な小娘だ。
この男たちがその気になれば、連れ去るなんて簡単だろう。
連れ去られたら、どうなるか。
今までこいつらがそうしてきたように、私も誰かに売られて、ひどい目に――。
「きゃーっ!!」
悲鳴を上げた。
そしてシュバッとカイン兄様の背中に隠れた。
室内に、些かの沈黙が流れる。
隠れている兄様の背中が、何やら小刻みに揺れている。
ゆっくりと兄様を見上げれば、口元に手を当てプルプルと震えていた。
も、もしかして、考えなしの私に呆れを通り越して、ついに怒りを……?!
え、やだ、怖い。
だって、さっきまでの兄様、ものすごぉーく怖かったもの。
あんな兄様に怒られたら、きっと私の涙もちょちょ切れるどころか、ちょっとちびっちゃうかもしれない。
あれ、なんかちょっと想像したら、既に涙が滲んできた。
目の前がゆらりゆらりと揺れる。




