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35.かつて見た夢、今の夢

「シルフィ、やめなさいっ!」

「離して、離してよっ!」


 ユートラント市の廃ビルの一室に諍いの声が響く。

 翡翠色の髪を振り乱す童女────過去の私はクロハさんに羽交い絞めにされている。

 幼い私の手には果物ナイフが握られていて、その矛先は己の首筋。自殺をすんでのところで止められていた。


 これは夢だ。何度も何度も繰り返し見たことがある明晰夢。


 此処にはいない亡霊の自分は、第三者視点でその光景を眺め続ける。


「死にたいのっ! お願い、死なせてよぉ!」

「早まらないでください。大丈夫です、貴女はもう大丈夫ですから」


 故郷の村を飛び出してから一月ほどのことだったか。クロハさんとカークに拾われた私は一命をとりとめ、栄養失調からも回復していた。意識を取り戻してから────否、村で虐めを受けていた時から抱いていた希死念慮が爆発したのが、この日だった。

 刃物を自分に突き立てようとしているところをクロハさんに見つかった。


「うーっす、ただいま……どうした?」


 現れたのはカーク。手に買い物袋を提げているところを見ると、買出しの帰りだったようだ。当時の【星の大鴉】は組織として十全な設備など持ち合わせていなかったから、この廃ビルの一室が私たちのアジトだった。

 カークは私たちの様子を怪訝な目で見つめ、そして状況を理解したのか、手に提げていた袋を放り出して私のもとまで詰め寄る。


「何やってんだお前!」


 カークは私の手からナイフを叩き落とすと、次いでその頬をぶっ叩いた。

 バチン、という肉をはじくような音が狭い部屋に響き渡り、見ていたこちらにまで幻痛が走る。

 カークはクロハさんの手を退けさせると、私の胸ぐらを掴み上げた。


「オイ、お前、今、死のうとしてなかったか?」

「そうだよ、それの何が悪いの!? 私の命なんだからどうしたって勝手でしょ────」


 頬を真っ赤に腫らした私はヒステリックにカークへと食って掛かり、再度その頬を叩かれていた。


「いったい! 何すんの!」

「ああ、痛いだろう。よかったな、生きていることを実感できて」


 カークは掴んでいた手を離し、今度は私の頭をガシガシと撫で始めた。

 暫く私を宥め続け、ようやく話ができる頃を見計らってカークは口を開いた。


「いいか、シルフィ。お前はまだ幼い。世界を知らないガキだ。それでもお前はこの世界が『生きるに値しない残酷な世界』だって理解してるんだろ? したらば、その世界に従う理由なんざ何処にもねえよ。お前の好きなように生きればいい」

「私の好きなように……」

「お前を虚仮にする奴は無視すればいい。嫌なことがあったら美味いもの食って、ぐっすり眠って忘れるのが一番だ。お前はまだ『上手な生き方』ってやつを知らねえだけだよ」


 カカッと笑ったカークは、わしゃわしゃと私の髪をかき回す。


「まずは『生きる理由』を探せ。そんで、その理由のために生きて、生きて、生き続けて、ようやっと満足したときに初めて死ね」


 酷い言葉だと、その景色を眺める私は思う。

 しかし、彼女の言葉が今でも私の根底にある。

 辛くて辛くてどうしようもない時、生きる理由を思い出す。


 私を救ってくれたカークに恩返しをしたい。

 クロハさんと一緒にサクラの花を見に行きたい。

 私に尽くしてくれるアーニャを庇護したい。


 大きなものから小さなものまで、私が生きる理由は増えた。私の人生に彩りが生まれた。


 そして、最近はもう一つ、私が生きていたいと思えるような目標が出来た────。


 ◆


 シルフィが目を覚ますと、真っ先に視界に飛び込んできたのはアーニャの姿。慣れた手つきでタオルを絞り、シルフィの額に当てようとしている。


「おはよう、アーニャ」

「おはようございますシルフィ様……え、シルフィ様? シルフィ様がお目覚めになりました!」

「うるさいなぁ」

「あわわわ、急いでミラー様を呼ばないと!」


 アーニャは手にしていた濡れタオルをシルフィの額に押し付けると、慌しく部屋を飛び出して行った。


「なんなのよ、もう……」


 シルフィは上体を起こして周囲を確認する。そこは見慣れた自室ではなく、【星の大鴉】のアジト内に誂えられた医務室であった。シルフィが眠っていたベッドとベッドサイドに置かれた丸椅子の他には観葉植物と薬品棚が置かれている。


「あれ、どうして私はここに……」


 シルフィが思い起こそうとしたところで部屋の扉が叩かれた。返事をすると、アーニャ、ミラーに続いてクロハが室内に足を踏み入れた。ミラーはベッドの横に置かれている椅子に腰を下ろす。


「目が覚めたのね。調子はどう?」

「ええと……まずまず、かな。悪くはない」

「倒れる前のことは覚えてる?」

「倒れるって────」


 シルフィの脳裏にぼんやりと記憶が蘇ってくる。ユートラント先進医療研究所に足を踏み入れたこと。吸血鬼と対峙したこと。激戦を繰り広げたこと。

「そういえばそんなこともあったな」と他人事のように思い出したシルフィは小さく頷いた。

 その様子に「ほっ」と息を吐いたミラーはシルフィに衝撃の事実を伝えた。


「両腕欠損、頸椎損傷、右足の開放骨折並びに靭帯損傷。内臓の破裂、魔臓機能の停止。神毒に侵された血液は透析できないから全て入れ替えた。ハッキリ言って、生還できたことが奇跡だと思うわ。私の治療が間に合って本当に良かった」


 ミラーはシルフィの腕を取り、トントントン、とその肌を指先で叩いていく。


「どこか違和感はある?」

「無い。ええっと、この腕はミラーが造ってくれたの?」

「そうよ。私の【蘇肉リ・ミート】でね。元通り、とはいかなくても、日常生活を送る分には機能してくれると思うわ」

「魔法って凄いね……」


 シルフィは感心しながら手のひらを開閉させる。五指ともに問題なく血肉と神経が通っていた。

 ミラーは医療に長ける魔法を扱う。その練度は凄まじく、肉体の再生に関して彼女の右に出る者はいないだろう。


「言っておくけど、私が造った部位には魔力が沈着していないわ。シルフィちゃんが得意とする強化魔法なんて使った日には一瞬で骨折するから、しばらくは戦闘禁止よ」

「そんな、これから魔竜を討伐しようって時に……」


 外界へ赴くために必要な戦力が揃い、転移魔法という移動手段まで手に入れた【星の大鴉】はいよいよ世界を奪還するために動き出す────筈だったが、主戦力であるシルフィが深手を負ったため、その機会は先送りになった。

 その後、軽い健診を終えたミラーは「仕事があるから、お暇するわね」と言い残して部屋を出ていく。

 次いで、クロハがシルフィの傍に腰を下ろした。


「シルフィが無事で本当に良かったです。もう体は大丈夫なのですか」

「うん、ミラーが治してくれたらしいから。クロハさんこそ大量の魔物と対峙していたらしいけど、そっちはどうだったの?」

「全く問題ありませんでした。それで、そういったことも含めてシルフィに今回の顛末をお話しします」

「あっ、アーニャは失礼いたします!」


 密談の雰囲気を察してか、アーニャが一礼して部屋を出ていく。

 クロハはその姿を見送ってから、コホンと一つ咳払いを挟んで語り始めた。

 まず、ユートラント市を中心に蔓延っていた薬物販売組織が軒並み姿を消した。製造元である研究所を潰したためなのか、それとも他の要因があるのかは不明。現在セトを中心として騎士団が調査中であるという。

 次に、研究所から救出した人質の身柄について。拉致されていた五名の男女はシュタール皇国出身の神官であった。その位階はいずれも高く、交渉が上手くいけば【星の大鴉】と皇国が繋がりを持つことが出来る。しかし、外交問題に発展する可能性もあるということでカークが慎重に話を進めている。

 最後に、トレイク夫妻の行方。作戦開始直後から姿が見えなかったマリーデ・トレイクはもとより、ユンド・トレイクの行方も不明。シルフィがユンドとの交戦を報告すると、クロハは驚いたような顔をした。


「つまり、シルフィを追い込んだのはユンド・トレイクその人だったということですか」

「クロハさんの予想通り、吸血鬼の因子を身体に取り込んで生命としての進化を遂げていたみたい。正直、かなり苦戦した」

「シルフィの力と張り合うとは相当な能力だったのですね。遺体を確認できていないことが心残りですが……」

「……どこかに転移したんだと思う。それと、これは勘だけど────」


 シルフィは一度間をおいて、懸念を口にした。


「あいつとはどこかで再び相まみえることになると思う」


 ◆


 クロハと入れ替わったアーニャは果物の皮をナイフで剥いて、小皿に取り分けていく。


「シルフィ様はお寝坊さんですからね。五日も眠っていたんですから、アーニャは心配しましたよもー」

「えっ……」


 クロハの語り口から、自分が意識を失ってからそれなりの時間が経過していることを察していたシルフィであったが、五日という想像以上の長さに瞠目する。


「そんなに寝ていたの……?」

「はい。その間はアーニャが付きっきりで看病していたんですから、感謝してくださいよね! はい、リンゴ食べてください。あーん」

「あ、あーん……んくっ、ありがとう」


 シルフィはアーニャを仰ぎ見る。

 いつもより少しだけ強引な従者の態度は、安堵と喜びの裏返しであった。


「もう、無茶はしないでくださいよ。シルフィ様のバカ」


 目に涙を浮かべるアーニャは縋るようにシルフィを見つめた。

 ごめん、と零すように呟いたシルフィはアーニャの身体をそっと抱き寄せ、慰めるように頭を撫でる。

 それからしばらくして、アーニャはうとうとと夢の中へと旅立っていった。連日連夜の看病で疲労が溜まっていたのだろう。シルフィはベッドを譲ると、快復した身体を軽く動かす。


「もっと強くならないと……」


 従者のために、育て親のために、そして、親友のために。

 シルフィは「生きる理由」を噛み締めるように心に堅く誓った。


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