19.外界遠足Ⅱ
オリエンテーションの前夜、シルフィの私室の窓を叩く者がいた。夜の帳に映える白翼の大鴉、カークである。
「ヨウ、ちょっトいいカ?」
「どうしたの、こんな夜更けに」
シルフィは窓を開放して自室に招く。カークは暫くとまるための場所を探していたが、やがて諦めたのか床へ着地した。
「明日ハ待ちに待った遠足だナ。楽しみデ夜も眠れないンじゃなイか?」
「なんで遠足があることを知ってるの……要件があるなら早くして。明日は朝早いから」
「連れねえヨなア……クロハにするみたいイにオレにも優しクしてくれヨ」
「その姿はあまり好きじゃないから」
「カーッ、生意気なヤツだゼ。まあいい、先に要件を伝えルぞ」
カークは誇示するように翼を大きく広げると、威勢よく言い放った。
「オ前の遠足にオレモ付いていくことにシタ!」
「へえ……?」
普段はアジトに引き籠っての活動が多いカークが外へ出るという。
カークの言葉にシルフィは怪訝な顔をした。
「何が目的なの」
「仕事ダ。今言えるのはコレだけだな。確証を得てイナイ情報をもとに動くカラ、伝えるものも伝えられン」
「そう。一つ忠告しておくけど、私に同伴するサラ・トレイクは魔力が見えるらしいの。下手に変身魔法を使っていると襲われるよ」
「それくらい織り込み済みダ。オレが学生如キに後れを取ると思うカ?」
シルフィはカークの言葉に首を振った。
「決まりダな。明日はヨロシク」と言い残したカークは来た時と同様に窓から飛び出して行った。窓を閉めたシルフィは、月を背にするその姿を見送る。
「何事もなければいいけど……」
シルフィの呟きは誰にも聞かれることなく部屋の中に霧散していった。
◆
外界。
まだ「魔法」という概念がなく、人類が自然界に君臨していた時代。人はそこに住んでいた。人々は我が物顔で土地を移動し、海を渡り、空を飛んでいた。
しかし、そんな時代も終焉を迎える。
宇宙から飛来した隕石によって自然界の在り方は大きく変えられた。
その変容は海の生物から始まった。隕石の影響を受けた微生物群が組織に異常を来した。異質なものとなった微生物を餌にした小魚、小魚を餌にした大魚、大魚を食した鳥類や哺乳類……異質な要素は食物連鎖を通して世界中の生物へと伝播した。
その異質こそ、現代で言うところの「魔法」であった。
魔法を獲得した生物は、その立場を大きく入れ替えた。
淡水に棲む魚が熊を狩り殺し、その魚を虫が刺し殺す。
甘い香りに誘われた人間は植物に囚われ、溶かされ、栄養になる。
自然界は混沌で溢れた。
魔法を使えない者は「喰われる側」に回り、魔法を使う者が「喰う側」に回った。
この頃には、異種間での目合によって新種の生物が数多く生まれていた。生物科学を無視するような形で生まれ出でた異形の者たちは強い魔法の因子を備えており、その中でも取り分け魔力が強い個体は「魔竜」と呼ばれた。
魔法が溢れかえるようになってから僅か二十年ほどで人類は窮地に立たされていた。瞬く間に人口は減少し、生存領域を獲得するために魔物だけでなく人同士での戦争も世界各地で発生した。
その状態が三十年ほど続いた頃、とうとう人類は大陸の一角にのみ生存を許される存在となった。
そんな折、人類は初めて魔物に対する大勝を得た。稀代の魔法使い、少女ユグドラの手によって欧州東部を治めていた黒竜ディアブロが討ち取られたのである。
この勝利は人類の希望となった。
黒竜から採れた鱗は濃密な魔力を宿し、他の魔物を寄せ付けない機能を持っていることが判明した。
人々は早急に生存圏の確保に努めた。南北に渡って長大な防御壁を作り上げ、魔物が来ない安全領域を「内界」、魔物蔓延る危険な領域を「外界」と呼ぶようになった。
時は流れて現代。人類が安寧を手に入れた時から安全地帯を拡大させていないものの、外界の調査は冒険者によって進められ、魔物の強さで区画分けするようになっていた。
この度ノグマ学園高等部一年生が向かうのは、外界において最も安全とされる第一区画。安定した生物群が環境を構成する場所である。
シルフィ、サラ、リリアの三人は学園側から配布された地図を持って、整備された道を歩いて行く。周囲に生徒の姿はなく、チェックポイント以外では全ての班が別のルートで目的地に達するように設定されていた。
「ふわぁ~、なんだか思ってたのと違うな~」
「こんなものじゃないかしら」
大あくびをかますリリアはサラの言葉に不満そうな顔をした。
「せっかく外界に来たんだから、実力試しがてら魔物と戦闘とかしたいじゃん」
「学校の行事で命を懸けるようなものがある筈ないでしょう。それに、テルモさんは魔物に確実に勝てると言い切れるのかしら?」
「それは……そうだけどさ~」
サラが言及したのはリリア・テルモの実力についてであった。今回の班分けは各班の実力が均等になるように設定されているらしく、中間試験の魔法実技に基づいて振り分けられている。
サラは実技試験において学年トップの得点を収め、魔法が使えないシルフィは書類上では「得点なし」になっている。それではリリアの成績はというと────
「どーせウチはパッとしない真ん中止まりの女ですよーっと!」
ぷくりと頬を膨らませ、リリアは抗議の声を上げた。
そんな二人のやり取りを黙って聞いていたシルフィは手元の地図に視線を這わせる。
「そろそろ第一チェックポイントだよ。スタンプカードの準備をしておこう」
「なんだかんだ、エリアルさんが一番楽しんでるよね」
「そうね、いつになく積極的だわ」
「……恥ずかしいからやめてよ」
三人は和気藹々とした様子で歩みを進めていく。チェックポイントを二つ通過して、小高い丘の上で昼食を取る。シルフィはアーニャの特性手作り三段弁当、サラとリリアは消化しやすい小さなパンだった。
昼食を終えた三人は定められた行路を進んでいく。
しかし、十分ほど歩いたところで先頭を歩くシルフィが立ち止まった。次いで、サラは周囲を警戒するように目を走らせた。
「おかしいわね、一向に前へ進んでいる気がしないわ」
「手元の地図に無い道を歩いてるかもしれない」
「えぇーっ、ウチら迷子になっちゃった?」
シルフィたち二十六班は第三チェックポイントに辿り着くことなく、延々と一本の山道を歩いていた。異常に気が付いた三人は周囲を見渡す。
鬱蒼とした木々が暗い影を落とし、その風景の変化は分かり難い。正午過ぎだというのに奇妙な薄暗さが場を支配していた。
「霧が濃くなって来たわ」
「…………霧?」
サラが小声でシルフィに囁きかける。霧など見えないシルフィは鸚鵡返しに問うた。
サラは自身の片目──魔力が見えるという深紅の瞳──を指さした。
「魔力の粒子……魔素が空気中を漂っているの。私たちは何かしらの結界に閉じ込められた可能性がある」
「……道を歩いていただけなのに」
「もしかすると、学園側が用意した試練なのかもしれない。霧が薄い────魔力濃度が薄い方へ向かって歩いて行けば出られるかもしれないから、サラが先導するわ」
「了解。リリアにも伝えておくね」
シルフィは興味深げに辺りを見回すリリアを呼び寄せ、サラの指示に従う旨を伝える。リリアは「がってんだ!」と明るい返事で合意した。
サラの後をシルフィとリリアが追う。遊歩道を外れて脇の茂みへと足を踏み入れた。目の前を塞ぐ枝葉を風の魔法で切り落とすサラは時折後ろを振り返りながら進んでいく。
道なき道を行くサラに後方から声が飛ぶ。
「トレイクさーん! どこ行ってるのー?」
「結界の外よ。あのまま道なりに進んでいると、恐らく出られなくなるわ」
「うへぇ……大人しく学年主席に任せるよ」
「信頼してもらえて何より……あら?」
サラは右手を横に突き出して後ろに並ぶシルフィとリリアに制止の合図を出す。深紅に煌めくサラの視線は中空に留まる。その先にあるのはパックリと口を開けた歪な空間。おどろおどろしく蠢く穴は、時折スパークを発していた。
サラの肩越しに顔を覗かせたシルフィが疑問の声を上げる。
「どうかしたの?」
「前方に穴が見えるの。空間が断裂している……これが結界の出口なのかしら?」
「なになに、出口発見?」
今度はリリアがシルフィの肩越しに顔を覗かせた。
「いいえ、断定はできない。罠の可能性もある。迂闊に飛び込むのは危険だわ」
「引き返そうか」
「そうね、別のルートを探してみましょうか」
サラが後退を指示する。殿を務めるリリアが引き返そうとしたところで────大気が鳴動した。
それは、侵入者発見の信号。
不可侵領域を脅かす者に対する裁き。
世界がひっくり返る。少女三人は穴に向かって落ちていた。
「まずいッ!」
いち早く反応したのはシルフィであった。しかし、時すでに遅く亀裂の咢に呑み込まれる────
数舜後、少女たちの姿は無くなっていた。




