その2
二
目の前に、四十歳後半の中年が座っている。
体型は小太りで、肌が弛んでいる。態度こそ低姿勢だが、その瞳には野心的な光が宿っている。
浅広銀行大宮支店の副支店長で、篠山の上司だった方だ。
古島さんの隣に、初老の刑事が静かに立っていた。滝さんと呼ばれているベテラン刑事らしい。
古島さんが、御堂と岩尾キャップの了承を得て、同行することになったのだ。相手が指定した個室のある喫茶店で話を聞くことになった。
そして、目の前に座っている副支店長が、本日二人目の参考人だ。
滝さんが、柔らかな口調で話し始める。
「副支店長さん。篠山さんについて、改めて話していただけませんか?」
紳士的な態度で接したにもかかわらず、副支店長は不快さを前面に押し出した。
「刑事さん。既に自分は、知っている事はすべてお話しました。何度聞かれましても、同じです」
「そこをお願いします。篠山さんが殺害されているんです。仕事でのトラブルとか、交友関係のイザコザとかあるでしょう」
その訊き方に、副支店長は失笑して答えた。
「それは、篠山君も生きていれば色々あったでしょう。私ですら、仕事は日々激務ですし、家庭でも様々な事が起こります。優秀であった篠山君でしたら、私なんかよりも色々とあったでしょうな。過去形で話さねばいけないことが、残念ではありますが………」
副支店長が感情の籠らぬ口調で言った。
滝さんは、柔和な顔で聞いている。突然、古島さんが捲し立てる様に言った。
「そんな一般的な事を聞いているんじゃない。篠山のことで、気になることがないかとお聞きしているんです」
「ですから、何度もお話しているように、篠山君はここには五年前に配属され、熱心に仕事をしていました。多少、融資については、トラブルがありはしましたが、それはどれも他愛もないモノで、金融機関ならばどこでもあることです」
そして、調書と同じことを話し始めた。
「社内では、どうなんですか?」
滝さんが言った。
「篠山君は、慣れ合うような人ではなく、ビジネスとプライベートは完全に分けてました。したがって、個人的に仲の良い行員はいないでしょう」
そして、再び調書と同様の内容を話し始め、数分後には話し終えた。
これ以上、話を聞いても意味がないと悟った滝さんは、休日に呼び出したことを詫びて、お帰り頂いた。
僕はガッカリしていたが、四法院は興味がなさそうに本をずっと読んでいる。
「四法院、君が話を聞きに行きたいと言ったにもかかわらず、何なんだ?」
四法院は、ため息をついて反論する。
「あのなぁ、地位のある人間が思いのままに話すと思うか?しかも、銀行だぞ。警察に協力的になるわけがない」
まったく、四法院の偏見はどれだけ多くあるのか分からないが、偏見を土台にしての捜査は支障をきたすので、現場の刑事さんたちから反論して欲しかったが二人の口は閉じていた。
「どういうことだい?」
四法院に言い、説明を求めた。
「いいかい。銀行と云うのは伏魔殿だぞ。外に出せない情報だって、一つ二つどころじゃ済まないぞ。喩え、殺人捜査でも秘密は出さないさ」
「だったら、どうするんだ?」
「だから、喋れる人間に訊くんだよ」
「喋れる人間って?」
「女性行員。若いと事情を知らない可能性があるから、七年目以降だな」
「七年目?それでも、重要情報を知っているとは思えないがね」
「確かに、重要な情報は知らないだろうな。だが、銀行内に精通している。女性特有の情報網もあるだろう。期待はしていないが、変わったことを聞けるかも知れない」
僕は考えた。二十二歳で入行したとして、今二十九歳。社会で十分揉まれているだろうから、どうやって話させるかが問題だろうと思った。
僕たち四人は、すぐに待ち合わせ場所へと向かった。
「お待たせしました」
マンションの玄関から細身かつ長身で、長い黒髪が艶やかな女性が現れた。
服装に華やかさは無いが、落ち着いた感じの服を身に着けている。
多少、肌に年齢が出ているが、十分に綺麗な女性だった。
気になるのは、目つきや態度がきつく、男性が近付き難い雰囲気を醸し出していた。
「お時間を頂いて申し訳ありません。御協力、感謝致します」
滝さんが前に出て、柔和な表情でお礼を述べた。
「お話をするのに、ここでもよろしいでしょうか?友人が来てますので………」
女性が迷惑そうに言った。
「ええ、構いません」
女性は髪を掻き上げて答えた。
「融資課長の篠山さんの事をお聞きしたいのですが」
滝さんが、優しい口調で訊いた。
「またですか?私、篠山課長の事はあまり存じませんので………」
「篠山さんに関する変わったこと、些細なことで良いので何かありませんか?」
「前にもお話した通りです」
書類によると、親しい職場仲間は無く、女性関係も見えない。
一年前に養子を貰ったらしいと云うことしか知らないということだ。
「何か、些細な事でも良いのですが、思い出していませんか?」
女性は唇に指を触れながら考えている。
「些細なことと云うよりも、不思議な事が………」
「何ですか?」
古島さんが訊いた。
「あの、関係ない事だと思うのですが………」
「何ですかな?」
滝さんが優しく、言葉を引き出す様に言った。
「五年前の事なんですが………。篠山さんが融資を決めた会社の社長が誘拐された事件がありました」
それは初耳の情報だった。
「それで?」
「それだけです。一時期、話題になりましたが、当行に事件での被害はありませんので」
「他にはありませんか?」
「さぁ~。もうよろしいでしょうか?」
女性には、もう喋る気はなく、解放して欲しいという表情をした。
二人の刑事だけでなく、僕も一緒にお礼を口にして、彼女の姿を見送った。
古島さんが、滝さんの顔を見て微笑んだ。
「滝さん、やりましたね」
「そうだな。すぐに岩尾キャップに報告するぞ」
「はい」
僕らは、一直線に特別捜査本部の設置されている赤羽に急いだ。
捜査員は出払っているのか、特捜部に人はまばらだった。岩尾キャップは次々と入ってくる情報と各書類の束に目を通していた。
僕たち部外者も、刑事の後に続くように付いて行った。
岩尾キャップの容姿は、肌は浅黒く、骨太で花崗岩を思わせる体躯。
哲学者のような難しい表情は、偏屈な伝統工芸職人のようだ。
「岩尾係長。報告があります」
滝さんが言った。
岩尾さんは書類を置き、こちらを見た。
「なんだ?」
「新情報です。五年前、篠山が融資を決定した会社の社長が、誘拐事件にあっていたそうです」
その報告を耳にして、岩尾さんの目が輝きを増した。
「それで、詳細は?」
「女性行員が言うには、詳細は知らないそうですが、本人はあまりに不思議な出来事だったので憶えていたそうです」
古島さんが言った。
「今回の事件と関連するかどうかは判りませんが、篠山と僅かですが接点のある事件です。調べる価値はありそうです」
滝さんが付け加えると、岩尾さんは風格を出して頷いた。
話がまとまり、捜査方向が決まった瞬間、四法院が岩尾主任官の前に出た。
「四法院?」
全面に威圧感を発している岩尾キャップに、四法院が無表情なままで腰に手を当て声を発した。
「ところでおっさん。御堂はどこだ?」
「おい。お前!」
古島さんが、慌てて四法院の腕を掴み、後に引っ張った。
「何なんだ。ノンキャリアは無礼だな」
四法院が腕を掴んだ手を振り解き、強烈な皮肉で抗議した。四法院の無礼な行動は、周囲に居る警察関係者から突き刺さるような視線を向けられている。
「ちょっと、四法院。警察署の中で、警察の悪口を言うのは自殺行為だぞ………」
僕は、無謀な友を諌めた。四法院は舌打ちをして、本来言いたかった事を口にする。
「御堂に訊きたい事があるんだ。どこにいる?」
無礼極まりない四法院に、岩尾キャップは態度も表情も変化なく接した。
「御堂管理官は、警視庁へ向かわれた」
「いつ帰ってくる?」
「聞いていない。用件なら、自分が聞こう」
岩尾キャップは、四法院の態度など気にすることなく堂々としている。
ノンキャリアから叩上げでココまで来ている人物であれば、少々のことには動じないのだろう。
「だったら、誘拐事件の全資料を寄こせと言っておいてくれ」
「すぐというのは無理だが、可能であれば明日の正午までに用意させよう。可能であればの話だがな」
「それで構わない。俺は、昼からでないと来れないしな」
四法院が、胸を張って言った。
「四法院君と言ったか?」
「はい」
岩尾キャップは、ごつい手を机上に置き、四法院に圧する眼光を送った。
「一つだけ言っておく、邪魔だけはするな。刑事部捜査一課は誇り高く優秀な集団だ。素人に足を引っ張られたくはない」
四法院は無言のまま、岩尾キャップを直視している。そして、頭を掻いて首を半周ほど廻して答えた。
「そんなに嫌なら、御堂に言え。あの優秀なキャリア官僚になッ。解雇手当として、バイトの半年分、百万円程度で構わない。あんたも上官だったら、そこそこ貰ってるんだろ?」
「すみません。こいつは人との接し方を知らないんで・・・・・・」
僕は、四法院の頭を下げさせ、引っ張るように退室した。
まったく、こいつと一緒に行動するといつもハラハラさせられる。
歩きながら、廊下で説教をしても、四法院には全て聞き流された。
話の流れから、僕たちは翌日まで用事が無くなり、一足先に帰ることにした。
古島さんには、僕から電話連絡をすれば問題ないと思えた。




